トップページに戻ります

ちょっといい話


南極のペンギン 高倉健!!!

『ハワイのベトナム料理人』

 ハワイにいくと、しあわせな気分になれる。
 さわやかな風にふかれ、明るいひざしの砂浜に足を投げだす。
からだじゅうの筋肉から力がぬけて、ゆったりくつろげる。
 寒い北極や南極とはおおちがいだ。
 そのうえ、おいしい料理があれば、さらにしあわせな気分に
なれる。
 シェフのサムさんのつくる料理は、とてもおいしい。彼はハ
ワイでベトナム料理店をやっている。
 戦争であれはてた祖国をはなれ、この地に移り住んだ。おさ
ないときから苦労したにちがいない。そんな過去を少しも感じ
させない。いつもニコニコ笑っている。
 サムさんのレストランに初めていったとき、ぼくの注文を彼
は日本語で紙に書いた。
「どこで、日本語をおぼえての?」
 ぼくはたずねた。
 サムさんはさびしそうに笑った。
 サムさんが日本語をおぼえたのは、日本の女性に恋をしたか
らだ。青年のときベトナムを出た彼は、香港で七年間、中華料
理を学んだ。
 そのころ、香港に遊びにきていた日本女性と出会った。彼女
が日本に帰ったあとも、恋しくてたびたび電話をした。少ない
給料のほとんどが電話代に消えた。
 それでも、彼女に話したいことがたくさんあった。手紙を書
こうと彼は思った。電話代より安くすむ。いっしょうけんめい
日本語をならった。たどたどしい日本語で、彼女に手紙を書き
つづけた。
私の家に、遊びにきませんか
 彼女からそんな手紙がとどいた。よろこんでサムさんは彼女
をたずねた。
 彼女の家は大きくて立派だった。貧しい自分は、彼女と結婚
できないとサムさんは思った。おじょうさんの彼女に、いろい
ろな苦労を味わわせたくなかった。彼は自分から身をひいた。
「じょうだんじゃ、ナイよ」
 そういってサムさんは、少年のようなポロポロ涙をこぼした。
彼女のことを思い出すと、いまでもせつなくなるのだろう。
 サムさんはよく、
「じょうだんじゃ、ナイよ」
 という言葉を口にする。使いかたがヘンなときもある。どう
も口グセらしい。
 香港からハワイにうつったサムさんは、汗水ながして働いて、
自分の店をもつことができた。結婚して、子どもも生まれた。
 店もお客でこみはじめた。
 いいことばかりのように思えた。
「でも、この仕事はむずかしい。ケンさん」
 サムさんは大きなためいきをついた。
 いやみをいうお客もくるからだ。

 その日は、たまたま店がすごくこんでいた。サムさんはその
お客の注文を、いつものように、自分で聞きにいけなかった。
 つぎからつぎへと、キッチンで料理をつくりつづけた。
 目がまわるようないそがしさだ。
 ところが、そのお客は食べおわったあと、サムさんをわざわ
ざ呼びつけた。
「このごろ、ナマイキになったわね」
 皮肉な口調でその客はいった。
「料理も、手抜きしているんじゃないの」
 そういって、らんぼうに席をたって帰ってしまった。
 客のうしろ姿を見ながら、
「じょうだんじゃ、ナイよ」
 とサムさんはつぶやいた。
 その季節にでまわる新鮮な材料で、おいしい料理をサムさん
はつくる。時間があれば、その料理の解説もしてくれる。少し
とくいそうな笑顔で話す。
 もともとサムさんは話がすきだ。
 ぼくが彼の店にいくと、待ちかまえていたように飛んでくる。
ぼくのとなりに立ったまま、はなれない。
早く料理を、つくってくれないかなー
 ぼくはその気持をおさえて、しばらくサムさんの話に耳をか
たむける。
 
 そんなサムさんでも、店がこんでいるときはキッチンにくぎ
づけになる。お客の相手ができなくて、むしろさびしいのはサ
ムさんかもしれない。
 それでも、料理に手を抜いたりはしない。
「いつだって、だれだって、心をこめてぼくは料理をつくって
いる。じょうだんじゃ、ナイよ」
 サムさんはしんけんな顔でぼくにうったえた。ぼくはそうだ
というように、大きくうなずいた。
「とっても、おいしかった」
 というひとことが、サムさんをしあわせにする。
「サムさんの料理には、やさしい心をかんじる。食べると、し
あわせな気分になれるよ」
 ぼくはサムさんにいった。
 ワガママなお客のことを、おこりながら話していたサムさん
が、きゅうに笑いだした。顔をクチャクチャにして笑っていた。


ときどき、またハワイにいきたくなる。
「じょうだんじゃ、ナイよ」
 というサムさんの口グセを、ききにいきたくなる。■

ご意見ご感想はこちらへ
トップページに戻ります
南極のペンギンの目次へ

[PR]動画