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ちょっといい話


南極のペンギン 高倉 健 

      『南極のペンギン』


 びしっ、びしっ、びりっ、びりっ、びりびりびーっ。
 氷のわれる音があたりに鳴りひびく。ぶきみな音がた
えまなく聞こえる。その音におびえて、犬ゾリの犬たち
がとおぼえをする。
 波の形のまま凍ったような氷がつらなっている。そん
な氷原が、いけどもいけどもつづく。 
 犬ゾリ隊のコリン隊長が、ピッケルで氷原をたたきな
がら前にすすむ。彼は腰に、3bくらいある長いサオを
さしている。クレバス(氷山の割れ目)に落ちても、この
サオが支えになって、転落しないですむようにだ。
 コリン隊長は慎重に、少しずつ前にすすむ。そのあと
に、雪上車と犬ゾリがつづく。ぼくは犬ゾリをおし、氷
のうえを歩いていた。
 ここは南極大陸だ。
 北極から帰って半年後、また撮影のため南極へいった。
この旅で、ブリザードのほんとうのおそろしさを思い知
った。
 北極よりさらにきびしい寒さのため、南極に生息して
いるおもな生き物は、アザラシとペンギンだけだ。
 でも、各国の観測基地があり、ここで働いている人間
はいる。ぼくらはニュージーランド政府の許可をえて、
この国が持っているスコット基地の世話になった。
 南極に着いてすぐサバイバル訓練をうけた。テントの
はりかた、食事やイグルーのつくりかた……。イグルー
というのは、かたい氷を切りだし、それを積みかさねて
つくる小さな穴ぐらだ。人間がひとり入れる。
 こうした訓練のあと、ペンギンがたくさんいる場所へ
撮影にいった。蔵原監督と、椎塚カメラマンとその助手、
それにぼく。ニュージーランドの犬ゾリ隊の隊員4人が
ぼくらについてくれた。
 雪上車1台と、16匹の犬が引く2組のソリで出発し
た。犬ゾリには、テントや兵隊用のインスタント食品を
つみこんだ。
 海岸ぞいの氷のデコボコ道をすすんだ。雪と氷のかが
やく世界をひたすら走り、夕方になるとテントをはって
そのなかで寝る。
 探険隊のような生活をして3日目、ようやく目的地の
近くまでたどりついた。
 でも、ここに大きな大きな氷山の割れ目があった。
 もう前にはすすめない。
 あとは、海にせまってそそり立つ氷山をこえるしかな
かった。
 氷山をのぼり、とちゅうの斜面のわずかな地にテント
をはった。ぼくらが食事をつくっているあいだ。蔵原監
督たちは氷山をこえて、ペンギンのようすを見にいった。
その監督たちがヨレヨレになってもどってきた。
 前の年に40万匹いたペンギンが、1匹もいないとい
うのだ。
 ペンギンがいなければ、往復6日かかるこのテント暮
しはまったくムダになる。とはいえ、どこで暮らすかは
ペンギンの勝手だから、文句のいいようがなかった。
 ぼくらは怒るかわりに大笑いした。
 その夜のことだった。テントで寝ていると、外の風が
強くなってきた。そのうち、テントがゆれはじめた。
 ドッ、ドッ、ドッと地面が動くような音がする。テン
トがたおれるかもしれない。そう思いながらまた眠って
しまった。あれは眠るというより、寒さで気を失うかん
じだった。
 どのくらいたったのか、アッと目がさめた。寝袋に入
った自分のからだが、氷のうえをゴロゴロころがってい
る。
 テントもたおれている。
 ごうごうとうなる風と、雪が吹きつけ、ちょっと先さ
えなにも見えない。立ちあがろうしたが、地面にたたき
つけられた。うずくまるほかなかった。
 南極のブリザートだ。
 同じテントに寝ている椎塚カメラマンの名前を大声で
よんだ。すぐ横から返事がかえってきた。
「眠っちゃダメだよッ。寝ると死ぬぞッ」
 ぼくはさけんでいた。同じようなセリフを、映画のな
かでいったことがあると思った。『八甲田山』のシーン
だった。
 雪と風はますます強くなった。ぼくの寝袋が少しずつ
おされていく。その方向は昼間見た、切り立つガケだっ
た。あそこから落ちたら、もう命はない……。
 蔵原監督たちはどうなっただろう。この雪あらしのな
かで、だれか死ぬかもしれない。
 ああ、人間って簡単に死ぬんだなー
 そんなことを考えていた。
 椎塚カメラマンの名前を、なんどもなんども大声でよ
んだ。不安や眠気とたたかうためだった。彼の返事が、
吹きあれる風のなかから、かすかに聞こえてきた。
 そのたびに力づけられた。
 4時間くらいして、ようやく風が弱くなってきた。と
りあえず雪上車に逃げこんだ。そこに蔵原監督や隊員た
ちがいた。おたがいの無事をだきあってよろこんだ。
 雪あらしがおさまって、車が動きだした。みんなでス
コット基地が小さく見えてきた。うれしかった。
 スコット基地の建物にぼくらが入ったとき、きゅうに
明るい歌声がひびいた。基地の隊員全員が、歌をうたっ
て迎えてくれた。ぼくらの遭難が無線で伝わり、心配し
てくれていたのだ。みんな雪あらしの恐怖を知っている。
だから、その歌声には心がこめられていた。
 食堂にいくと、基地のジョン隊長が自分で卵焼きをつ
くって、ぼくらに出してくれた。これは特別のことだ。
基地ではすべて、自分のことは自分でしなければならな
い。食事のしたくも、皿あらいも、トイレ掃除も……。
隊長みずからがその規則をやぶって、ぼくらの無事を祝
ってくれた。 
 スコット基地のひとたちが、なによりも大切にしてい
るのは命だった。


 数日後、ペンギンの群を見たという情報がはいった。
基地からまる1日かかるその場所に、また出かけること
にした。
 そこには子どもを産むため、たくさんのペンギンが集
まっていた。ぼくらが近づくと、顔をあげてギャッギャ
ッとさわぎはじめた。
 なんだ、なんだ。おかしなヤツらが来たぞ
 そんな鳴きかただった。
 だが、ぼくらをおそれるようすはなかった。すぐに無
視して、オスがメスのまわりに石を積みあげはじめた。
夫婦で巣づくりをしているらしい。
 見ているうちに、おもしろいことに気づいた。その場
に立ったまま、首だけ動かして石を積みあげるペンギン
がいる。気に入った石があるまで、山坂をこえてさがし
まわるペンギンもいる。石をよこどりされて、ケンカを
はじめるペンギンもいる。
 まるで人間を見ているようだ。
 いいかげんなやつ。こだわるやつ。ケンカっぱやいや
つ、ひょうきんなやつ……人間とそっくりだ。
 命って似ているのかなー。ふしぎだなー
 ぼくは感心しながら、あきずにペンギンを見ていた■

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