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教師の仕事


教師の仕事の成果!


   仏様の指

 終わりに、私の好きなお話をご紹介したいと思います。
 私はかって、都立八潮高校(当時、府立第八高女)在職
のころ、奥田正造先生の毎週木曜の読書会に参加してい
ました。奥田先生は、そのころ成蹊女学校の主事をなさ
っていました。先生は私が今日までお会いした先生の中
で、いちばんこわい先生でした。それで、読書会に行く
ときも、気をつけて、どなたかがすでに到着しているあ
と着くように、つまり、先生と二人にならないように気
をつけておりました。その日も、私は、じゅうぶん計算
して行ったのですが、どうしたことか、だれもまだ見え
てなく、私は先生と二人きりになってしまいました。
 先生の前でかしこまって緊張している私に、先生は急
に、「どうだ、大村さんは生徒に好かれているか」と、
お尋ねになったのです。私は、はたと返事に困りました。
好かれていると言えばどういうことになるか、好かれて
いないと言えばどういうことになるか。瞬間、子どもの
ようにぶるぶるふるえてしまいまして、やっと、「嫌わ
れてはいません」という、へんな返事をしました。先生
は「そう遠慮しなくてもいい、きっと好かれているだろ
う。学校中に慕われているに違いない」と言って、お笑
いになりました。私は、どうしてよいかわかりませんの
で、下を向いてもじもじしていますと、先生が一つの話
をしてくださったのです。
 それは「仏様がある時、道ばたに立っていらっしゃる
と、一人の男が荷物をいっぱい積んだ車を引いて通りか
かった。そこはたいへんなぬかるみであった。車は、そ
のぬかるみにはまってしまって、男は懸命に引くけれど
も、どうしても車は抜けない。その時、仏様は、しばら
く男のようすを見ていらしたが、ちょっと指でその車に
おふれになった。その瞬間、車はすっとぬかるみから抜
けて、からからと男は引いていってしまった」という話
です。「こういうのがほんとうの一級の教師なんだ。男
はみ仏の指の力にあずかったことを永遠に知らない。自
分が努力して、ついに引き得たという自信と喜びとで、
その車を引いていったのだ」こういうふうにおっしゃい
ました。そして、「生徒に慕われているということは、
たいへん結構なことだ。しかし、まあいいところ、二流
か三流だな」と言って、私の顔を見て、にっこりなさい
ました。私は考えさせられました。日がたつにつれ、年
がたつにつれて、深い感動となりました。そうして、も
しその仏様のお力によってその車がひき抜けたことを男
が知ったら、男はひざまずいて感謝したでしょう。けれ
ど、それでは男の一人で生きていく力、生きぬく力は、
何分の一かに減っただろうと思いました。仏様のお力に
よってそこを抜けることができたという喜びはあります
けれども、それも幸福な思いではありますけれど、生涯
一人で生きていく時の自信に満ちた、真の強さ、それに
ははるかに及ばなかっただろうと思う時、私は先生のお
っしゃった意味が深く深く考えられるのです



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