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教えるということ


若いときにしておいてよかったと思うこと!


   その子の気持になり代って

 若いときにしておけばよかったという話がよくありま
す。それはもう限りなくありますが、そういう後悔の方
向ではなくて、しておいてよかったということで、それ
がすぐやれそうなことを紹介してみます。
 ずっと若いとき、長野県の諏訪で教師をしておりまし
た。昭和も一桁時代のことです。作文を直すとき、直す
とは限らないのですが、当時加筆も批評も指導的なこと
を全部含めてそういうことばづかいがありました。それ
で、その作文を直すときに、一つの念願を持っていまし
た。どうしてかわかりませんが、こうしなさい、ああし
なさいというのが、いやだったのです。「ここの所がよ
く書けていません」などといっても、仕方がないような
気がしました。まだ私も教師になって間がなく、なんに
も勉強していませんでしたし、わかっていないのですけ
れど、なんかそういうことを書いてもしようがないよう
な気がしていました。
 それで、「こういうことはだめ」と言わずに「そこの
ところにこういう気持が書かれていればよかったのにな
あ」と思ったときには、「こういう気持をこういうふう
に書いてごらん」と言わないで、そのことを実際に書い
てみせたのです。
 子どもとしては、せっかく一生懸命、精いっぱい上手
に書いて先生に出したわけです。それをこれはたいへん
もの足りないなんて言われたら、がっかりします。もの
足りないと言わずに、こんなことが書いてないけれど、
きっとこんなふうだったろうと思うことを、私がその子
になり代って書き足したのです。それではその子が書い
たのではないからだめだ、とお思いになられるかもしれ
ませんが、そういうものではありません。それを子ども
が読むと、自分が書いたような錯覚をおこすのです。そ
して、「そうだったなあ、本当にそうだった、こんな気
持ちだった」などと思って、そのようにして、いつか少
しずつ、心が耕されて成長するのではないでしょうか。
指導者によって書かれた一節を味わいながら育てられて
いくようでした。
 こんな言葉で言えるようになったのは近ごろのことで、
その当時はなんにもわかっていたわけではないのですが、
いつのまにかそういうふうに書いていました。そしてみ
なさんにおすすめしたいことは、そういうふうに書けと
いうことではありません。その先の話があります。私は
百五十人受け持っていましたし、昔は作文は毎週ありま
した。時間表の中に作文と書いてあるのですから、今の
先生のようにサボったりするわけにはいきません。です
からたいへんだったのです。それで気のすむようにうま
く書けないで、とうとう、「よく書けました」と書かな
ければ、間に合わないことがありました。もう夜が明け
そうだけれど、今日作文の時間があるのですから、やめ
た、というわけにはいかない。仕方なく、「よく書けま
した」とか「もう少し考えて」とか書いてしまったこと
もあります。とにかくたいそう苦しんで書いていました。
 でもそういう中に、たまに自分で気に入ったのが書け
ることがありました。そうすると自分がうれしくなって
しまいます。若いときですヵら。そしてその文章をその
まま写して、赤ペンは赤ペンで写して、自分で持ってい
ました。よく書けた作文ならば、その作者に、「清書し
て先生にくださいね」と言って、原稿用紙をつけて渡す
と、子どもは得意になって書きました。それに対して、
「これはちょっと下手に書けている、私の考えを書いて
みてあるから、そのとおりに書いてきてね」というのは、
気がひけました。それで自分で書き写したのです。



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