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★ コパンの、随筆



Essay's Index :

ビーチサイドのさわやかさん
親から、誉められたことがないんです
癒しの人々
偏見か無知か
福祉あれこれ
柔らかな容顔をもって
ヴォランティア異聞
短文の練習



◆Last update : April 6 2002


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   短文の練習


                                    ◎
  夏の午後、海辺の知らない町を歩いていた。 
 道行く人たちは日傘か帽子とサングラスで日差しを避けていた。道を尋ねに寄っ
た商店の女主人は、
「遠いですよ。日傘をお貸ししましょうか?」といってくれた。
 目的地までは三キロばかりあった.夏の日差しが針のように肌を刺す白い道を歩
きながら、爽やかな気分だった。見ず知らずの人を思い遣る人がまだ残っているこ
とがわかり、嬉しかった。


                  ◎
 ときどき見かける人に、その日また会った。少し憂鬱そうな面持ちだった。
「どうかしましたか?」
「職場で、嫌なことがあったのです。社長がお客様と話しをしていて突然怒り出し
鉄の棒でお客様の車を叩いて壊したのです。そのお客が帰ると今度は私に当たり出
したのです」
「いけませんね。お客様の車を壊すんですか。それで、あなたには落ち度がなにも
ないのに責められたのですか?」
「もう、しょっちゅうなんです」
「しばらくしてから謝ってくることはありませんか?」
「えぇ、謝ります」
「なるほど。その人は人生のどこかで挫折しているのかも知れません。挫折して、
心の中で解消できていないのでしょう。それとなく、調べてみてください。言って
みれば、可哀想な人なのです。相手のことが分れば精神的に余裕を持って対応がで
きますので気が楽になりますよ」
「そうですね。いまのお話で随分、気が楽になりました」

「いろいろな人がいますが相手と同じレベルで考えないことです。例えば、他人に
は少しもオモシロクない自慢話、愚痴などを話す人がいますが、『生きる世界が狭
い人なんだなぁ。気の毒だなぁ』と思いながら、そういう人の話は聞いてあげれば
良いのです」
「あぁ、そうですね。わかるような気がします」
「でも、どうしても話をしたくない人がいる場合は『書いてください!』と言って
みてはどうでしょう。自慢話の場合は『オモシロそうなお話なので繰り返し読みた
いし、お友達にも読ませたいから是非、原稿用紙に書いてみせてください』と言い
ます。愚痴話の場合は『貴重な人生体験のようなので参考にしたいから是非、文章
にして読ませてくださいませんか』と、その人に言うのです。大体、その種の人た
ちは表現世界とは縁がないのですから、その一言で終わります。次にまた、そのよ
うな類いの話をしてきたら『先日の原稿はできあがりましたか?』と言えば良いの
です」
「書いてきたらどうするのですか?」
「喜んで読んであげてください。しかし、そうはならないでしょう」
「どうしてですか?」
「そうしたテーマは、自分の内面をみつめながら行う作業ですから書き始めたとし
ても途中で、自己嫌悪で書けなくなると思うからです。」
「かも知れませんね」
「喜んで読んであげなさいと言ったのは、まとまったものには多少の普遍性や価値
が含まれているだろう、と見做してのことです。意外にオモシロク書けている文章
かも知れませんからね」
「感想は、どうしましょう?」
「感じたままを述べれば良いのです。どうですか? 今日のショックからは立ち直
れましたか?」
「ハイ」
「それは良かったですね」



                  ◎

   あるコミュニケーション


 手紙を毎日書けば、返信を毎日受け取ることができる。友人、知人、旅の雑誌の
文通コーナーで知り合った人たちに手紙を書いた。書くことも、返事を受け取るこ
とも愉しいことだったが、三十代の半ばが過ぎた頃、止めてしまった。止めた理由
は、明確には覚えていない。軽いタッチの文を書くのが恥ずかしくなったのが理由
の一つだったと思う。
 小学生時代から続けていた年賀状・暑中見舞も十年前頃に止めてしまった。こち
らが書かなければ相手は急速に減ってしまう。復活させようとは思うのだが、一度
止めた相手には何となく書きにくいことが解った。コミュニケーションは止めては
いけないのだ。
 最近の絵手紙の普及をみても、毎日書く手紙には封書より、直ぐ読めるハガキ・
絵ハガキが敵しているようだ。文は二行か、せいぜい数行で足りる。電子メールは、
旅先の空気感や日常生活の息吹を伝えるには問題ないと思う。しかし、郵便ポスト
を経由させない手軽さが逆にストレスを生む可能性がある。目的によるようだ。



