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ちょっと、気になる作品


♪春休みのキップ  干刈あがた♪




〔只今、製作中です。未完です。しばらく、お待ちください〕


   春休みのキップ
 
 
 3人は切符の自動販売機の上の運賃表を見上げた。
「大人(おとな)で買うのかな?」
 と進むが言った。
「3月中は小人(こども)でいいんじゃないか?」
 と小柄な春夫が言った。
「オレ、やなんだよな。今までだって何度も疑われたんだ。本
当に小学生だったのに」
 体の大きい典童が、気の弱そうな声で言った。
「大人で原宿まで買うと280円だろ。小人だと140円だか
ら、あと40円足せばハンバーガー食えるじゃん。だから一応
小人で買って、改札口で何か言われたら、4月から中学生だっ
て説明すればいいよ。それでダメなら謝って、精算することに
しようぜ」
 晴夫が、すばしこく計算して提案した。
「うん、そうしよう」
 標準的な体格の進むが言い、3人はそうすることにして、ポ
ケットからそれぞれの財布を出した。やたらビニールの会員証
入れのついているやつだ。
 典童は、レンタルビデオ屋の会員証と、〈おニャン子CLU
B〉の会員証ろ、おニャン子の1人である新田恵利の写真を5
枚入れてある。肉屋の1人息子である典童は、お父さんもお母
さんも店に出て忙しいので、新田恵利のようなお姉さんがいれ
ばいいな、と思っているのだ。
 進むは、レンタルビデオ屋の会員証と、シルベスター・スタ
ローンの〈コブラ〉の写真を1枚入れてある。そしてチャック
の金具のところにキーホルダーをつけて、家の鍵をつけてある。
進むも1人息子で、お母さんは外資系の会社に勤めている。お
父さんはいない。進は、スタローンの〈ロッキー〉の映画はぜ
んぶ見ている。
 晴夫は、レンタルビデオ屋の会員証と、学習塾の生徒証と、
そして、貯金通帳のキャッシュカードを入れてある。両親と、
お兄ちゃんと弟、それから、おじいちゃんおばあちゃんも一緒
に住んでいて、時々おじいちゃんおばあちゃんからお小遣いを
もらうので、それを貯金してもう66874円貯っている。通
帳に数字が並んでいると気持がいいので、あんまりおろしたく
ないのだ。
 今日は3人は前もって打ち合せして、だいたい3千円ずつ持
ってきた。電車賃と、お昼を軽く食べ、千円から2千円、何か
買うつもりなのだ。買いたいものがハッキリしているわけでは
ない。なんとなく原宿をぶらぶらして、何か買おうと思ってい
るのだ。
 3人はそれぞれ140円で、私鉄から山手線に乗り換えて原
宿までの通しの、小人の切符買った。改札口を通り抜ける時、
典童はなるべく小さく見せようとするように体を縮めた。
 電車に乗ると、進が典童の頭髪を見て言った。「典童はいい
よな。昔からスポーツ刈りだもんな。オレ、似合うかなあ」
 晴夫が言った。「昨日、米倉に会ったんだけど、あいつ、髪
を刈ったら、なんだかオジンみたいになってやんの。オレも、
なんかやだなあ」
 中学の校則では、男生徒は髪をスポーツ刈りにしなくてはな
らないのだが、一昨日が小学校の卒業式で、春休みに入って2
日目なので、進も晴夫もまだ坊ちゃん刈りのままだった。
「中学って、いろいろ校則あるな」と典童が言った。
「うん」と進。
「中学でも、3人同じクラスになるといいけどな」と、また典
童が言った。
「まあ、それは奇跡に近いな」と晴夫がクールな声で言った。
 3人は私鉄から山手線に乗り換えた。その時も、改札口で典
童は体を縮めた。
 春休み中の正午少し前の電車は、中学生や高校生のグループ、
大学生らしいカップルなどでだんだん混んできた。大学生が、
後輩らしい2人に、窓の外の景色をしきりに説明している。後
輩の2人は頬が紅くて、頭は丸坊主だ。私服を着ているが、詰
襟の学生服の方が似合いそうだ。きっとあの2人の高校は、頭
髪を丸坊主にする校則なんだ、と進は思った。丸坊主よりはス
ポーツ刈りの方がまだマシだ、と思った。
 渋谷でかなりの人がおりた。そして同じくらいの人が乗りこ
んできた。電車がホームを出発すると、男3人女3人の高校生
くらいの6人グループが、いやに派手な声を立てて騒いだ。3
人もおりた。
 反対側にも電車が入り、その電車からおりた人たちとで、ホ
ームはいっぱいになった。渋谷側出口に行く人と、新宿側出口
に行く人が、ぶつかっている。
「どっちへ行くんだ?」
 と典童が言った。3人は都内のはずれに住んでいるが、原宿
へ来たのは初めてなのだ。
「あいつらのうしろについて行こうぜ」
 と晴夫が、6人グループの方を指した。3人は彼らとははぐ
れないように小走りになった。
 階段をおり、地下道を通って改札口を出ると、すごい人混み
だった。信号を待つ人々のうしろに3人もくっついた。前の人
人が動き出したので、進も行列にくっついて横断歩道を渡った。
信号を渡ったところで進は振り返った。大きな典童の姿はすぐ
わかったが、晴夫が見えない。小柄な晴夫が、人の群れの間か
らちょこちょこと出てきた。
 もう、さっきの6人グループの姿は見えなかった。3人は人
の流れにまぎれこんで、すこし下り坂になっている細い通りへ
入っていった。両側には、洋服屋や食べ物屋が並んでいるらし
いが、よく見えない。お祭の時の屋台が並ぶ境内を歩いている
みたいだ。
「すげえパンクだ」
 と晴夫が言った。髪を逆立て、編み上げ靴をはいた2人連れ
の男がむこうからやってくる。1人は黒ずくめの服で、もう1
人は豹をの模様の細いズボンをはいている。2人とも顔色が悪
く、蒼白い感じだ。進はぶつからないように脇によけた。その
