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ちょっといい話


南極のペンギン 高倉健!!!

『北極のインド人』

 北極の冬は、ものすごく寒い。息をするとからだのな
かまで、凍ってしまいそうだ。春が近づいても、気温は
マイナス50度をこす。
 地面はもちろん、海まで凍る。いけどもいけども、氷
の原っぱがつづく。目じるしになる木や建物はない。
 宿舎のある村が見えなくなると、すぐ道に迷ってしま
う。そのうえ、ブリザード(雪あらし)におそわれたら、
もうこごえて死ぬしかない。
 北極での撮影は、現地にくわしいガイドがぜったい必
要だ。
だいじょうぶかなー
 ぼくはなんとなく不安だった。
 どうして、南国生まれのインド人が、わざわざこんな
寒い北極に住んでいるのだろう。ふしぎに思って、その
理由をたずねた。
 ベーゼルさんという名前だった。18歳のとき西ドイ
ツの大学に行き、電気技師になってカナダに就職した。
その仕事の関係で北極にも行かされた。なんどか北極を
たずねるうち、雪と氷のこの世界が大好きになった。
「ここに住むと、人間を信じることができる」
 ベーゼルさんはそう思った。
 北極の自然はきびしい。みんなが力をあわせないと生
きていけない。この土地には警察もないし、家にカギを
かける習慣もない。テレビも電子レンジもないが、たい
ていみんな無線は持っている。どんなにいそがしくても
夜中でも、無線が鳴ると飛んででる。命にかかわる連絡
が多いためだ。おたがいを信じあい、助けあいながら暮
らしている。
 そんな生き方にひかれて、ベーゼルさんはカナダ人の
奥さんとふたり北極に移り住んだ。そして、探険家を泊
める小屋をつくり、北極を案内する仕事をはじめた。
 その実行力にはおどろいたが、ガイドとしての実力は
よくわからなかった。だから、ぼくの不安は消えなかっ
た。
 撮影が順調にすすむうちに、だんだんぼくらは北極に
なれてきた。ブリザードにおそわれることもなかった。
つい気がゆるんで、ベーゼルさんがいないのに、夜おそ
くまで氷原で撮影をした。
 やっと終って、宿舎にもどろうとした帰り道だった。
 ブリザードにおそわれた。
 あらゆる方向から、雪があれくるって吹きつける。あ
っというまになにも見えなくなった。
 車をとめてなかでじっとしていた。みるみる車が雪に
うもれはじめた。暖房はきかない。寒さでからだがシビ
れてきた。
「このままだと、こごえ死んでしまう」
「車をすてて、歩いたほうがいいかもしれない」
 車に乗っていたのは日本人だけだった。みんな大声で
さわぎはじめた。
 そのとき、とつぜん吹雪のなかから大きな車があらわ
れた。ベーゼルさんがぼくらを助けに来てくれたのだ。
「よかった。助かった!」 
 ぼくらの車内に歓声があがった。ベーゼルさんの車が、
ぼくらの目の前で向きをかえた。その車が積もった雪を
踏みつけると、二本の新しい道ができる。そのあとにぼ
くらの車がついていく。でも、どうして、ぼくらがブ
リザードにおそわれているとわかったのだろう?
 そんな疑問がぼくの胸にうかんだ。ぐうぜんにしては
できすぎだ。
 あとでベーゼルさんから、そのときの話を聞いた。ぼ
くらの帰りがおそいので、彼はだんだん心配になってき
た。
 そのうち空がくもって、あやしげな風が吹きはじめた。
ブリザードにおそわれて、ケンさんたちが道に迷うだ
ろう
 そう直感したベーゼルさんは、急いで自分の車に飛び
乗った。四輪駆動のがんじょうな車だ。これなら、ブリ
ザードのなかでも平気で走れる。
 もしあのとき、ベーゼルさんが助けにきてくれなかっ
たら……。ぼくらは車からおりて方向をうしない、こご
えて死んでいただろう。
 ベーゼルさんのガイドとしての実力を、疑った自分が
はずかしかった。彼は信頼できるガイドだった。いつで
もどこでも、ぼくらの身の安全をまっ先に考えてくれて
いた。
 それからも、ぼくらは撮影、撮影の連続だった。夜中
まで撮影をすることもあった。
「なんで、そんなにはたらくの?」
 よくベーゼルさんからあきれられた。
「お金はたくさんためても、燃えてしまえばなにも残ら
ないよ」
 ベーゼルさんはそうもいった。彼はカナダの北部に牧
場を持っていた。でも、まだひとに貸してあった。その
牧場には、「一生、ダンロで燃やすマキがとれる森があ
る。魚がとれる川もある。それさえあれば、生きていけ
る」と、ベーゼルさんはとくいそうだった。
 北極の自然はきびしい。若い元気なときはそれを楽し
むこともできる。だが、年をとるとだんだんつらくなる。
そうなったら、牧場でのんびり暮らすのだと笑っていた。
 自分が住みたい土地を、自分で決めて生きている。こ
ういうひとを、自由なひとというのだろう。ぼくは心か
ら感心した。
 ベーゼルさんには長生きしてほしかった。牧場でのん
びり暮らしてほしかった。じまんの牧場をいつかぼくも
たずね、また会える日を楽しみにしていた。
 それなのに、ベーゼルさんの最後の夢はかなわなかっ
た。年をとる前に、病気になって北極で亡くなってしま
った。
 その悲しい知らせがぼくにとどいたのは、ベーゼルさ
んに会って十数年後だった。■

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