                  ◎

   四施の布施



 思えば思われる……
JRのNK駅の近くの満願寺の壁面に

   思えば思われる
   盡せば盡される
   愛せば愛される

というアフォリズムが掲げられています。仏教では偈というのでしょうか。

   お客様を思えば、お客様から思われる
   お客様に盡せば、お客様から盡される
   お客様を愛せば、お客様から愛される

と読めば『接客術』に通じるところがあります。

 仏教には、また、布施という言葉があるのは知られています。縁無き衆生の私は
『お布施』とかいって、お坊さんにあげるお金のことかと思っておりました。その
意もありますが、「眼施・身施・言辞施・心施」を「四施」といい、それぞれ眼施
は、眼差しによって何かを与える。身施は、身ごなし、微笑みによって。言辞施は、
言葉によって。心施は気配りや思いやりによって何かを与えるという意味があるそ
うです。
 与える〈何か〉とは、受ける側の境涯によって違うのでしょうが《喜び・勇気・
希望》などでしょう。満願寺の偈と同じように、お客様に喜びや満足を与えること
を基本とする『接客術』に通じます。

                                 〔了〕














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   柔らかな容顔をもって
      

 谷口美恵子(大正11年生)さんがホームヘルパーになったばかりの頃、訪問先
の男性の老人が反抗して全く心を開いてくれなかった。困惑して、お寺さんへ相談
に行った。「困っていることの原因のすべてが自分にある」とお坊さんは諭したと
いう。暗闇の中で夢うつつであった私はこれを聴いて目が冴えてしまった。介護に
限らず人間関係全般で、お坊さんの云うとおりだと思わざるを得なかった。例えば、
教育で。相手が解らないのは教え方に欠陥があると考えるほうが自然だ。ところが、
相手に問題があると思ってしまう傾向があるのが一般的である。

 谷口さんは介護する人の心得は菩薩の心をもって介護される人に接するところに
あることを会得した。菩薩心とは、やさしい心・やさしい言葉・やさしい顔だそう
だ。それを体現するには先ず、腹が立つ虫・欲張りの虫・鬱の虫という三匹の虫を
駆除しなければならない。日々の介護の現場では一日に一回で良いから優しい言葉
をかけて暖かい雰囲気をつくるように心がける。声をかけてくれる人があることは、
介護される人にとって何にも増して嬉しいものなのだという。

 昭和四三年に市長から勧められて教員生活から転身した益田市のホームヘルパー
の草分けである。「収入は半減してしまいましたが、お金には換えられない人生の
宝物をたくさん頂きました」と明るく笑いながら爽やかに話す谷口さんは介護され
る人にも仕事をしてもらっている。ありがとう。ごくろうさま。お世話さまになり
ます、と感謝の言葉を述べさせるという。感謝の気持ちが自然に現れるようになれ
ば、介護する側される側の互い心のバランスがとれ、素晴らしい人間関係が生まれ
るのは明白だ。
 谷口さんのお話を聴きながら《接客の本当のコツを他人から学ぶのは不可能》と
いう言葉を思い出した。これは、宴会セールスの契約社員からホテルの総支配人に
なり『接客の極意』『接客の達人』を上梓したワシントンホテルの秋田美津子さん
の認識である。谷口さんは考えるヒントをお坊さんから頂きはしたが、地道な努力
の積み重ねで多くを悩み且つ学んで自力で菩薩心に到達し得たに違いない。

                   ★

 K市の、ある料理屋さんは店主もお内儀さんも大きな声や身振りではなく柔らか
な物腰と微笑みとで迎えてくれる。話し方も極めて穏やかである。あるとき「こう
いうものを召しあがりますか」と云いながら、さりげなく、かき餅を出してくれた。
カリコリカリ、軽やかな噛み音。四○分かけて焼いたものだった。
 八○lが女性客。どのようにして女性を魅了する接客術を身につけたのか、機会
があれば訊いてみたい。