途端に、アクセサリー屋の店先のワゴンのところにいた。3人
の女の子の1人とぶつかった。
「ごめんなさい……」
 女の子が小さな声で言った。
「いえ、こちらこそ」
 進も小さな声で言った。しかし、うしろから人波に押されて、
そのまま前に進んだ。ちょっと残念だった。
「おい、あそこにいるの矢崎君じゃないか? 矢崎先輩だよ」
 と、典童が言った。
「どこ?」と晴夫。
「本当だ。矢崎先輩だ」
 と進はすこし震える声で言った。小学校の時のサッカー部の
先輩が、赤いジャンパーを着て、女の子の肩を抱いて歩いてい
るのだ。
「先輩も1中だよな」
 と言う典童の声もすこし震えているようだった。進は、自分
たちの行く普通の中学校の、こんど3年生になる先輩が、女の
子の肩を抱いているなんて信じられない気がした。
「どこどこ?」
 2人の声に影響されたのか、晴夫もささやくような声で言っ
た。
「あそこ。緑色の服を着た女のむこう」
「本当だ」晴夫もうわずったような声を出した。「すげえ……」
 矢崎先輩の姿は、たちまち見えなくなってしまった。
「たしかに先輩だったよな」
 典童が言った。進も、なんとなく、幻を見たんじゃないかと
いう気がしていた。矢崎先輩は、とくに不良っぽくもなく、普
通のサッカー部員だった。
「あの女の人、一中の生徒かなあ」
 と晴夫が言った。女も人、という言い方はなんだか変なよう
な気がしたが、どう言えばいいのか進にもよくわからない。
「さあなあ」
 と典童が言った。一中には二つの小学校から生徒が入るので、
知らない女生徒もいるのだ。
 3人は店を1軒ものぞかないうちに、その通りから押し出さ
れて、大きな通りとの交差点に来てしまった。3人は途方に暮
れて顔を見合せた。
「腹すいたな」
 と典童は言った。
「うん」
「なんか食おうぜ」
 晴夫と進も言った。
 細い通りには、ハンバーガー屋やパフェの並んだケースのあ
る店や、いろいろな食べ物屋があったようだが、どこに何があ
ったのか、進はさっぱりわからなかった。
「むこうへ行ってみようか」
 と進は、大通りに沿った歩道を指さした。そっちにも、人々
が流れている。
「うん」
「そうだな」
 と晴夫も典童も言って、3人は並んで歩き始めた。細い通り
よりは、店先を1軒1軒見て歩ける。食べ物屋も何軒かあった
が、3人は喫茶店やスナックには入ったことがない。扉のある
店には入りにくいので、店の前に来るたびになんとなく顔を見
合わせ、そのまま通り過ぎた。
 店先がオープンになっているカウンター式のハンバーガー屋
の前に来た時、そこにさっき電車の中で一緒だった男3人女3
人の6人組が、ハンバーガーを食べているのが見えた。ほかに
も何組かの、中学生や高校生くらうのグループがいる。
「ここにしようか」
 3人はその店に入っていった。
「オレさあ、何か、おニャン子のキャラクター商品買いたいん
だ」
 と典童がハンバーガーを食べながら、まわりのグループに聞
かれるのをはばかるように低い声でささやいた。
「おニャン子なんて、もう落ち目なのに、ようがんばるよ」
 と晴夫が言った。
「いいんだよ」
 と典童が、怒ったように、恥ずかしそうに言った。進は、晴
夫の言い方はちょっとひどいような気がした。
「どんなもの?」
 と進が典童に聞いた。
「わかんないけどさ」
「Tシャツとかバッジとか、あるかもしれないな」
 と進は言った。細い道の途中で、顔が印刷されたTシャツが
店先にぶらさがっているのや、ワゴンにバッジが並んでいるの
を見たのだ。おニャン子のがあるかどうかはわからないが。
「もう一度、さっきの通りへ行ってみようよ」
 と進が言った。
「うん、むこうの方が面白いな」
 と晴夫も同意した。
 店を出ると、3人は大通りに沿った歩道を、さっきの交差点
のところまで戻った。そして細い通りにまた入っていった。今
度は店先がよく見えるように、なるべく道の端を歩いた。古着
がたくさんぶらさがっている店や、靴屋や、ケーキ屋があった。
その道からさらに、路地のような道が分かれている角のところ
で晴夫が言った。
「むこうへ行ってみよう」
 その路地には、店というより屋台のような小さな店や、ベニ
ヤ板の看板のようなところにアクセサリーやTシャツをぶらさ
げてある店などが並んでいる。3人はその路地に入り、看板に
並んでいるものを一つ一つ見ながら歩いた。
「バッジがあるよ」
 進が幾つか先の看板を見て言った。その看板のところには、
髪を黄色く染めてジージャンを着た男が立っている。でも、お
っかなくはなさそうだった。
 3人はバッジの並んでいる看板の前に立ち、新田恵利の写真
の刷りこまれたのがないかどうかさがした。
「おい、あったぞ」
 と晴夫が叫んだ。典童と進も覗きこんだ。本当に、新田恵利
のバッジがあったのだ!
「よかったなあ」
 と進は言った。晴夫がそれを見つけて教えてやったことで、
さっきの晴夫のちょっとひどい言葉が帳消しにされたような気
がした。
「シルべスター・スタローンのがあったら、オレも買うよ」
 と進は、典童が買いやすいように言った。今度は3人で、シ
ルべスター・スタローンのをさがした。
「また見つけたぜ、名人だね」
 と晴夫が指さした。本当に、スタローンのもあったのだ!
「晴夫は買わないの?」
 と進は聞いた。
「オレはいいよ。なんか、もっと価値のあるものをさがすよ」
 と晴夫が言った。こんなガラクタ、と晴夫が言わないうちに、
進は急いで、おどけて言った。
「どうせオレたちは幼稚だよな。典童、買おうぜ」
 看板にはマジックで〈1個3百円〉と書いてあった。2人は
財布からそれぞれ3百円出した。髪を黄色く染めた店番の男は、
一言もしゃべらずに金を受け取り



