『天才の勉強術』木原武一 新潮選書


変身にとりつかれた画家 ピカソ

■もっとも効果のある学習法
■親の役割
■模写による訓練
■はじめは美しく、最後は醜く

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もっとも効果のある学習法
「学ばずしてすべてを知ることが偉大な芸術家の特徴の
ひとつである」と、フランスの偉大な劇作家のモリエー
ルは言っているが、けっしてそんなことはない。偉大な
芸術家をはじめとして、世に天才と言われている人びと
はすべて「勉強」の成果であったというのが私の持論で
あって、学ばずしてすべてを知るというように思い込ん
でいるとしたら、それはとくに意識することなく学んで
いるということなのである。もっとも効果のある学習法
とは、学んでいるということじたいも意識することなく、
知識や技術を吸収することである。そういうことがごく
自然に実践されているのが、人間がこの世に生れ落ちて
からの数年間であって、ピカソのばあい、そういう「最
初の勉強」がほぼ理想的に行われていたようである。
 ピカソは言葉をおぼえるより前に絵を描いて意思を伝
え、最初に口にしたのは「鉛筆」という言葉であった。
鉛筆と紙を与えられると、何時間も飽きることなく螺旋
模様のようなものを描き続けたというが、要するになぐ
り書きをしていたもので、このあたりはピカソでなくと
もたいていの子はしていることである。
 ここで記しておかねばならない大事なことは、ピカソ
の父親は学校で教えていた画家であったことである。父
親はいつも家では絵を描いていたはずである。もの心つ
いたばかりのピカソがしていたことは何かといえば、要
するに、父親の真似をしていたのである。
 子供はだれでもはじめは自分のもっとも身近にいる者
の真似をするものである。真似ることが学ぶことの出発
点である。子供を見れば親がわかるというのは本当であ
る。子供は親の反映である。子供ほどすなおな学習者は
いない。ピカソのばあい、そこに絵を描いている父親が
いて、ピカソは無心にその真似をしていただけなのであ
る。彼にとって、それが最初の勉強であり、生涯にわた
って続くことになる勉強の発端だったのである。
 ピカソのように画家の子供ではなくとも、もの心つく
三、四歳の頃から、クレヨンや鉛筆と画用紙を与えてお
くと、一日中、飽きることなく絵を描き続ける子供がい
る。大人をはっとさせるようなすばらしい絵をいつのま
にか描いている子供もめずらしくない。私の親戚に、当
時はやりの鉄人28号という漫画の主人公をいろいろな
角度から自由自在に即座に描いてみせるという子供がい
た。うしろから見たところや上下から見たところなど、
いまで言えばコンピュータグラフィックで映し出すよう
に描くみごとさに、親はもちろん親戚一同、拍手喝采し
たものだった。ところが、小学校にはいってとたん、そ
の子は絵を描くことをやめ、好きな絵を描いていたとき
の目の輝きも失われてしまった。その子の母親は小学校
の図画の先生がいけなかった、と言っているが、それも
ひとつの原因かもしれない。しかし、それよりも、その
子の絵の才能の発展についてだけ言えば、自由に絵を描
く時間を奪うことになる小学校での教育全体がむしろ障
害になっていたのである。しかし、いまどき未来のピカ
ソになるかもしれないわが子のために義務教育を拒否で
きるほど勇気のある親などいないだろう。しかし、ピカ
ソの父親はそういう勇気ある親だった。

