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女の器量はことばしだい 広瀬久美子


スリリングな会話は無上のダイエット――『131スタジオ』終末の午後!!!

「土曜サロン」はほとんどぶっつけ本番

 よいインタビューとは何か――ディレクターの書いた
質問事項を、とちらず、上手に読むこと――。この嘘の
ような本当のお話は、けっこう大番組のなかでまかり通
っていることなのです。まあ、あまり時間もなくて、次
次追われるような構成ですと、そうならざるをえないこ
ともあるのですが……。
 その点、わが弱小企業『土曜サロン』はリハーサルは
もちろんのこと、打ち合わせもあまりことこまかにせず、
「お家に帰ったつもりで話してくださいね」
 くらいしかお願いしていないのです。
 ただ、1時間近くもお話をうかがうのですから、ゲス
トの方についての下調べ、事前調査は、できるかぎり丁
寧にしておきます。
 実際、新聞の切り抜き資料をくわしく読んでいるだけ
で、ゲストの方の一つの像ができあがります。そして、
実際にマイクをはさんんで、二人だけでむかいあってお
話していくと、できあがった像と、実際の像との違いが、
面白いようにわかることがあるのです。つまりは、でき
あがった像を使って、実際の人物像を浮かびあがらせる、
ということになるでしょうか。
 これは、本番前に打ち合わせやリハーサルをして、そ
のとおりに進行させる方法では、けっして出てこないの
です。この方法ですと、話がうわすべりしがちですし、
二人ともすでに知っている話をくりかえすことになり、
スリルに乏しい、死んだ話になってしまいがちですから。
 その点、ほぼぶっつけ本番ですと、ゲストの方も話が
どう展開するか緊張しますし、私もまた、どう進行させ
ようかと、放送の間じゅう気を抜くことができません。
この緊張感が、なんともいえない雰囲気をかもしだすの
です。
 この緊張感は、おたがいの息づかい、二人を支配する
雰囲気などから、ごく自然に発生してくるものですが、
同時に、聴いてくださる方々をも、自然に引きこんでし
まう効果があるようで、みなさんからもその点について
のお便りを多くいただきます。
 もともと私は、お手本どおりの、きちんとしたインタ
ビューが苦手なのです。というのは本人が非常にいいか
げん、ということもあるのですが、局に入ってまもなく、
二、三分のインタビューをしたところ、
「面白いが、順番がちがう」
 と、上司の忠告があり、それ以来、インタビューのた
びに、「順番、順番」と質問の順番ばかり気になり、う
わの空になってしまうのです。
 たとえば、ABCと三つの質問をしたとします。そし
てAについて尋ねますと、相手はAについて答ます。そ
の間、私はBを切り出すタイミングばかりを気にしてい
ます。そうすると、相手がAについてどんな答を出して
いるのか、まったくうわの空で聞いているというわけで
す。
 話というのは、生きもので、一つ一つつながったもの
ですから、ちょっとでも気を放すと、わからなくなって
しまいます。できるだけ、相手の目を見て離さず、じっ
と全身で聞いていれば、次の質問事項は、考えずとも自
然に出てくるものですし、それは、あらかじめ用意され
た質問とは、大幅に違うことのほうが多いのです。
 こうしてうかがうことは、仮にABC、ききたいこと
が三つあるとしても、その順番は問題でなく、Cからは
じめることも、あるいはBからのとき、ひいては、Aに
ついてのみしぼられて、その話が深められて終る場合も
出てくるわけです。そのほうが、ABCと筋書どおりの、
聞いているほうもなんとなく予想できるインタビューよ
り、どこへ話が展開するかわからないという、スリルと
サスペンス(?)にあふれた面白さが出て、生き生きとし
たものになるのです。
 相手の本音や、意外性は、きまりきったものからは、
ほぼ引き出せません。歌手の方の場合でも、「ヒット曲
を出すまでの苦労」「下積み時代」「現在の心境」「今
後の抱負」と、一応のパターンは頭のなかにいれておく
としても、その場の雰囲気や状態を見て、どんどん変え
ていく、当意即妙のキャッチボールのなかから、ついつ
られて、びっくりするような話が出たりするのです。
 そうはいっても、いつも思うようにいくものではあり
ません。「糠に釘」の恐怖を味わうことが幾度もありま
したから。
 そんなとき、砂を噛むような思いで、「ああ、ディレ
クターの書いたとおりに読んでいればいいなんて、うら
やましいなあ」と、あらためて「よいインタビュー」に
思いをはせるのです。