《ただまさに柔らかな容顔をもって一切に接すべし 道元》

                                  〔了〕














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   福祉あれこれ

 みなさーん、障害者施設は虐めの温床です。

 私は、性器を洗濯バサミで、摘まれました。
 そうなの? アタシは乳首をやられたヮ。

「えっ!もう帰るつもり!」って睨まれて、夜勤明けでも3〜4時間位しないと帰
れないんです。眠〜い。


「これじゃ、食材が足りないんじゃないの?」
「きざみだから人数分なくても誤魔化せるのよ。どうせ食べやしないんだから……」
 理事会で食費の削減が決定し、通告された担当者(会社)は人員整理をし、更に
背信行為をせざるを得なくなったという。ある特別養護老人ホームの調理場の話。
 
 知的障害者訓練施設にいるんですけどォ、手厚く介護されて当然という利用者が
いるんです。面会に来る家族もビシバシ命令口調で言うんです。気分が悪くなりま
す。正直いって虐めてやりたくなります。
 
 虐めの温床? 私は医師ですが虐待は有って当然という思いがある。利用者にも
問題があるということです。


「使い捨ての手袋の使用を禁止します! 施設長」
 2年後に定年なんだってさ。
 経費浮かせて退職金にプラスしたいんじゃないの!  裏の声。

「○○クン、お話があります。ちょっと残って!」
 ○○クンは結局、上司である中年女性の色香に負けて、ツバメに。
 しばらくして○○クンは若いケアワーカーと親しくなる。目撃した施設長は、お
決まりの嫉妬で修羅と化す。
「車もスーツも時計も買って上げたでしょう」
「あんな小娘のどこがイイのよ」
「このままでは済まないわよ!」
 ○○クンはセクハラで訴えて、施設長は旦那さんに知られることに……
 女性が金と権力を握ると福祉施設でも、という例。


 父が糖尿病で半身付随になったんです。最初は可哀相だなって思ったんですけど、
こちらの都合を全く考えずに、ああしろ、こうしろって言うようになりました。
 その父がある日、インターホーンを買ってきました。何するんだろうと思ってま
したら……「コーヒー!」。
 世話をするのが嫌じゃないんです。すこしは感謝する気があってもイイんじゃな
いかって。

 ある施設では、誹謗中傷、性的虐待、暴行。なんでも有りの状況であるという。
IQ判定の不能な重度の利用者に「ノーマライゼーションだ!」と言って、仕事を
させる。しないと殴りつける。庇う者があると、今度はその介護職員が、指導とい
う名目で衆目の中で虐めにあう。それを見ているので多くの職員が、施設長ら指導
者の言動に習って、残虐な行為をする人間になってゆく。残された道は辟易して辞
めることだけだという。上級職員の会議は更に凄くて、悪口の言い合いだ。
 職業として福祉関連の仕事を志す人は普通の人と比べて遥かに豊かな情念を持っ
ている人たちだと思っていた。無抵抗なものに、どうして残虐な行為が継続してで
きるのだろう。


 潜入ルポが書けると、その施設の改善が望めるのだが、そういう所へは入り込めない。

                              〔了〕














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   ヴォランティア異聞   


「他の人のお役に立てると思うだけで自由になれるものよ。家事のような慣れてる
ことで役に立てればいいのよ。……新しいことを勉強するのは疲れるもの……」

 その認識は間違ってはいませんね。 私は「三つの”E”」を大事にしています。
 
   自分が楽しむ→enjoyment、
    相手楽しませる→entertainment、
   勇気(元気)を与える→encouragement。

 福祉で重要なのは3番目ですね。3Eは「創造への3K」とも関わる。好奇心と
感動と感性。元気になると好奇心が俄然活発になり素直に感動できるようになる。
感動は感性の働きで創造的な行動を生む。感性とはバランス感覚で、その人固有の
美学のこと。だから、私流の「その人らしく生きる」ということは、受けた感動を
再生産する行動を意味することになります。


「失礼しちゃうわよ。まるで下女のような扱いなのよ。私はヴォランティアであっ
て、雇われているんじゃないわ」

 クライアント(利用者)を異星人だと思えばいいのでは。「感心ね!このET、日本語を上手に喋るヮ」と思えば笑えるでしょう。


「アタシこの担当外れたのよ。よかった。だってワガママなんだもの」

 解ります。「……させて頂く」ことには何の異論はないけれど、クライアントに
もできることは当然ありますね。例えば、感謝することはできます。障害があって
口に出せなくても何らかの方法でね。それも含めて、心のケアは大事だと思います。
タブーででもあるかのように、それを指摘する人を見かけないのは、どうしたこと
でしょう。クライアントは皆さん、可愛い老人や可愛い障害者になることを提言し
たいんです。
 自分に素直になれない人は善意の人にも素直になれない。利用者の親族を含めてね。