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親の役割
 このようなピカソの「勉強」のありかたにたいして、
いくらわが子に絵の才能があるからといって、絵だけ好
き勝手にやらせておくわけにはいかない、と考える親も
多いことだろう。それももっともである。ピカソのケー
スは、非常に危険な選択であって、だれにでもすすめる
わけにはいかない。肝心なのは、親の心構えと信念と勇
気である。親に自信があれば、それが子供にも乗り移っ
て、子供は期待以上の能力を発揮するはずである。自分
が信じてもいないことを、子供に期待することほどおろ
かなことはない。この点では、ピカソの父親も母親も、
子供に全幅の信頼をおいていた。母親はピカソにこう言
っていたという。
「おまえが軍人になれば、きっと将軍になれるし、僧侶
になれば、ローマ教皇にだってなれる」
 そして、自分の息子は学校で何も教わってこなくとも、
すでに何でも知っている、と思いこんでいた。
 ここですぐ思い浮ぶのは、アメリカの発明王エジソン
の母親のことである。小学校の校長に可愛い息子を馬鹿
よばわりされたため、学校をやめさせて自分ひとりで未
来の発明王を教育した、あの母親である。エジソンの母
親が立派なのは、周囲の見方に左右されることなく、わ
が子の能力を過大評価したことである。『大人のための
偉人伝』のエジソンの章で触れたことがあるが、親は自
分の子供の能力をいかに過大評価してもしすぎることは
なく、そういう「親馬鹿」こそ、子供の持てる力を伸ば
す立派な親なのである。いったい子供がどれくらいの潜
在能力の持主なのかはだれもわからない。過大に見積も
って悪いはずがないのに、それを穏当なところで評価し
て、ある限界のなかでしか子供を見ることができないの
が、「親馬鹿」なのである。
 そういう意味では、ピカソの母親は理想的な「親馬鹿」
である。一方、父親のほうは、いつも自分の真似をして
絵ばかり描いている息子の才能に注目し、ピカソの最初
の、そして唯一の教師として絵画の初歩から手ほどきし
た。ピカソは十歳のとき、父親が教師をしている美術学
校に入学し、父親のクラスで学ぶことになった。父親は
家に帰ってからも息子に教えるというぐあいで、このあ
たりから絵を描くことを中心としたピカソの人生が本格
的にはじまった。
 ピ歌詞の回想によると、父親は死んだ鳩の足を切って、
板にピンでとめ、それを納得がいくまで細かく写生させ
たりしたという。また、人間の手の写生をことのほか重
視して、手のデッサンを見れば、画家の腕前がわかる、
と教えていたという。ピカソの絵で人間の手が表情ゆた
かにことさら強調されて描かれているのも、父親の教育
の影響よるものにちがいない。もちろん、美術学校での
ピカソの成績はほとんどいつも最優秀だった。
 こうして父親による教育は続くが、彼がとくに重視し
ていたのはデッサンである。デッサンがきちんとできる
までは、絵具を使ってはいけないと教えられていたピカ
ソは、「私ほどデッサンの練習を積んだ者はいないだろ
う」と言っている。
 そして、ピカソが13歳のとき、生徒が先生をこえる
日がやってくることになる。父親は息子が自分よりも上
手に絵を描くのを見て、自分の絵筆と絵具をピカソに与
え、絵を描くことをやめたというのである。先生として
生徒に教えることがなくなったというわけであるが、こ
れと同じような話がルネサンスの偉大な画家、レオナル
ド・ダ・ヴィンチについても伝えられていて興味を惹く。


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■模写による訓練

 美術評論家の高階秀爾氏は『ピカソ――剽窃の論理』
のなかで、「ピカソほどすぐれた創造力を示しながら、
その代表作のほとんどに剽窃の影がうかがわれような作
家はまったく他に例を見ない」と言っている。
素人目には実に独創的と見える作品も、専門家の目には
ピカソがどこから借用したかはお見通しのようである。
ピカし自身もそのことを別に隠そうともしない。むしろ、
彼はそれを堂々と行っているのである。多少の美術の知
識のある人にはすぐわかるような借用も少なくない。
 たとえば、1951年に描いた『朝鮮の虐殺』などは
そういうわかりやすい一例である。朝鮮戦争から想を得
たこの作品には、はだかで立っている女の群像と、それ
に銃を向けている兵士が描かれているが、構図はゴヤの
『5月3日の処刑』という作品とそっくりなのである。
ピカソはゴヤの絵の構図に似せて描いたと言ったほうが
いい。もちろんゴヤのこの作品はピカソの熟知するとこ
ろであって、これなどは完全な借用の一例である。
 借用や真似がさらに進むと模写ということになるが、
実は、模写はピカソにとって重要な仕事の一部でもあっ
た。
 彼は言っている。
「他人を模写するのは必要なことである。しかし、自分
を模写するのは哀れなものだ」と。
 
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はじめは美しく、最後は醜く

 ピカソは芸術においてあらゆる可能性を試み、たえず
変化を求めたが、女性についても同様だった。女性は彼
にとって勉強の最大の敵でもあったと言ったが、同時に
女性は彼にとって創作の最大の源泉でもあった。女性遍
歴から学んだ詩人ゲーテと同じように、ピカソも次つぎ
と登場する女性から霊感を得て、それを作品に刻印した。
 ピカソの絵画のスタイルの変化も、女性との出会いと
密接に関係している。パリに来て間もない頃、ピカソは
失恋のために自殺した親友の死をきっかけに、青い色調
で人間の孤独や苦しみをテーマにした絵ばかりを描きつ
づけていた。ところが、フェルナンド・オリヴィエとい
う女性と出会い、同棲するようになってからは、バラ色
の明るい色調が画面を支配するようになった。
 ピカソの生涯には、長期間にわたって同棲したり、結
婚したりした女性が全部で7人ほど登場し、いずれもモ
デルとなって絵のなかに描かれている。彼女たちの写真
と絵を見較べれば、そこに描かれているのがだれである
かほぼ一目瞭然である。そして、ほとんど例外なく、彼
女たちははじめは美しく、最後には醜く描かれているの
である。



 美しいものばかりが絵ではないというのがピカソの考
えである。美と醜とが混在するのが生きている人間の現
実である。もちろん彼は女性の美を強く印象づける作品
も描いたが、彼の新しさは、残酷なまでに女性を醜く描
いたところにあると言っていい。変幻きわまりない美と
醜が交錯し、いくら描いても描ききれないもの、それが
人間の顔であり、人間の顔ほど人間に訴えかけるものは
ない。ピカソの「変身」は、そういう人間の姿を描き出
すために必要な試みだったのである。

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