緒方句狂


盲目の俳人・緒方句狂の作品と高浜虚子のメッセージ



■句狂の作品と高浜虚子のメッセージ
■句狂の俳誌『冬野』掲載作品

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『赤池町史』にみる緒方句狂
 昭和二二年、句集『由布』によせた高浜虚子の序文に
【両眼摘出昼夜をわかたず】という前書があって、

   長き夜とも短き日ともわきまへず

という句が此の句集のはじめにあるが、この時から句狂
君の肉眼は盲いたが心眼は開けたのである。此の不慮の
災害はまことに取りかえしのつかぬ不幸なことであった
が、俳人句狂としては此の時から頓に進境が見えたので
ある。其以来の句は盲人の世界といっても、其は今迄見
えておったのが俄に見えなくなったという、そういう盲
人の世界が俳句によって描き出されることになったので
ある。

   杖置いて花に座したる盲かな
   草の戸も足数に知る杖の秋
   萬両の雪に埋れて灯りしとか
   耶馬溪もただの田舎や麥の秋
   盲の前に人塞がりし焚火かな

 目を開いていた昔を心に描いて花下に立ったけれども、
見えぬ、唯闇黒の世界がある許である。杖を置いて花下
に坐したという、其時のしょうことの無い心持が伺われ
る。
 外から帰る時分に、自分の家の距離も足数で知る許り
となった。今迄は目で見て凡てがすぐ分っておったもの
が、足数で知ることが出来るようになった。
 雪の日の景色は面白い眺めであった。それは嘗てのこ
とであった。今は雪が積もったといっても、唯そうかと
聞く許りである。嘗て見た景色を思い出す許りである。
が、其中に萬両の実が赤く見えていると聞いた時分に、
其の赤いものがぱっと描き出された。嘗て見たことのあ
る其赤い固まりが、いかにも印象深く心の中に再現した。
下五字を六字の字余りにして「灯りしとか」といったの
がよく其感じを現しておる。
 人々に連れられて耶馬溪に吟行した。耶馬溪といえば、
音に聞えた奇鋒の連りで景色のいいところであるのだが、
今は目には暗黒の世界がある許りで、四辺は森閑とした
ただの田舎というに過ぎぬ。其の心持をいったのである。
 焚火に当っておると、今迄の暖かさが急になくなった。
それは人がわり込んで来て前に立塞がったが為であった。
盲目ということに慣れない身はことにあじきなさを感じ
た。
 これ等は初めの方にある五句を取り出したのであるが、
全巻を通じて此種の作品が多いといっていいのである。
けれども漸くにして

   月に出て杖と歩みをおのづから
   突き古りし杖にぞ庭の春惜む
   きざませて吾がホ句たのし春の杖
   野路楽し蝗はらはら杖をうつ
   輪飾を懸けて一ト日や杖の春
   杖の上にあぎとを置いて花疲れ
   露涼し先立つ杖に散りこぼれ
   小春日や母を訪はまく杖をとる
   杖ついて子に従ひて初詣
  ○春泥にゆきなやみたる杖を突き
   行春や添水の音の杖さそふ
  ○我が杖も春待つものの一つかな
   杖いつか踊太鼓にさそわれて
   母がりへ雪折のみち杖急かせ
  ○夕雲雀杖の歩みのもつれそめ

 其の他沢山ある杖の句に見る如く、杖に助けられて、
杖と共に泣き笑い、屈託し、行楽する余裕を見出して来
ているのである。

   蒼き夜を杖と歩きぬ萩の庭
   マッチ擦れば真昼の匂ひ春の芝
   鈴の緒にすがればこころ爽かに
   春暁や輪をえがきくる鐘の聲
   春宵の門辺に立ちて盲はも
   しみじみと吾れに遭ひ居る昼寝かな
   稲妻にさいなまれつつ盲かな
   盲には夜々の月こそ悲しけれ
   傘華奢にさして盲や萩の雨
   鶯の去りたる杖をはこびけり
   寒さ身にまとひ人の来て対す
   虻礫はたとくらひし眉をあげ
  
