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人間を考える


♪つきつめて考えると、人間のほとんどは実 は精神的病(やまい)なのです。  最後までお読みください♪


 いよいよ
  潜在意識の解説に入ります。各人が持っている常識
という名の脅迫観念がかなり厚いので、理解をさまた
げたり怒りを誘発する事が充分考えられます。ここで
述べている事が、たとえ悪い事のように書かれている
と感じても、くれぐれも、善悪の感性で読まないよう
に心がけて下さい。あくまで論理的に考え、なにがど
うなってるのか? という事をまず理解していく事が
大切です。善悪の感性をぬいて考えると人間の心は以
外と簡単なものかも知れません。理解出来ないという
のが、実は潜在的に「理解したくない」という感情だ
ったりします。それを理解してしまったら、私が悪者
になってしまうじゃないか。という事より、自分の母
親や父親を悪者にしてしまうかも知れない感情が優先
します。どんな事が出てきても、最後にどこにも悪者
がいない事を理解できれば成功です。
            
  潜在意識とは、幼少時(時には母親の胎内にいる時)
から現在までの経験の積み重ね以外にありません。こ
こで言う経験とは、実際に外界からの情報以外にも、
考えたり、想像したりの内面的経験も含めます。時に
は転生の思想から前世の経験を含める場合もなくはあ
りませんが、ここではとりあえず取り上げない事にし
ます。一般に必要のない情報は抑制されて、いわゆる
「忘れて」しまいますが、なくなるわけではありませ
ん。この只単に「必要ない」と脳が判断して抑制され
ただけの情報も潜在意識ですが、いわゆる問題になる
種類の潜在意識ではありません。時には「ひらめき」
の役に立つことさえあります。ですから、このような
潜在意識はここでは取り上げません。
 問題になるような潜在意識とは恐怖心と怒りをとも
なった潜在意識です。この潜在意識は自分がまったく
意識していないのに、こころの深いところから自分自
身の行動をコントロールしてくるのです。「やりたい
のに出来ない」とか「したくないのにやってしまう」
という行動はすべて、潜在意識の命令から生じていま
す。これらの潜在意識はすべて幼少時の経験でつくら
れたものです。ですから、これらの潜在意識をすべて
解決出来たら、人間はおどろくほど自由になれる理屈
です。しかし感情というのは言葉でいうほど簡単なも
のではありません。よく潜在意識を扱った書物に次の
様な話しがあります。
「あなたの一番きらいな人を思い浮かべてください…
…」
「それがあなたの潜在意識です」自分が嫌いになると
いった事を言う人もときに見かけますが。これが原因
しているのです。自分の「好き嫌いの感情」と自分の
行動(潜在意識に支配されている)との矛盾に悩むわけ
です。以上の事を念頭において、個別の解説にはいり
ます。
            
