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ちょっといい話


♪♪♪ 砂場の少年 灰谷健次郎 新潮文庫 ここでは一部をお目にかけますが……是非、本をお手にとられてお読みになられますことをお勧めします ♪♪♪

『砂場の少年』のあとがき≠ノ、
 教育は日々、営まれているのだから、その現場につな
がる人々に、勝手なことをかくなと叱られるのもつらい
し、さりとて、我が思いの丈を削って述べるのも、また、
つらい。
 教育と、その現場をかいたのではなく、そこに生きる
教師や子どもらと、わたしは共に生きさせてもらった、
と思いたい。
 そんな小説をかくことがわたしの願いだった。
『兎の眼』や『太陽の子』を読んだ若い人から、教師に
なるのが怖い、教師をしているのが怖い、という思いを
よくきかされた。
 わたしはそういう人々にこそ、この小説を読んでもら
いたいと願っている。


◆なるほど《『兎の眼』や『太陽の子』を読んだ若い人
から、教師になるのが怖い、教師をしているのが怖い》
と、そういう読み方をする人がおられるのですねぇ。
――Webmaster


     1


 はじめに西文平のような少年に会ったのも何かの因縁
だなと、葛原順は思った。
 着任して、教頭先生から職員室の席を指定してもらっ
ているとき、そのちょっとした事件は起こった。
「……しんぼうにも限度というものがあるやろがい。わ
しは、もうここへなんぼ足を運んどるんや」
 突然、激昂した声がきこえた。
 そこが職員室だったので、葛原順はびっくりした。
 大きな声を発した男の前に、中年の女教師がいる。
「四回もここへきとるんや。授業が終わるまでじっと待
たされてやで。え、あんた、いったい何さまや。学校の
先生ちゅうのはそないにえらいンかい」
 男の剣幕に気圧されて、その女教師は青ざめている。
そんないわれ方に、腹も立っているらしく、唇の端が細
かく震えていた。
「形が気に入らん、色が好みに合わん、そういうのは物
を買う方の勝手やけど、その都度足を運ぶ人間の身ィに
もなってくれ。アイロン一つ売ってなんぼの儲けになる
と思うとるんか商売人にとっては時間は金のうちや」
 まあまあと教頭先生はふたりの中に割って入った。
「学校の先生は世間知らずで常識はずれの人間が多いと
きィとったけど、わが身に降りかかってみると、ぞっと
するぞ……」
 ……そんで、よう、人さまの子ォが教育できるな、と
男は血走った目でその女教師を睨みつけた。
 ここではなんだから……と教頭先生はなだめるように
男の肩を叩いた。
「ここにおる先生のみんなにきいてもらいたいから、わ
しは大声出しとるんじゃ」
 と男は叫ぶようにいう。
 職員室の隅に、1人の男生徒が立たされていた。
 妙なあんばいになっていく職員室の空気に、具合が悪
いと思ったのか彼を立たせた教師が、わざわざ立ってい
って
「もうよい。教室へ帰れ」
 と少年にいった。
「もう少し立っていますよ」
 その少年はとぼけたようにいった。
「いいから帰れといったら帰れ」
 少し低い声で、しかし、いらいらしたようすを露骨に
見せて、その教師はいった。
「まいったなあ」
 少年は小さな声で、わざとらしく呟いた。が、少年は
体を移動させようとはしなかった。
「……わしが廊下に立って長い時間待っている姿を、あ
んたらも見ていたやろが。え。あんたらも同じ穴のむじ
なか」
 男は教頭先生の手を振り払うようにして、職員室にい
る教師たちを睨みまわしていった。矛先が自分たちに向
いてきて、ある教師は苦笑いし、ある教師は当惑したよ
うに隣の同僚と顔を見合わせたりした。
「ま、ま、校長室で静かに話しましょうや。ねえ、あな
た」
 教頭先生はふたたび男の肩を叩いた。
「なんでわしが校長室に行かなあかんねん」
「…………」
 立っている少年がくすっと笑った。
 教頭先生は少年を見つけて
「なんだ君は? どこのクラスだ」
 とたずねた。
「三年C組です」
 教頭先生はちらっと葛原順を見た。
「あなた、ちょっと待ってくださいよ」
 と教頭先生はとりあえず男にいった。
「葛原先生。ちょうどよかった。あなたの受持ちの生徒
がここにいました。彼に教室を案内させますから」
 あちこちに気を遣いながら、忙しく教頭先生はいった。
 新任の教師と生徒には、この場から一刻も早く去って
もらいたいという気持ちがありありと見える。
「ちょっと待ってくださいよ、あなた」
 教頭先生はもう一度、男にいった。
「なんや」
 男はあきらかに不機嫌だ。
 気勢を殺(そ)がれ、その気分が口調に出ている。
「ま、ま、ま。すみません」
 教頭先生は男を抑えた。少年に何かいった。それから
手招きして葛原順を呼んだ。
「彼は三年C組の生徒です。彼に案内させますから教室
へいってください。わたしがついていけばいいんだが、
なにさまこんなようすだから……」
「そう……ですか……」
 教頭先生の方ではなく、怒鳴りこんできた男の方を見
ながら、葛原順はちょっと煮え切らないような態度でい
った。
 事の顛末が気になるふうだ。
「君ィ。この先生を君のクラスに案内しなさい。さっき
話した君たちの新しい先生だ」
 少年はずっと葛原順を見ていたようだ。小さくうなず
いた。
「じゅ、お願いするか」
 葛原順はいさぎよくいった。
 職員室を出るとき、少年は臆することなくかなり大き
な声でいった。
「おじさん。いいたいことはいっといた方がいいよ」
 怒鳴りこんできた男は、びっくりしたような顔をして
少年を見た。
 廊下を歩きながら、葛原順は少年にたずねた。
「君はどうして職員室に立たされていたんだい?」
「授業中、ノートにマンガを書いていたからです」
「よく立たされるの?」
「しょっちゅう」


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