 此種の句も沢山あるが、是等は皆盲人なるが故の特別
な感覚、感情と見るべきである。古来盲人の句も相当に
あるが、我句狂君出でてとみに輝きを増したように思う。
(略)
 私は九州に旅する度に、別府の埠頭に、黒い眼鏡をか
け、人に助けられて立っている句狂君を見出すのである。
昨年行った時もそうであった。そうして各地の句会には
必ず句狂君の顔を見た。句狂君の成績はいつも立派であ
った。(略)
  
 昭和二二年一○月六日 
     小諸山廬 高浜 虚子
     
 この句集「由布」の跋に、句狂は次のように記してい
る。
 昭和九年五月八日、当時炭坑で従事して居りました私
は、坑内作業中ダイナマイトの事故により、遂に失明せ
ねばならぬ運命におかれました。
 中年にして盲ました私の悲嘆懊悩は其の極に達し、人
を怨み、世を呪いはじめ、幾度自殺も計った程で、心は
日々に荒んでゆくばかりでありました。こうした最中に
偶々訪れてまいりました奥本黙星君(妹婿)に、俳句に生
きよと薦められましたのですが、無学浅才の私には、そ
んなむづかしいことは到底及びもつかぬことと思いなが
らも、黙星君の熱心な薦めに漸くその気になり、覚束な
くも作句を始めてみることに致して、黙星君の指導を受
けることと致しました。
 黙星君は私の句稿の中から選んで、ホトトギスに投句
していたとみえ、はじめてその年の一二月号のホトトギ
スに

   長き夜を眠り通してまる三日
     
と言うのが          
               
   長き夜とも短き日ともわきまへず

と虚子先生によって御添削を頂き、初入選したのであり
ました。
 俳句は斯く作るものであり、表現に依ってはこうも変
るものであることを、つくづくと教えて頂いたのであり
ます。私の如き者にとっては、ホトトギスは縁遠いもの
に思われておりましたが、努力一つによっては入選でき
るという確信をも得て、益々精進を怠りませんでした。
 昭和一二年一月、俳誌無花果の創刊一周年記念俳句大
会で初めて清雲先生に御拝眉し、それから御温情こもる
御指導の下に育まれてまいったのであります。
   
   露の身の我に俳諧なかりせば

と言う句が生れるようになりました頃には、あれほど荒
んでいました心も、いつの間にか和み、邪念はすっかり
除かれて、闇黒の世に在りながら常に明るく朗らかに、
この一筋の道を真直ぐに進んで居る自分を見出して。歓
喜したのであります。
 若し私に俳句がありませんでしたらならば、今頃どん
なになっていたでありましょうか。往時を顧みますとき、
総身泡を生ずるの思いがあります。私は俳句に依って更
正させられたのであります。否、邪悪の淵に溺れていま
した私は、虚子先生や清雲先生の温い情に救い上げられ
たのでありまして、今更ながら感泣せずには居られませ
ん(略)

 
  句狂の追憶  奥本初代(句狂の妹)
 
 失明してより句作するのが何よりの楽しみで、よく吟
行に出かけました。私達夫婦(奥本黙星氏夫妻)が、杖と
なり手を引きながら句狂を写生したものでした。英彦山、
耶馬溪には毎年のように行きました。又、各地の句会に
招かれて吟行したものです。

   目が開いた嬉しさは夢秋の風
   
何ともいひようのない悲しい現実です。

   盲には盲の世あり鵙の秋
   
こういう境地になり得たことを嬉しく思いました。

   空耳か炉話かるく手で押さへ
   行く我を囚へ落葉は駆け巡る
   魂ぬけて落葉はもとの地に平ら
   
この句がホトトギス誌の巻頭に選ばれた時に歓喜したも
のでした。

   ほととぎす聞く杖抱き盲句狂  初代 
   吹雪中盲ひし兄の手を引いて  初代
   餅花にふれてみもして盲句狂  初代
   虫時雨句狂の病みしころをふと  初代
   句碑静か蝉の時雨のあるばかり  初代
   句碑小さく落葉の中にうずくまり  初代
  
