『接客の極意』 秋田美津子


接客上手は生きることも上手!!!


■接客上手は人生上手
■心が穏やかになれば、人間としても一流に
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接客上手は人生上手
 ある日突然、教育機器を扱っている三十歳くらいの男
性セールスマンの訪問を受けたことがあります。もちろ
ん、私に商品を売りつけようというわけではなく、セー
ルスという仕事で悩みを抱え、何かアドバイスが欲しい
とやってきたのです。
 私は、セールスの極意を悟ったというほどの経験はし
ていませんが、何かお役に立てるならと、お話をさせて
いただくことにしました。
 セールスという仕事は、相手の気持をくみとらなけれ
ば始まらない。相手の気持ちとは、物質的な欲望かもし
れないし、精神的欲望の場合もあるだろう。それをつか
むことができたら、今度はすぐに行動に移さなくてはな
らない。それが相手に不快感を抱かせず、好印象を生む
最上の方法である。しかしそれは、自分を鍛練した上で
はじめてできることであり、自分自身でセールス活動を
したと胸を張れるのは、それができてからでしかない。
 私はそんな話をしながら、
「結局は、生きる≠ニいうことと同じことじゃないで
しょうか。相手に不愉快な思いをさせていては、自分の
存在が相手の心から消えてしまいます。逆に、相手を何
とか喜ばせたいと思いやりをもって接すれば、必ずいい
結果がでるし、自分の道も開けてきます。ですから、セ
ールスが本格的にできるようになったときこそ、自分が
人間らしく生きられるようになるんだと思いますよ。私
は、セールスが上手になると、生きることも上手になる
と信じているんです」
 そのセールスマンは、おそらく商売のコツという話で
も聞きたかったのでしょう。ですから、私がセールス
と人生≠ニいうことばを一緒にして話を始めると、し
ばらくはけげんな表情をしていたものです。
 しかし、人間と人間とが接することによって、セール
スや接客業という仕事が成り立つ以上、これはもう人間
の人生と重ねて考えても少しも矛盾にならないと私は思
っています。ましてや、自分の体や心は、仕事の時間や
プライベートな時間ごとに、上手に入れ替えられません。
仕事をする自分も、プライベートな場にいる自分も、ま
ったく同一人物である以上、すべて平等に自分の人生の
一部分なのです。
「あなたは教育機器を扱っているそうですが、もしかし
て売りたい、売りたいという気持ちが強すぎはしません
か。成績をあげたい一心で悩んでいる以上、たとえあな
たが一生懸命であっても、お客様には押しつけの雰囲気
が伝わってしまいますよ。あなた自身の欲望が表に出す
ぎてしまうんです。それではまだ、本格的セールスマン
とは言えないと思うんです。大切なのは、相手の気持ち
をどう動かすか、なんです。相手が、自分の利益になる
と判断して、『買ってあげようかなあ』という気持ちに
なるように持っていってこそ、ほんとうのセールスマン
なんですよ。そのためには、まず相手のことを考えてあ
げることです。あなたにとっては、大事なのは自分の都
合ですが、お客様にはお客様の都合があります。尊重し
なければならないのは、あくまで向こう側の都合ではあ
りませんか」
 やがてその男性セールスマンは、率直に自分の仕事上
の悩みを打ち明けはじめ、最後には「ほんとうに、あり
がとうございました」と言って帰っていきました。
 私は、セールスとは、単に物を売るだけの行為を指す
のではないと思っています。人と人とが接する場のすべ
てに、それこそ外交交渉から夫婦間の問題にまで、セー
ルスが存在していると考えています。
 相手を思いやったり、気づかったり、それでいて自分
の主張も通したい、そんなさまざまな思惑を抱きながら
人間と接すること自体がセールス活動ではないでしょう
か。だからこそ、生きることとセールス活動は一緒だと
いいたいのです。生きることが上手な人はセールスも上
手になるし、セールスが上手な人は生きることも上手で
あるべきなのです。