T 感情固着

 よく見聞きするものに「だきぐせ」という言葉を聞
きます。赤ちゃんを育てている段階で赤ちゃんが泣く
と「だきぐせがつくから」という理由で、抱き上げず
に「泣くのは赤ちゃんの運動のうち」とか言ってその
ままに放置している事があります。しかしこの「だき
ぐせ」というものは実際には実体のない言葉なのです。
赤ちゃんが泣いているのは彼にとって重要な何かが生
じていて、ただちに母親になんらかの対処をしてもら
いたい時なのです。これは口唇期欲求といって幼児が
生き延びる為にあらかじめプログラムされているもの
なのです。たえず適切に対処されれば徐々にこの口唇
期欲求は解消され、新しい自我が成長始める事が出来
るのです。しかし上述のように適切に対処されないと。
やがて泣き方が「怒り」の泣き方に変わります。自我
が喪失していない母親ならこの泣き声の違いを聞き分
ける事は可能ですが、自我が喪失していると聞き分け
る事は不可能です。
  それでもなお、対処されないと、赤ちゃんの恐怖が
極限までに達した時自分を守るため「合理化反応」と
いう精神活動で眠ります。
  これで、母親は「ねむってくれた」とほっとするわ
けですが、実は赤ちゃんの精神の中に大変な事が起こ
っているのです。一つには「抱いて欲しかった」とい
う欲求もう一つには「母親にいう事を聞かせたい」と
いう欲求そして最後に自分の恐怖心を取り除いてくれ
なかった母親に対する怒りから生じた「復讐心」。こ
れらの感情が解消されずに成人してからも残るのを「
感情の固着」または単に「固着」と呼びます。特に口
唇期に固着したものを「口唇期固着」と呼びます。
  ですから、「くせ」が問題なのではなく「固着」の
ほうが深刻なのです。赤ちゃんは自分の恐怖心をやわ
らげてもらいたいので絶えずだいてもらいたがります。
しかし自分に他の興味が生じれば、抱き上げようとし
てもむしろ拒絶するくらいです。けっして「だきぐせ」
というものは存在しません。なにも「だきぐせ」だけ
に限りません。「くせになるから」という理由で赤ち
ゃんにした事はのちに必ず大きな形で「復讐」されて
しまいます。ただし前にも書いた「自我喪失」状態で
それなりの成功(?)をすると「復讐」は両親に対して
は表面化しない事もあります。しかし「残虐性」とし
て、スケープゴードに向けられるのです。
  そもそも、「くせ」という概念は存在していないも
のなのです。人間はある程度自分が納得できれば飽き
るものなのです。しかし、たえず禁止していると「復
讐心」とあいまって、なかなか納得できずにあたかも
「くせ」になったかのごとくに、生涯継続する事はあ
るのです。ですから、くせを怖がるのではなく、固着
に目を向けてください。そして自分が本当に納得出来
るもの、すなわち自分にとっての本来の才能にぶつか
ると、飽きることなく継続しますがこれはもはや「く
せ」と呼ぶようなものではないはずです。ただしあき
るまでの時間はかなり長いので母親は(もちろん父親
も)かなりの「忍耐力」が要求されます。

U 攻撃
 口唇期だけでなく、成長期全般で「しつけ」という
名目で沢山の「やりたい事」とか「欲しいもの」を禁
止される事により、沢山の「復讐心」が潜在意識に蓄
積されていきます。これらを母親や父親に向けると両
親は恐怖して、その怒りを受け止める事なく、他に向
けようとします。それでも自分に向かいそうになると
「恫喝」して抑えさせようとします。
 しかし、この「復讐心」は抑えれば抑えるほど人間
の行動を制限していくのです。すなわち人間の心は「
復讐心」でふたをされた状態になってしまいます。な
んにも考えられない、なんにもできない、ただ眠気だ
けが襲ってくる(合理化)そんな状態になると劣等感が
生じてしまい、ますますなにも出来ない悪循環のなか
に入ってしまいます。
  このような状態を「無能化」と呼びます。この状態
から抜け出すには「攻撃」以外ありません。。すなわ
ち、怒りで行動するのです。やつあたりの様にあらゆ
るものに対して破壊的感情を向けることで、動けるの
ですが、この攻撃に「禁止」的感情が付随してると(
まずほとんどついてます)自己嫌悪に陥りますます悪
い方向に向いてしまいます。こんな時「スケープゴー
ド」と呼ばれる攻撃を受けてくれる対象があると少し
は気持ちが落ち着きます。
  このような状態に陥った場合、執拗に「馬鹿にして
いい相手」とか「いじめていい相手」を捜し求める事
になります。差別感やいじめを本気で「悪い事」にし
てしまうと精神的にかなりつらい状況になってしまい
ます。せめて「うそ」が黙認されれば、建前と本音を
つくって、少なくとも精神の破壊だけは免れるかもし
れません。(建前と本音はうそつきでなければ出来な
い)また考える能力は自我にありますので、このよう
な状態では正常に考えるという事が出来ませんそのた
め、いわゆる「流れにのる」状態になってしまうので
す。親のひいたレールにのるとか、みんなと同じ事を
するとか、偉い人の云う事をただ無批判にきくとか、
ほとんど流れに身をまかす以外に方法はとれません。
  一方、なんらかのきっかけで自我が少しだけ成長す
ると、エスが行動化しやすくなり。時には暴力的にな
ることもあります。あるいは、暴走族のように「爆音」
「スピード」「スリル」といった暴力に替わるものに
興味をひく場合もあります。決して犯罪を擁護したり
推奨するつもりはありませんが、このような状態にな
る前の原因について考えて貰いたいのです。犯罪にな
らないためには、激しい音楽なんかもいいかもしれま
せん。時には反道徳的な音楽も一時期「復讐心」を忘
れるには有効かもしれません。しかし自我が回復され、
成長しないと、最終的には自分を犠牲にして両親をど
ん底に落とす目的で過激な犯罪に走る事もまれな事で
はありません。ほとんどの犯罪はその潜在意識的目的
は両親特に母親に対する「復讐心」なのです。これを
知らないと「そんな事したら両親が嘆くのを知らない
のかしら」といったようなコメントをする人もいます
が、彼らは充分知っているのです。そしてそれが本当
の目的なのです。そのくらい、追い詰められている、
と解釈してください。

