トップページに戻ります

女の器量はことばしだい


「パッと見」はすてき、でも口を開くと……!!!

   挨拶はダサイか?


 ある高校生がこんな体験を話していました。
 友人を家に呼んだとき、友人が、親にきちんと挨拶す
るかどうかが気になる。もし、友人があいさつをしてく
れないと、その友人に対する親の評価がガクンと落ちて
しまい、つぐにつれてくると親にいやな顔をされる、と
いうのです。
  本人にしてみれば、友人に対して、
「親がうるさいから、挨拶だけはしてくれ」
 というような「ダサイ」こともいえず、新しい友人を
つれてくるたびに、こいつは挨拶をしてくれるかな、く
れないかなと、内心ビクビクしてしまうのだそうです。
 ま、あちら立てれば、こちら立たずで、この高校生の
気持ちはとてもよくわかります。
 私くらいの歳(とし)になれば、そんなところで迷って
いる場合ではありませんから、まず悩むことはありませ
んし、もしそういうことで困ったとしたら、さりげなく
事が運ぶように――たとえば、自分が仲に立って、両方
によい印象を与えるように、スムーズに挨拶ができるよ
うに、紹介したりするわけですが、なかなかそこまでは
できないという歳や立場の人にとって、「仲に立つ」こ
とは大変だと思います。それでなくとも、単刀直入に、
「頼むから挨拶してくれよナ」とか「親の顔をたてて、
ちょっと形だけでも」などと友人にいうのは、そのいい
方もさることながら、タイミングもあり、何よりも勇気
がいることでしょう。
 この場合、黙っていることも「言葉づかい」の一つだ
とは思います。でもいまのままの友情を保つためには、
親のいやな顔も、苦言も、詰めたい風も、甘んじてうけ
る勇気がかなり必要です。
 親に対して、「あいつは、挨拶はしなけれどいい奴な
んだ」というにもまた、勇気がいりますし、親から、「
挨拶もしないで、どういう子なの、あんまりつれてこな
いで」などといわれて、「いいじゃないか、そんなこと」
と抗弁すれば、本心は、「挨拶してほしい」と思ってい
るのですから、自分に半分嘘をついていることになりま
す。そういう迷える情況のなかにいて、あえて黙ってい
るということは、友人にとって、とても「心ある沈黙」
になりうる場合もあるでしょう。
 もしかしてその友人は、挨拶しようか、どうしようか
と考えあぐね、いつも失敗しているもかもしれませんか
ら。

   言おうか言うまいか 「近ごろの若い者は、挨拶ひとつできない」  というのは、よく聞く声ですが、これは何も、若いも のにかぎったことでなく、いい大人が、ろくに挨拶も返 さずに歩いているのをよく見かけます。たぶんそういう 大人はどこかに異常をきたしているにちがいいありませ ん。時には、挨拶をされると、そっくり返ったりする人 もいるようで、こうなると、なんともお気の毒としかい いようがありません。「重い稲穂は頭をたれる」という 言葉は、死後になってしまったのでしょうか。  挨拶をしないほうが偉く見える、と思っている大人が 多いようでは、若い人にもあまり期待はできそうにあり ませんが、若い人たちの場合、本当に挨拶が「できない」 「しない」のではなくて、むしろ「するきっかけがつか めない」「気おくれがして、つい黙ってしまう」という ことのほうが多いのです。  この原因は、だいたい、相手からの見返りを要求する ところにあります。「挨拶をして、もし知らん顔された らみっともない。へんな挨拶をして笑われたらどうしよ う」という気持ちのほうが強いために、つい自分の気持 ちを表わすことが、おろそかになってしまうのです。 「別に誰も何もいってくれなくてもいい、私は私で気持 ちよくいえれば満足」と思って、大声で挨拶をしている うちに、まわりから先に挨拶をしてくれるようになった、 という話は、私のまわりにもずいぶんあるのです。こう なれば、怖いものなしですが。  でも、挨拶をするには、はじめはとても、勇気のいる ことです。たとえば、電車やバスに乗って、老人に席を ゆずろうか、ゆずるまいか、重そうな荷物を持って立っ ている人に、ひと言「持ちましょうか」と声をかけよう か、どうしようかのあの精神的緊張に似ているようにで す。  でも、思い切って実行したときの気分はなんともいえ ず爽快(そうかい)です。ほんのすこし踏み出してみる勇 気が、自分自身もまた、そのまわりの世界も変えてしま うことがあるのです。  私自身、いくら挨拶しても、うちとけてくれない上司 がいたりすると半分意地で挨拶をつづけます。それでも ないときや、ふだん感じが悪かったりする場合、三回く らい、たてつづけに挨拶したうえで、やんわりと、 「いつもこわい顔なさって、何かあったんですか? そ れともまた私が何かご迷惑でもかけたんでしょうか。で も、先輩の笑顔すてきですね。可愛くて」  などと声をかけます。すると次の日あたりから、一生 懸命笑顔をつくって、むこうから挨拶してくれます。そ んなときは、私も本当にうれしく、必要以上に、にっこ りしてしまうのです。  むこうがツンツンしていたり、苦虫(にがむし)を噛み つぶしたような顔をしているからといって、こちらも、 そのペースに巻きこまれていたのでは、事態は悪くなる ばかりですし、精神衛生上もよくありません。あくまで も、こちらのペースを守ること。いずれにしても、挨拶 をされたて悪い気のする日は、ほとんどいないはずです から、こちらが積極的に出れば、まず間違いありません。  挨拶は、相手をよい気分にし、喜ばせ、心を開かせる 第一歩です。あまり快く思っていない相手に、また逆に、 こちらを快く思っていなかった相手も、挨拶しだいでけ っこう仲よくなったりします。ですから、挨拶をきちん と感じよくしておけば「快く思われない」という無駄も はぶくことができるというものです。
   月日がミサイルみたいにぶっとんでいく

ご意見ご感想はこちらへ
トップページに戻ります
『女の器量はことばしだい』の目次へ

[PR]動画