                                   〔了〕














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   偏見か無知か


 西瓜に砂糖を塗して食べたり、納豆に砂糖を入れて食べたり、米飯にマヨネーズ
をつけて食べたりする人はエキセントリックに過ぎて馴染めない。
 菜食主義の人も同様だ。広島で出会い同行した豪州の女医がべジタリアンだった。
専用レストランが少ない日本の、地方都市で彼女の食物はエビが泳いでいるのでも
ない饂飩だった。毎食である。悲惨な食に閉口、辟易し「財布の中には百米ドル札
が分厚くあるのに吝な人だな」と思った。宮島へ渡る際にはホテルのシェフ特性の
サンドイッチを持参し、弥山上で昼食にした。ワインを飲みながらスモークサーモ
ン・ローストビーフ・フォアグラなどのサンドをモリモリ食べている私を、野菜サ
ンドを食べながらドクターは見て微笑んでいた。日本最後の夜は銀座で、彼女の定
番の饂飩(うどん)に野菜の天麩羅だった。

 シンガポールで仲良くなった髭の男性は「飲みに行こう」と誘っても首肯しなか
った。日本人とは一緒に食事ができないのかと訊くと、食事はいいけど酒はダメだ
という。もしやと思いムスリム(回教徒)かと質すと、そうだ! と応えた。結局、
食事だけで過ごしたが飲み直す気にもなれず満たされぬ想いを抱きながら早々に就
寝した。翌日。ドリアンなどの果物を山ほど抱えてきて「昨夜のお礼です」と微笑
んだが、彼の文化を咀嚼できずにいた私の気分は重いままだった。

 古代の、四大文明の内のエジプトとメソポタミアの二文明が現在の中東と云われ
る地域で発生し、その後もイスラムやオスマンの帝国が世界の先進国であり続けた。
西欧文明が取って代わったのは産業革命以降で三百年に満たない。その欧米の食に
慣れ親しみイスラムの食文化を奇異に感じる私の文化の本質は偏見なのか、それと
もムスリムにクリスマスカードを喜んで送った日本の商社マンの知的水準程度に無
知なのだろうか。

 メル友のテヘランの女性は、ものの本にあるイラン女性の黒い布で身体や毛髪・
顔を覆っているファションではなくGパンでスケートボードを娯しんでいる写真を
送って来た。回教には言及せず古代中国は老子の説く無為自然の道に魅かれている
と書く。イラン人即スンニー派だとは一括りにできないのだ。どんな食べ物が好き
かと尋ねたら、ソア・チキンだという。「酸っぱいチキンて何だ」と思ったが酢豚
みたいなものだろう位で思考を停止させた。主食は米だという。

 より広範な食材と料理に触れたい私には支那料理の何でも食べてやろう式が好ま
しい。病気の場合は別として会食の場で、宗教の戒律などの外力による食制限や禁
酒、自分の意思で菜食を通すという人たちとは容易には親しめない。あるアメリカ
人が日本は料理の種類も多く美味しいと言い、日本食のみならず中華・朝鮮・西洋
の料理を楽しんでいたり、ムスリムの人が母国に帰れば禁酒すると言いながら「郷
に入っては郷に従え」だと高言し美味そうに豚肉を食べ酒を飲んでいるのを見ると
き、何故か、ほっとする。

                                  〔了〕















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    癒しの人々


 そのかみの悲田施薬のおん后
    いまもますかにをろがみまつる
             ――明石海人

 『新萬葉集』で彼は素直に憧れを歌にしている。癩に罹病していた彼が存命であ
れば今年の政治の場での展開をどんな歌に詠むのだろうかと思った。聖武天皇の后
・光明子はその鮮烈なイメージの伝説で広く知られ、信仰の対象ともなっている。
 法華滅罪寺の蒸風呂で千人の衆生の垢を流し続け、最後の一人は全身痂に被われ
た悪臭堪え難い病者だった。請われるままに、こともなげに唇で血膿を吸い出し、
身体を湯で洗って癒したのだった。このおぞましい病者は実は法華寺の本尊・十一
面観世音の化身だった。明石海人ならずも、伝説を承知で憧れたり、奉ったりした
くなるのが光明皇后の癒しの魅力である。
                 