 一句一句に想い出があり、当時のことが走馬灯のよう
に浮かんでまいります。食道癌という病に倒れ、死と闘
いながら句作を続けていた兄の心を思う時、涙あらたな
るものがあります。

   闘病の吾をはげまし虫時雨
   虫の音も今宵の月もなく病める
   味覚また失ひしわれ秋高し
   われ愈を待ち侘ぶ杖に鵙の秋
   書きのこすことのあれこれ虫の夜
   短かかりしわが生涯や萩の花
   萩咲いて我が生涯もみへりけり
   細りゆく命にすがり秋を待つ
   わが命細りつ盆の月育つ
   十重二十重われを囲みて虫の陣
   
 以上が闘病句で高浜虚子先生より次の弔句をいただき
ました。句狂もさぞかし泉下で感泣したことと存じます。

   目を奪い命を奪う諾と鷲  虚子
   

   緒方句狂秀句鑑賞  下田水心子

 句狂の句の中には、杖の句が多い、当然ながら盲と杖
は一体であり、物を探るのも、歩くにも常に放すことの
できないものである。

   我が杖も春待つものの一つかな
   春泥を行きなやみたる杖を突き
   夕雲雀杖の歩みのもつれそめ
   春立つと杖を拭へばつややかに    
     風花に追はるる杖の吾が歩み
    
 第一句 暦では立春は二月四、五日頃である、誰もが
暖かい日を待ち望んでいる、自分も春を待っている一人
である。その時分の一部である杖も春の来るのを待ち望
んでいるのである。長い冬籠に倦んでいる杖に、春よ来
い来いと云ってやりたいようだ。                

 第二句 春の野山は凍解でやわらかく、又道も同じで
ある。よくぬかるみの道に出合うことがある。歩いて来
ると、その泥道に行結った。杖の先でさぐって見ると、
渡れそうもない。困惑している表情が、下五「杖を突き」
で見事に表現されている。 
 
 第三句 朝から吟行にでも出かけた時であろう。普通
の人のように自由に散策することが出来ない、杖をまさ
ぐり、人の手借りての一日で、楽しい日であったが、又
非常に疲れた日でもあった。夕雲雀の啼く頃の杖の足ど
りも重く、時にはもつれもした。夕雲雀であるために、
その人の哀愁が素直に出ていると思う。

 第四句 待ちに待った立春である。これから日一日と
暖くなって来ると思えば、じっとしておれない。玄関に、
冬の間あまり出歩くことのなかった杖がほこりをかぶっ
たままである。取りあげて拭くと、生きもののようなつ
ややかな感触が肌に伝わってくる。春は萬象が動きはじ
める季節である。つやつや光る杖もまた生きているので
ある。
 
 第五句 風花とは晴天にちらほら降ってくる雪、風に
舞う雪片を言う。歩いていると、風花が顔や手に肩にま
た頭にふりかかる、この風花を歩く自分の姿、おのずか
ら定まったような杖の歩調を、追いかけるように雪片が
舞う、晴れていても風はまだ冷たく、やりきれない杖の
歩みが風花中にうごめいているようだ。

 句狂(稔)は、明治二三年一一月二一日、赤池町赤池で
父緒方八郎、母センの長男として生まれ、昭和九年五月
八日、赤池炭坑で作業中、ダイナマイト事故により失明、
昭和二三年一一月二一日、四九歳の生涯を閉ず。

〔赤池町史〕から

 昨年は、緒方句狂(本名:稔)の生誕100年でした。 地元の商工会・障害者団体・盲学校などに顕彰のイヴェ ント開催を提案させていただきましたが無に帰してしま いました――。  ※句狂の生年は『赤池町史』のは間違いで『福岡県百科 事典』(西日本新聞社)の記述、1903.9.26-1948.11.21の 明治36年が正しいと思われます。 Webmaster メニューに戻ります

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