V 操縦欲求と罪責感
 赤ちゃんが「復讐心」を持つなんて、と思う人がい
るかも知れませんが、じつは「復讐心」というのは赤
ちゃん特有の感情なのです。順調に自我が育ち「おも
いやり」がそだってしまうと、もはや「復讐」という
感覚すらでてこないのです。ですから、成長してもい
まだになにかあると「復讐心」がでてくる人は、まち
がえなく口唇期に固着しています。
 口唇期に固着している人のもう一つの特徴は「操縦
欲求」とよぶもので「他人を動かしたい」という感情
です。これは赤ちゃんの時母親を操縦して生き延びる
ためにあらかじめプログラムされていたものです。赤
ちゃんは生き延びる為に用心深くも出来ています。す
なわち怖がりなのです。そこで怖くなると「泣く」な
どして母親を動かそうとします。通常の哺乳類では「
子鳴き」または「子泣き」に母親は逆らう事が出来ま
せん。それが通常の哺乳類の母親の母性に組み込まれ
ているからです。しかし自我喪失している人間の母に
は「子泣き」を理解出来ないのです。
  母性感情というのは自我に組み込まれているためで
す。勿論母性愛がないのはいけない事だなどとはいう
つもりはありません、そこにいたる道筋をまず理解し
てもらう事がせんけつだからです。充分な理解をすれ
ば、それではこれからどうしよう、という考えが生じ
てくるはずです。この様にして、操縦欲求が解消され
ないまま成長すると、社会生活の中で他人を動かそう
というかなり強烈な感情が残ってしまいます。それが
暴力だったりする場合もありますが、暴力ではほとん
ど目的を達成できない経験をくりかえすと、言葉によ
るものに頼らざるをえません。そこで一番効果的な道
具が「罪責感」というものです。この「罪責感」とい
うのは現在では「責任感」という言葉で頻繁に使われ
ています。すなわち「良い悪い」の価値観を持ってい
る人に対して、罪意識を引き出し、自分にとって都合
のいい人間に変えようとするものです。たぶん本当の
意味での「責任感」は自我が持っていて、ほとんど表
面化しない個人的なものと思えますが。他人に責任を
押し付けるというのは本来の「責任」ではなく「罪責
」なのです。という事で、この「罪責感」が他人を操
縦する道具として有効なのは相手が善悪の価値観を有
していることです。特に親しい関係の人ほど効果があ
ります。その為多用すると、親しい人がだんだん少な
くなって孤独になりがちです。例えば、「やさしくし
なければならない」という価値観を持っている人に「
やさしくなーーい」といってせめれば、相手は客観的
にやさしいかやさしくないか? の判断なしに、苦し
められる事になります。また「うらぎりもの!」とい
った言葉も決して合理的根拠も客観的事実もなしに発
せられます。目的は「うらぎる事は悪い事」という価
値観を持っている人を自分の意志に従わせる事です。
とにかく自我喪失している人は潜在意識の奥深く(幼
児期に与えられた情報)人間は天敵という意識を持っ
ていますから、すべての人間が自分に従順でなければ
怖いのです。その為罪責感を使ってなんとか自分の意
志に従う人間に変えたくなってしまうのです。もちろ
ん本人が意識する事はありません。自己修復を繰り返
し「現実認識」が出来れば「そんな事はありえないよ」
と思われるような妄想を持っているのが普通です。