                  ◎

 「愛の反意語は無関心!」という定義をしてみせたマザー・テレサはカルカッタ
の、その名も「死を待つ人の家」で癒しを続けていた。シュバイツァーと同じ。や
ってあげているのよという人だと知人は言ったが私は納得が行かなかった。そのよ
うに決め付けられなかったし、決めつけたくなかった。
 いま、ホスピスと聞くと、似て非なるものだけれど、不思議とマザーの「死を待
つ人の家」を思い出す。近年、日本人の看護婦が一人、この家で働きだしたという
噂を聞いた。

                  ◎

 昭和天皇の后の妹宮・方子様はソウルの『秘苑』に住み続け、大東亜戦争の孤児
や朝鮮戦争の孤児など、韓国の恵まれない子供たちの養育のために生涯を捧げ尽し
て先年逝かれた。
 方子様たちの宮殿であった赤阪のプリンスホテルの旧館へ行ってみたが不思議な
感じがした。政略結婚の数奇な運命に彩られた人生は、お気の毒とか可哀想などの
憐憫の情を抱くことが恥かしくなるような、美しく偉大な生涯だった。私は、その
純粋なお心と、なんともしなやかな生き方を忘れることができない。
                                 〔了〕 















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   ビーチサイドの爽やかさん
              

 小江戸という呼称で人を集めている埼玉県・川越、栃木県・栃木の蔵造りのアー
キテクチャーは、そのほとんどが明治時代になってから建てられたものだそうだが、
水郷で知られている千葉県の佐原(さわら)にも蔵造りの街並みがあり、目を楽し
ませてくれる。やはり明治期の建築物である。
 特に懐旧趣味で生きている訳ではないのだけれど、遺跡・古寺・古建築などを見
てまわるのは、時に沈黙を強いられ、静謐な雰囲気に浸れるのがいい。

                               ★

 ひな祭りの日。鎌倉の材木座海岸の近くで、床が板張りで陳列棚も木造りという
お酒屋さんの店舗に魅せられた。
「中で飲ませて頂いていいですか?」 
「どうぞ!」
 すぐに仲良くなったゴンゾウ君という大型犬の脇に席を占めビールを飲み始める。
木の床、木の商品棚、上がり框の風情がいいですね、というと、花粉症防止のマス
クをしたお内儀さんが、近所の稲村ケ崎に住んでいた詩人が下駄で散歩の途中に、
黒光りのする上り框に座ってビールを飲んだ話をしてくれた。
 田村隆一さんはよくお見えになりました。わが家のお味噌汁をお飲みになられた
こともありました。長谷の萬屋商店と何度か書いてくださいましたしね。顔写真が
新聞に大きく載ったとき、ボクはモデルになったよ、と喜んでいました。実にいい
雰囲気ですね。この辺に住んでいたら私も毎日飲みにきたいと思いますから、田村
さんの気持ちが良く判ります。安売りのお店ができたでしょ、この商売も大変なん
です。昔からのお客さんは大事にしています。夏になるとサーフィンの若い人たち
が毎年きてくださるので楽しみなんですの。お内儀さんは爽やかで、気持ちがいい。
いろんな世代の人たちがきてくださるのですから店番日記などを書かれてみてはい
かがでしょうか? お客さんにも自由に好きな事を書いてもらったりすれば、交流
が深まるでしょうね。文才がないので。……でも楽しそうだわ。うまく書けるかし
ら。大丈夫、書けます。楽しさ優先で、うまく書こうとしなければいいんです。
 お内儀さんは話をしながらも帳簿にテキパキと数字を書き入れている。それが終
わると問屋さんにクレームの電話を入れた。注文した商品が間違って納入されたの
だ。ゴンゾウ君の頭を撫ぜながら二本目を飲んでいると、穏やかな表情の初老の男
性がきて、キラキラ光るガラスのコップでビールをゆったりと飲み始めた。ちょっ
と会釈をすると男性も会釈した。お内儀さんが最初の一杯をお酌したところをみる
と常連さんなのだろう。

                                ★

  本誌VOL×××に掲載された《清のテヌキうどん》の店に来られた衣笠に住む
元陸軍さんの戦時体験を取材にきた帰路、鎌倉は材木座のビーチサイドで私好みの
お店に出合えるとは思わなかった。
                                  〔了〕 