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    心が穏やかになれば、人間としても一流に
 このつたない私の話もやっと終わりになりました。私
はサービスマンの心得を話すつもりで、この本を書きは
じめたのですが、いつしか話は人生を語る方向へ向かっ
てしまったようです。でも私にとっては、仕事とはイコ
ール人生です。ビジネスとプライバシーの使い分けは、
とてもではありませんが不可能です。ましてや、私たち
ホテルで働く人間は、生きた人間を相手にする仕事です。
やっぱり、人生とダブってもしかたがないのかなあ、と
自己弁護したりしています。
 私の人生は、結局はみんなに教えられ、励まされ、ま
た人を励まし、それによって自分の喜びを得るという、
まさに人と人とのつながりの中に生きてきました。そう
した中で、私が感銘を受け、今も心の片隅に刻んでいる
ことばを紹介して、この本の終わりとしたいと思います。
 村瀬玄妙老師と出会ったのは、私がセールス活動の真
っ最中のころでした。しかし、子供との問題がうまくい
かず、私の心の中はすさみきっていました。師は、決し
て人生に絶望してはならないと私をさとしてくれたあと
で、次のことばを色紙に書いて贈ってくれました。
「秋天荒野行人絶」
 一見すると、何とも寂しい光景が浮かんできます。場
所は中国です。見渡すばかりの秋の野原を、自分以外に
は誰も歩む者がいません。私は、自分のそのころの心境
と重ね合わせ、なんと残酷なことばだろう、とガッカリ
したものです。ああ、やっぱり私は人生を一人ぽっちで
暮らすのだろうか、と悲しくもなりました。当時の私に
は、その詩のもつ深い意味がつかめなかったのです。
 数年後、書道のために漢詩を学んでいたとき、偶然に
この詩の続きが見つかりました。
「馬首到来知之誰」
 自分は荒野にたった一人と思っていたけど、どこから
か馬の嘶(いなな)きが聞えた。自分と同じように、この
寂しい野原を長安の都を目指す人間がいるのだ。私は一
人ではない。道はあるのだ。
 この詩の本当の意味は、こういうものでした。人生は
一人ぽっちではない。必ず誰か、自分と同じ道を歩む者
がいる。それを信じなさい。絶望してはならない。それ
が老師の教えだったのです。私はそのことばで、精神的
に立ち直ることができました。

「八風吹けども動かず 天辺の月」
 私は、自分の人生に迷っていた三十歳代には、さまざ
まな本を読みふけりました。宗教や哲学といった、精神
の救いを求める本が主でした。そんなときに、禅の本の
中にこの一節を見つけたのです。
 八風とは、周囲の人々の妬み、羨み、悪口、噂といっ
た、自分をとりまく悪い環境と言っていいでしょう。し
かし、それは風と考えるといい、というのがこの教えな
のです。いやなことがあっても、すべては風のごとく自
分の目の前を消えていく。
 しかし、そのためには自分は天上の月のように、常に
澄みきっていなければならない。心が清らかでなくては
ならない。すると周囲のこうした感情は、月のはるか下
のほうで吹いている風にしかすぎなくなってしまう。少
しも気にならなくなる。
 それがこのことばの教えでした。
 それ以来、私は仕事がうまくいかないときは、いつも
「風だ、風だ」と唱えたものです。
 何が起きようとも、自分の心が穏やかでいることが、
どれだけ強く、そして幸福でいられることか。
 大事なことは穏やかな自分でいることなんだ。そうす
れば、自然に笑顔がわいてくるに違いない。
 究極のサービスマンの心得は、この詩のように、月の
澄みきった心でお客様と接するということではないでし
ょうか。月の明かりは、地球上の誰にも平等に、温かみ
と安らぎを与えてくれます。
 私たちサービス業に従事している人間たちも、ささや
かな月≠ナあるよう心がけたいものです。

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