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ちょっといい話


◎南極のペンギン 高倉 健 

『アフリカの少年』

 ひろい砂漠の地平線が、まっ黒い雲におおわれた。みるみる
その雲がこちらに近づいてくる。
 いままでの青空がうそのようだ。
「砂あらしになります。早くホテルにもどりましょう」
 現地のスタッフがおびえた顔でいった。
 砂あらしは黒い風になって、砂漠を吹きあれる。
 砂と石を大量にふくんだ突風だ。
 からだにあたると痛いし、目もあけていられない。ひどいと
きには息もできなくなる。
 しかも、数時間から半日、ながいときには数日つづく。
 この日の撮影はすぐ中止になった。
 車に乗りこみ、おおいそぎで砂漠を走りつづけた。うしろを
ふりかえると、まっ暗でもうなにも見えない。
 夜のやみが、かけ足でせまってくるかんじだった。
 ようやく村はずれにたどりついた。いつもなら、人や車でに
ぎやかな通りだ。
 だが、シーンと静まりかえっている。
 まもなく、この村にも砂あらしがおしよせる。みんな家に入
って息をひそめ、それがとおりすぎるのを、待っているようだ。
 この村をすぎると、また道路の両がわに砂漠があらわれた。
その砂漠の一本道を走りつづけた。途中に道標があり、その下
になにか大きな黒いかげが見えた。目をこらして見ると、十五、
六さいの少年だ。
 少年は、はだしの両足をしっかり地面につけ、両ひざをかか
えこんでうずくまったままだ。すぐそばに自転車がたおれてい
る。
「どうしたんだろう?」
 ぼくは、おなじ車に乗っているスタッフにきいた。
「砂あらしがとおりすぎるのを、待っているんですよ」
 彼は無表情のままこたえた。見なれた光景のようだ。顔をあ
げた少年がぼくらをチラッと見た。ほんのわずか、少年と視線
があった。
 うらやましそうな、悲しい目だった。
 車をとめて少年を乗せ、家に送りとどけるのは簡単だった。
だが、ぼくはあえてそうしなかった。
 少年はだれにも助けをもとめていなかった。自分で考えてと
った行動なのだろう。おさないときから、彼はなんども砂あら
しにおそわれているはずだ。その経験から、その場にうずくま
って待つのが、いちばんいいと判断したにちがいない。そう思
ったぼくは、彼をそっとしておきたかった。
夢をみろよ
 ぼくは心のなかで少年に話かけた。
 どんな土地に生まれるのか。どんな親に育てられるのか。だ
れにもわからない。子どもはなにも選べず、ただ生まれてくる。
 だが、夢なら自由にみることができる。その夢をかなえる時
間は、まだ君にはかぎりなくあるはずだ。
 砂あらしにうずくまる君を、現地の大人たちは助けない。砂
あらしにたえる力を、子どものときから身につけさせるためだ
ろう。そうしなければ、この土地で生きていくのはつらい。だ
から、大人たちは見て見ぬふりをする。君をおいてきぼりにす
る。それも大人のやさしさだ。
 旅人のぼくは、なおさら君を助けられない、ずっと君のそば
にいるわけにはいかないからだ。
悪いな! だから、夢をみてくれ
 ぼくは名前も知らない少年に、心のなかで話しかけていた。

さいわい、この日の砂あらしは数時間でおさまった。■

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