「すいません」
 と進が言うと、相手が言った。
「すいませんですむかよ」
 進はドキンとした。
「ちょっと来いよ」
 ぶつかった少年は進の腕を取り、店の並びのとぎれる方へ引
っ張っていく。店番をしている男が、無表情にそれを見ていた。
相手の連れの2人が、それぞれ典童と晴夫を促した。店のとぎ
れた先の角で曲ると、相手の3人組が進たち3人を取り囲んだ。
「千円ずつ出せ」
 と、ぶつかった少年が押し殺したような声で言った。進は自
分の膝が震えているのを感じながら、思いきって言った。
「ぶつかったのはボクですから、ボクが出します。ボクだけに
してください」
 ふだんはオレと言っているのに、あらたまるとボクになって
しまう。
 進は必死になって相手の顔を見つめた。相手は私服を着てい
るが、頭は丸坊主だ。柔道部のキャプテンみたいな、真面目そ
うな顔をしている。
「いいから出せよ、早く」
 という言葉がなんとなくそぐわない感じがした。
「出します」
 と典童が言って、財布から千円札を出した。晴夫も出した。
進も出した。それを前に立った男が取ってから言った。
「帰りの電車賃はあるか?」
「あります」
 先輩から聞かれたように、進は思わず答えた。
「すまない。オレたちもヤラれて、一文なしなんだ。ごめんよ
な」
 と言った途端に相手の唇が震え、眼に涙がにじんだ。が、す
ぐに彼は「逃げろ」とほかの2人に言い、駆け出した。角のと
ころまで進たちも駆けていき、走っていく3人の後ろ姿を茫然
と見送った。店番の男が、それを無表情に見ている。
 進は頭の中が真っ白になってしまったような気がした。それ
から我に返って、典童と晴夫に言った。
「ごめん……」
「相手の方からぶつかってきたんだから」と典童が言った。
「気にすんな」と晴夫も言った。
 3人なんとなく歩いて、店のいっぱい並んでいる人通りの多
い道に戻っていった。そして人混みの中にまぎれこんだ。進は
何も見たり考えたりできなかった。やたらに人とぶつかった。
「今日はもう帰ろうか」
「うん、そうしよう」
 進を両脇からかばうように歩きながら、典童と晴夫が言った。
進はただ2人と一緒に歩いていった。
 駅の切符自動販売機を見上げて典童が言った。
「オレ、やっぱり大人の切符を買うよ」
「オレも」
 晴夫が言った。進むは黙って大人の切符を買った。往きは小
人の切符で電車に乗った3人の少年は、帰りは大人の切符で電
車に乗った。■

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