W 受動的攻撃
  暴力による攻撃や罪責感を使った直接的攻撃が出来
ない人は受動的攻撃という攻撃を行います。普通には
あまりなじみのない言葉ですが、日常生活でひんぱん
に行われていて、普通問題にされる事はありません。
何故なら受動的攻撃を行う人は「人を攻撃するのは悪
い事」というスーパーエゴを持っているため、自分の
やってる事が攻撃になると知ってしまうと精神に破綻
をきたすおそれが充分にあるからです。それは他の人
にとっても厳しい事なのでそっとしておくのが暗黙の
ルールになっています。攻撃は悪いことではありませ
ん。攻撃しないと精神が持たないような育てられ方に
問題があるのです。かといって親の育て方が悪かった
と言ってるわけでもありません。親もそのように育て
る以外の行動がとれない様に育てられてしまったから
です。原因があったとしても責任はありません。
  かなりしつこく前置きをしていますが、それほどこ
れは重要な意味をもっています。もしかしたらほとん
どの人は信じられないかも知れません。というより信
じたくない感情が先走るでしょう。もちろん信じる必
要はありません、何かを感じたら、自ら調べ考察して、
自分自身で確認してください。
            
 罪責感を直接使うのではなく、自分自身を弱い立場
に置いて「自分をこんな風にしたのは・・・」という
罪責感を相手に暗黙のうちに伝え様とするものです。
被害者を演じ弱者を演じることで、他人の罪責感を引
き出し自分の思いどうりに事をはこぼうというやり方
です。被害者意識というのもこれに値します。特に両
親に対するものが、自分で気づかないうちに、成功か
ら遠ざかったり、幸せを回避したりする事もあります。
またこれの目的で事故をおこしたり、病気になったり
します。もちろん潜在意識がさせているので、本人に
そのような自覚はありません。私の感覚では病気の9
0%以上はこの受動的攻撃が関係していると思ってい
ます。事故すらも受動的攻撃と深いかかわりにあり、
もし、人から攻撃心が薄らげば、病気も事故もおどろ
くほど減るであろうと思っています。もし事故にあい
たくない、病気になりたくないと思ったら、潜在意識
をじっくり見直して、操縦欲求そのものを解決しなけ
ればなりません。しかしこれは
  口でいうほど簡単な事ではありません。自分の潜在
意識を知りたかったら、精神分析が最良ですが、とん
でもない恐怖心が表面化して、とり返しのつかない事
にもなりかねません。ですからお勧めするわけにはい
きません。とはいえ、ここまで知ったら、なんとかな
らないかという欲求が生じるのも人間としては当然で
しょう。とりあえずは普通の生活というかいままで通
りに生活していてください。一番気をつけることは、
出来る限り自我喪失しているらしい人とは、おつきあ
いしない様に心がけるくらいのことかも知れません。
そして出来るだけ自己修復になりそうな自分の好きな
事をやれる環境作りをしてください。そして現実認識
がもっとも重要です。自分では現実認識しているつも
りでも案外勝手な想像で見ている場合が多いものです。
すきな事に没頭して自慢が出来れば、色々な事がどう
でもいい事になっていきます。いままでいきまいて「
絶対ゆるせない!!」と思っていた事まで「そんなで
もないじゃん」となれば、見え方まで変わってくるの
を経験するかもしれません。そして自分では気がつい
ていないあこがれや幻想がとりのぞかれると、嫌いな
ものも少なくなっていくのです。もし嫌いなものが何
もなくなったら?(ほとんど不可能ですが)もちろん
自分を嫌う事などありえないわけで、信じられないく
らい体が軽くなり何でも出来そうな感覚が生じてくる
でしょう。
            