「食うために、最低これだけのサービスはしなきゃ」 「出たとこ勝負のインタビュー」の感がある、私のやり 方ですけれど、これに似た話を『下町の玉三郎』こと梅 沢富美男さんと、座長の兄、武生(たけお)さん兄弟から、 うかがったことがあります。  言葉の面から見ますと、役者さんの場合は、「セリフ 」ということになりますが梅沢劇団の場合は、同じ演し 物でも、日によってセリフやストーリーを変えていくそ うです。  なぜか、というと、お客さんのなかには、何回も何回 も見にきてくだる「ご贔屓」もいるわけです。当然、お 芝居のストーリーは頭のなかに入っていて、「この次の 場面で笑わせるな」と、先を読まれてしまう。  そこですかさず、急にストーリーを変え、アドリブで 進路変更するわけです。そこでまた「ご贔屓」はびっく りして、あきずに、新しい期待を持ちながら、ずっと見 にきてくださる、ということになるそうです。  たしかに、見る側からすれば、一度見た演し物でも、 同じ演技、同じセリフはないわけで、油断はできず、わ くわくしてしまいます。  いつ行っても、楽しませてくれることになりますが、 演じる側は、大変な芸の幅と、深さを、要求されること になります。お客の反応を見ながら、その場でセリフを 次々変えていくには、たいへんな緊張感と芸の「引き出 し」を無数にもっていなくてはなりません。   富美男さんは、お芝居では、三枚目中心。ところがあ る日、久しぶりに二枚目の役がまわってきました。やれ うれしやと、かっこつけて演じていたところ、急に殺さ れそうになりました。「あれっ」と思いつつ必死で抵抗 したものの、とうとう殺されてしまいました。舞台から ひっこんで、 「話が違うじゃないか! どういうことなんだ!」  とつめよったところ、お兄さんの武生さんが、客席の 反応を見て、 「あ、これは、ひっこめたほうがいい、失敗だ」  と判断、あえて、役に喜ぶ富美男さんを殺したという ことでした。  主役が演じているうち、話の筋が変るというのは、い ささか空恐ろしくもありますけれど、お客も役者も、「 何がおこるかわからない」というのは強烈です。  有名な早がわりにしても、ノンキな父さんのような三 枚目を演じていた富美男さんが、ものの十分もしないう ち、奇麗な女形に豹変してあらわれる「意外性」がうけ るわけで、別人かと思うような姿に、客席からは「ヒェ ―ッ」とか「かわいーッ」とか、時には、「まあ、きれ い」といった感嘆の声さえ聞かれます。  どんなに客席の暗い劇場でも、舞台の灯りさえあれば、 お客様の顔はちゃんと見えるとのこと(事実私が坐って いた場所もご存じでしたが)。こうしていつも、客席の 反応、舞台を見つめる人の心の動きを観察しながら、あ きさせないよう、退屈させないよう、気をつけている、 とのことでした。  武生座長は、 「食うためには、最低これくらうのサービスはしなくっ ちゃ」  といっておられましたが、マンネリに陥らず、あきら れることなく続けていくには、こうした毎日の努力は不 可欠なのだと思います。  あれだけの努力とサービスはおそらく、舞台の上のみ ならず、万人、とくに女性に注がれるのは当然のこと。 快く思わぬ女性がいたら「ヤボ」というものでしょう。 でも、先日、中曽根首相に招かれた時、「ヤボ」用での 記者会見のため、出席が大幅に遅れてしまったのは残念 なことですが、努力とサービスは疲れるもの、どうぞ疲 れ過ぎないようにと、お祈りしています。  私も、ともすれば投げだしたくなるようなことがあり、 そういうときはいつも、ご兄弟のファイトぶりを思い出 して、毎回、なんとか頑張っているのです。もちろん、 「仕事」で、です。
「何を言えばいいのでしょうか」

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