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      親から、誉められたことがないんです


 春先に、

> 愉しげに白髪婦人食事する、コンビニ前の石に座りて
> 『あのご婦人、無銭飲食なんです』と、そおっと囁く蕎麦屋の亭主
> 小づくりで見かけ品良き老婦人、無銭飲食常習者とか

という歌を詠んだK駅前の蕎麦屋『T』でビールを飲んでいると、面識のある初老
の男性が話しかけてきた。成績優秀で級長をやり、絵画やスポーツ、歌も抜群で活
躍したのに、両親は誉めてくれませんでした。ただの一度もです。それに年間90
日も家業の農業の手伝いをしても少しも報われなかったことが、その後の人生を狂
わせてしまいました。
 ひとしきり、人生の総括を続ける男性に、わたしは、誉めたり怒ったりする技術
は体験によって学ぶしかありません。ご両親には、怒られたことはあっても誉めら
れた記憶はほとんどなかったのではないでしょうか。誉められたことがなければ方
法がわからず誉めることができないのです。僕は、貴方のご両親は大変お気の毒だ
と思いますと応えた。
 こころもち微笑んだ男性は、再び静かに冷酒を飲み始めた。


 Tを出て、例によって斜向かいの古書店を覗く。
 『オコーナー短編集』在庫ありますか。ごめんなさい。今はありません。前に読
んだことがあったのですが、もう一度読みたくなったのです。文学書はほとんど売
れないので売れ筋しか揃えていません。仕入れの者に探させますね。お願いします。
ところで、女子高生ってオモシロイですねぇ。昨日、勉強しようと思っていたら、
お母さんから勉強しなさい!って言われたので、やる気がなくなったと言うのです。
ハイ!と応えて机に向えばいいのに、それができない。実に不思議なことです。
 マ、親は言葉ではなくて日頃から自分が学んでいる姿を見せるなどの環境作りを
していれば、こんなことはないのでしょうけれど。わたくしにも経験がありますヮ。
絵が好きで、展覧会で入賞したことがあるんですけど、親は誉めてくれなかったん
です。ガッカリしてしまいました。誉めて欲しかった。ご両親へのご不満ですね。
今日はこれで二件目です。先ほども同じような話をうかがいました。南仏での体験
ですがフランス人は、人をやたらに誉めるんです。プルコワ(どうして)って訊き
ましたら、フランス人は誉められたい、誉められたいから誉めるんですということ
でした。フランスの人たちは誉め合うのですか。ええ、太陽が微笑む南仏・プロヴ
ァンスではそうでした。着ている物から装飾品まで、ことごとく賞賛し合うのです。
買い物を済ませたお客がお店の人に礼を言うのも、そういう文化からきているので
しょうね。そういう雰囲気、習慣よろしいですわネ。

 日本人は誉めると『甘いよ!』と巡りから言われるのが心外で、めったに誉めな
くなっていますし、自分が誉められても妙な照れをみせたりして、素直ではありま
せん。誉めたり誉められたりの習慣が現在でも正常に確立していないのです。そん
な中で、ご両親は、むかしの人たちは誉められる経験が少なかったのでしょうね。
それで、誉めのノウハウを知らないのでしょう。誉めるのも、ヨイショというので
しょうか、多分に、お世辞の意味合いが強かったのでしょうね、昔は。なるほど素
直ではありませんね。誉め言葉に隠された厭味というか毒を知っているから誉めら
れても嬉しくない。毒のない誉め言葉が見つからなかったのかも知れません。暮ら
しが大変だったこともあり、むかしの人たちは優秀な学業への対応はできたとして
も音楽や絵などの才能への対応にはさぞ困惑したことでしょう。それで日の目を見
ずに消滅・消失した才能が少なくないでしょう。さあれ、自分の不遇の要因を他の
人にむすびつけるのは如何なものでしょうか。
 
 最近は人生80年以上なのですから、過去を振り返るのはまだまだ早すぎます。
そんな次元のことをヤラナイ理由にして気≠腐らせていてもはじまりません。
情熱を漲らせた良い絵画を描いて、また魅せてくださいナ。フジ子・へミングさん
の例もありますものネ。そうそう、その意気です。

                 ★

 五十がらみの男性と女性から同じような話を聞いた日、S寺ではナンジャモンジャ
の白い花が満開で、隣の公園にはカッコーの声が響きわたっていた。

                                  〔了〕

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