X 恐怖と怒り
 人間にとってばかりではなく、動物特に哺乳動物に
とって、恐怖というのは長時間耐えられないものなの
です。天敵に遭遇するとかして、恐怖状態にはいると、
アドレナリンや副腎ホルモンの放出をふくめ、さまざ
まな身体的変化がおこり、細胞に少なからぬダメージ
をあたえます。そこである一定の時間を経過すると、
怒りでこの恐怖状態を脱出しようと試みるのです。赤
ちゃんが基本的に持っている恐怖心が解消されないと。
母親に対する怒りが生じます。
「なんで、俺が怖がっているのに、解ってくれないん
だ!」という種類のものです。しかし当然のことなが
ら、この怒りは母親に通じません、怒りを表現しても、
時にはそれ以上の恐怖心で怒りを抑えられてしまうの
です。ある程度成長してくると、怒りを抑えて、潜在
意識に閉じ込めると、自分では怒っている感覚がなく
なる事もあります。この様な状態なると、自分の怒り
を他人に投影するという精神活動が始まるのです。す
なわち「私が怒っているのではない、彼(又は彼女)が
怒っているんだ」という合理化反応です。しかし、こ
れはあまり大きくなると、周りの皆が自分に対して怒
りを向けてくるような感覚に襲われてしまいます。
  すなわち、自分の怒りに自分が恐怖するという構図
ができてしまうのです。「怒ってはいけない」という
スーパーエゴから逃げ出す為の合理化反応なのですが、
結局自分自身で自分を傷つけてしまうのです。さらに
妄想からくる他人の攻撃を想定して、反撃の準備をす
るのですが、これが又大変な事になります。特に言葉
による攻撃は相手の持っている「スーパーエゴ」を取
っ掛かりにするのですが、一番怖い反撃は「そういう
お前はどうなんだ!」というものです。この反撃にそ
なえるために、どこからもつっこまれないスーパーエ
ゴから見た「完全な人間」を目指そうとしてしまいす。
これが「完全主義」というかなり苦しい精神活動の本
体です。ですから、ここから抜け出すには、他人への
攻撃を放棄してしまえば良いことなのですが、事はそ
れほど簡単ではありません。なぜなら、他人への攻撃
を放棄すると恐怖心が表面化してしまうからです。
  だから、分の好きな事やりたい事を出きるだけやっ
て(自己修復)現実認識をくりかえす事によって、なん
とか攻撃を放棄出来そうな精神状態が作れるのです。
すなわち自己修復をせずに、攻撃欲求を放棄する事は
できません。ましてや、表面的に「怒らない人間」を
演じていようものなら、信じられない位の人間に対す
る恐怖心が生じてしまいます。
  このような状態を通常「ストレス」とよびます。す
なわち生活の中で感じる「ストレス」とは、自分自身
が自分に向けている「怒り」なのだという事です。
  さらに、この妄想の怖い事は、他人の攻撃にそなえ
ていると、妄想のままでは負担が大きくなってしまい、
潜在意識が妄想を現実化する方向に自分を向けてしま
う事です。すなわち、本当に自分を攻撃しそうな人間
に自ら近づいてしまうのです。そして、相手を無意識
に刺激して、本当に怒らせることで「あぁ、やっぱり
妄想じゃなかったんだ」と確認しようとしてしまいま
す。すると、その攻撃に対して、受動的攻撃が発動し
て「怒る事は悪い事なのに、貴方が怒るから私はこん
なになってしまった。」と見せ付け様としてしまいま
す。なんども言うようですが、これも皆「妄想」が引
き起こしている現象なのです。このメカニズムを逆用
できなくはありません。すなわち、潜在意識で「人間
はみんな大好き!」と思っていると、他人がみんな親
切に見える事も可能です。しかし潜在意識を変えるの
は至難のわざなので、これはあくまでも、頭のなかで
「考えられる」という次元のものです。

人間の性
  人間の性欲は他の動物と違い季節がなく、一年中発
情期です。これは案外不思議な事なのです。もちろん
その原因はわかりません。しかし、精神的なものと、
性とはなにか密接な関係があるようです。そこで私が
考えたのは潜在的恐怖心が強くたえず不安だと安心と
よくにた性快感を強く求めるのではないかという事で
す。これは生物学的に合理的です。何故なら、周囲に
天敵にかこまれたある生物の集団を考えてみましょう。
いつ襲われるかわからない状況で不安が強ければ、種
を保存する目的で、どんどん子供を生んだほうが種が
残れる可能性が増えるわけです。さらに、逃走、攻撃
の力の強い子孫を残そうとすると思われます。
  人間にとっての天敵は人間自身ですから、潜在意識
ではたえず「殺されるかも知れない」という妄想があ
るのです。この危機感が性欲を昂進させるわけです。
勿論意識では子供が欲しいと思っているわけではあり
ません。あくまでも本能的欲求で性欲が昂進してしま
うのです。現実には思いのほか、早い時期から性欲が
生じるようです。精神的病の関係の症例を見ていると、
5〜6才くらいから性欲が生じている例も散見します。
そして、この性欲を抑え過ぎると、人間は凶暴になり
ます。抑え過ぎるという意味は、昂進しすぎると、い
う事です。現在社会では、常識てきかつ道徳的にある
程度抑えなければなりませんが、昂進し過ぎると、普
通の人ではそれほど問題にならない程度の事でも、抑
えすぎになってしまうのです。さらにこの凶暴性を抑
えざるをえない状況になると、確実に発病します。
  このあたりの事情が、フロイトが着目した部分です。
しかし、恐怖心を親が解決してあげれる事が出きれば、
性欲がそれほどは昂進せずに済むのです。子育て関係
の本などによく「子供を受け入れてあげなさい」と言
うのを見ることがありますが言っている人も、聞いて
いる人も「何を」受け入れるのかよくわかっていない
らしいのですが、「欲求」を受け入れるのでも、悪く
はないのですが。一番受け入れなければならないのは
「親に対する怒り」なのです。勿論出きるわけがあり
ません。親そのものが、すでに「恐怖心」でいっぱい
いっぱいなのですから。すなわちほとんどの人間が「
しつけ」をされている為、自分の行動はほとんど「脅
迫観念」で動いているのです。ですから行動の変更は
そうは簡単に出来ないという意味です。 
             いっきに次へ 
               

精神的病 

 私がここでいう精神的病とは、病気と認定される神
経症、分裂症、境界症等の他にノイローゼ、軽い欝と
かもろもろの精神的病全般を言っています。勿論犯罪
者も、精神的病に侵されていると判断します。という
事は、自我を喪失している人間も、精神的病といえる
でしょう。つきつめて考えると、人間のほとんどは実
は精神的病なのです。では、自我喪失の人は何故発病
しないのでしょうか?彼等は「スケープゴード」がい
るかぎり、発病する事はありません。しかしスケープ
ゴードがいなくなると間違えなく彼等は発病します。
それは人生につまずいた時と表現されます。
  たとえば、政治家にとっての国民とか、医者にとっ
ての患者とか社長にとっての社員とか、とにかく心の
奥でいわば本音の部分で人を「馬鹿にする」又は「こ
き使う」とか理不尽に「怒る」とかいわゆる「いじめ」
ができる相手を必要とするわけです。この様な人が子
をもうけると、まちがえなく子供を「スケープゴード」
にしてしまいます。戦争があれば、敵を合理的にスケ
ープゴードに出きるので。堂々と相手をいじめまくっ
て精神の高揚を体験できるので、好戦的な人格になり
ます。このような人達が国をおさめると、仮想敵国を
刺激して、ほんとうに戦争をひきおこす、危険がたえ
ずつきまといます。
 発病とその前段階との大きな違いは、幻覚が見えた
り、幻聴が聞こえたりするかどうかで、判定します。
このような状態になると、もはや、ほとんど後戻りは
出来ません。この違いは、脳内のドーパミンの量で確
認出来ます。私の個人的意見ですが、この大量のドー
パミンが幻覚を引き起こすのではないかと考えていま
す。ドーパミンは快楽物質としてよく知られているも
のですが、不安が極限に達した時、固体を破壊から守
るために、脳内麻薬物質(エンドルフィン等)が分泌さ
れて、ドーパミン抑制神経が麻痺されるのではないか
と考えています。すなわち精神的病の発病とは、自分
自身で作り出す麻薬で依存症になってしまったと考え
られるのです。
  麻薬依存症ですから、自分の意志のちからだけでは
なおす事は出来ないのです。かなり強い「直したい」
という意志があっても直りません。新たにスケープゴ
ードを作り出して、症状を軽減する方法は考えられた
りしていますが、直ったのではなく、とりあえず、現
実適応できるようになった程度のことで、いつでも再
発のおそれはあります。ほかから麻薬を買ってこなく
も自分の中で自由に麻薬をつくりだすこつを覚えてし
まったのですから、ちょっとしたつまづきでも再発し
てしまうのです。
  一方、医者やカウンセラーに頼る場合、医者やカウ
ンセラーが自我喪失してる人(マニュアルやノウハウ
のつめこみだけで医者やカウンセラーになった人)だ
った時は最悪の状況がまっています。というのも精神
的病を発病した人は「直りたい」という意識はあるの
ですが、潜在意識は「スケープゴード」が欲しいとい
う願望だけだからです。この様な状態で両者があうと、
互いに相手をスケープゴードにしようと、しれつな戦
いが始まってしまいます。医者が勝てば患者の病状は
さらに悪化し、患者側が勝てば、医者が発病する事に
なります。結局は本質的解決とは無縁のものなってし
まうのです。この辺の事情が私が潜在意識の最初の方
に書いた現象の実態です。医者にしっかりした自我が
あれば、もう少しはましな結果があるのですが、現段
階では、病気に対する正しい理論が無いために、薬で
なんとか症状をやわらげる以外にないようです。
  これら精神的病の原因は、出産時の赤ちゃんと産婦
の取り扱いと、赤ちゃんを母親から引き離す(ベビー
ベッド)子育てのノウハウと、しつけにあると、私は
断言します。この辺が改善されれば精神的病の発病や
犯罪等がかなり減るであろうと考えています。もちろ
ん、実際的には頭で考えているようには人間は行動出
来ませんから、少しずつ改善される事が必要です。急
激な変化はむしろ、逆の意味での大きな障害のもとで
す。わかったような気がするけど。それでは今精神的
病で悩んでいる人はどうするの? という人の為に、
これから、重要な話をします。しかし誤解を招かない
ためにも、多少ことわっておく必要があります。これ
は宗教ではありません。神様も仏様も必要ありません。
罪意識も修行も必要ありません。そしてなにより信じ
る必要などさらさらないばかりか、うのみにする事は
禁じます。自分の頭で考え、自分の目で確かめ自分自
身の知恵と知識の集積として、自分自身のものになる
まで、行動をおこさないでください。
 精神的病の原因はうまれた時にもっている言葉にで
きない「恐怖心」である事は明白なことです。この恐
怖心で子育て放棄された赤ちゃんは、ミルクものどに
とおらず死んでしまうほどの恐怖心です。これを解消
するには、ぬくもりややさしさが絶対的に必要です。
すなわち甘えやわがままを自分の中でゆるせるように
ならなければ、本当の意味で病気をなおす事はできま
せん。スケープゴードをつくって病気とは無縁な様な
顔をしている人をうらやんではいけません。かれらの
アドバイスをきいてはいけません。あらゆる現在存在
している常識はすべて疑ってみましょう。そして、ま
ず自己修復を先行してください。ある程度、好きな事
をやっておかないと、これからの話が実行できないか
らです。
  そして、この恐怖心をカバーする為に「母親に対す
る怒り」が存在しています。これを取り除かないかぎ
り、恐怖心を見る事は出来ません。母親といえども、
その母親にそだてられ、現在の性格がかたちつくられ、
どのようにも変化できないように脅迫観念でがんじが
らめになっているのです。だから、母親の子育てが原
因だとしても母親に責任はありません。責任も原因も
たどっていけば、ずーと昔のたぶん人間がこのよに出
現したぐらいむかしの先祖にあるのです。
  だから、母親を責めるのはやめましょう。出来れば
母親とともに考え、母親のやさしさをひきだし、母親
に甘えられる状況をつくりだせれば、最良です。さら
に、この母親に対する怒りがさらなる恐怖心で抑えら
れ、その恐怖心をカバーする為に「父親に対する怒り」
が生じますそしてそれすらも恐怖心で抑えられ、その
恐怖心をカバーする為に「他人にたいする怒り」が生
じています……
  このように、恐怖・怒り・恐怖・怒り……とサンド
イッチのように、潜在意識は出来あがっていて、原因
究明や解決を困難にしています。そこで、この状態を
少しずつはがしていくために、他人に対する怒りをま
ずしずめて、恐怖をみつめて、それが幻想である事を
一つ一つ確認していく必要があります。ほとんどの恐
怖心は、自分の怒りを他人に投影してる事が確認でき
れば成功です。このように少しずつ怒りと恐怖を解決
していくと強烈に甘えを求める感情が発生してくるの
です。だから勿論母親が最良なのですが、母親がいな
かったり母親では無理だったりするばあいは必ず、そ
ばに甘えを受けてくれる人間を準備してください。
  スケープゴードでは、ちょっとまずいかも知れませ
ん。自分が本当に信頼できる人がより良いでしょう。
他にいなかったら、スケープゴードに命令して、甘や
かすようにしつけるのも手かもしれません。
  さて準備がととのったので、ここで最後の仕上げで
す。それは「ゆるす」という概念です。どのような怒
りにも「ゆるす」という事をくりかえす必要があるの
です。なぜなら、自分の怒りで自分を傷つけているの
ですから、ゆるしてゆるしてゆるしまくる事が必要で
す。これは他人の為ではありません。自分を本当に大
切だと感じたら、ただひたすら「ゆるす」のです。こ
れが言葉でいうほどかんたんな事ではないのを発見す
るでしょう。しかしあくまでも自分の為です。「自分
がゆるしたら誰かがいい思いをしてしまうのではない
か?」という感覚が生じるかもしれませんが、それは
抵抗であり幻想です。たとえ自分を殺しにくるひとに
さえ「ゆるす」のです。殺す側になるくらいなら、殺
された方がまし、くらいの気持が必要です。
  精神的病は他人がなおす事は出来ません。自分自身
に強烈な「治したい」という意志が必要です。何故な
らこの病気は「復讐心」がからまっているからです。
しかし発病してしまった人は、依存症になってしまっ
ていますから、病院にいって症状を抑える薬を服用し
ながら「ゆるす」という事に挑戦しましょう。少しず
つ、症状がかるくなっていきます。そうしたら、薬の
服用回数を少しずつ減らして行けばよいと思います。
どうしても、自分が治ってしまったら母親が喜びそう
でいやだなあ、という感覚がおそってしまうかも知れ
ませんが、母親を喜ばして自分も楽しくなりましょう。
 これで終わりです。たくさんの知識をいれて沢山の
思索をくりかえし、やっと出てきた結論がキリストの
言っていた事と重なってしまったので多少やな気持ち
もなくはありませんが、キリストとは根本的にちがう
ぞーっ、て言いたいのです。
  キリストは主の祈りというところで「私に罪をおか
すものを私がゆるす様に私の罪をゆるしてください」
といっているので、人間は基本的に罪があると考えて
いたのかも知れません。しかし、私は人間に罪などな
い! と断言します。もちろん神などないとまではい
いませんが、原罪という概念には反対です。しかし当
時のキリストの置かれていた社会環境を考えると、そ
こまで言うのが限界だったかも知れません。人間の苦
しみは自分自身がもっている
  「怒り」にある事は明白ですから、人間を苦しみか
ら救いだしたいという欲求から考えを進めれば、同じ
ところまで到達していた可能性は充分あるのです。
  キリストもブッタもたいした奴だ、よーやった、し
かし自我喪失までは気づかなかったろう、自我喪失に
後をつがせたら、自分の考えがぼろぼろになって行く
という所までは気がまわらなかったんじゃなかったん
かな。なんて思っている今日このごろです。
  時に般若心経の致命的欠陥について話してなかった。
それは、心無罫礙、心無罫礙故、無有恐怖、という所
なんだけどこれで見ると、こだわりがあるから恐怖が
ある。と読めるわけだけど、その為、いままでの坊さ
んは何とかこだわりをすて様と必死になったきた。こ
だわりとは「善悪」にたいするこだわりなんだけど、
性欲とか物欲とか矮小化してなんとかごまかしてきた
けど。それじゃあ 能除一切苦 とはなんないだろう。
僕にお経を教えてくれたお坊さんも「こだわりをなく
そうとすると、こだわりをなくす事にこだわっちゃう
んだよなあ」としみじみ言っていた。
  善悪の概念てのは、人間が人間を殺しちゃった、お
お昔、絶滅の危機から救ったのが言葉であり善悪の概
念だったわけで、基本が変わらなけりゃ。こだわりな
んて無くせるわきゃあないわけだ。しかも善悪なんて
概念は正確な集合を作れない概念だから、論理学に組
み込めないわけで、これを振り回せば矛盾だらけにな
るのは目にみえている。てわけで般若心経の致命的欠
点とは、こだわりが先ではなく、恐怖が先だったって
事。すなわち、恐怖がなくなればこだわりもなくなる
よ。勿論、性欲がなくなるわけがない、そんな事にな
ったら、子孫が出来なくなって、人類本当に絶滅する
よ。ただ、性欲を禁止すると、人間凶暴になるから、
国の政策が戦争にあった場合は都合がいいんだ。だか
ら、国に保護された宗教は、必ず性欲を抑えさせる「
禁欲主義」なわけだ。ほんでもって、国におもねよう
と、あほな新興宗教の教祖どもは、かならずその教義
に「禁欲」を入れているのが笑っちゃう。
  ほんでもって本当にこれでおわり、まだまだいいた
い事はあるけど、ウエブサイトで発表するには、これ
でも長過ぎる位だから、これくらいが限界でしょう。
それでも、肝心なことはほとんど盛り込んだと思うの
で後は個人個人で考えて下さい。
  ながいあいだの御清聴、ありがとうございました。
  
  1999年10月20日          大枝柾彦

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