ある日突然、教育機器を扱っている三十歳くらいの男
性セールスマンの訪問を受けたことがあります。もちろ
ん、私に商品を売りつけようというわけではなく、セー
ルスという仕事で悩みを抱え、何かアドバイスが欲しい
とやってきたのです。
私は、セールスの極意を悟ったというほどの経験はし
ていませんが、何かお役に立てるならと、お話をさせて
いただくことにしました。
セールスという仕事は、相手の気持をくみとらなけれ
ば始まらない。相手の気持ちとは、物質的な欲望かもし
れないし、精神的欲望の場合もあるだろう。それをつか
むことができたら、今度はすぐに行動に移さなくてはな
らない。それが相手に不快感を抱かせず、好印象を生む
最上の方法である。しかしそれは、自分を鍛練した上で
はじめてできることであり、自分自身でセールス活動を
したと胸を張れるのは、それができてからでしかない。
私はそんな話をしながら、
「結局は、生きる≠ニいうことと同じことじゃないで
しょうか。相手に不愉快な思いをさせていては、自分の
存在が相手の心から消えてしまいます。逆に、相手を何
とか喜ばせたいと思いやりをもって接すれば、必ずいい
結果がでるし、自分の道も開けてきます。ですから、セ
ールスが本格的にできるようになったときこそ、自分が
人間らしく生きられるようになるんだと思いますよ。私
は、セールスが上手になると、生きることも上手になる
と信じているんです」
そのセールスマンは、おそらく商売のコツという話で
も聞きたかったのでしょう。ですから、私がセールス
と人生≠ニいうことばを一緒にして話を始めると、し
ばらくはけげんな表情をしていたものです。
しかし、人間と人間とが接することによって、セール
スや接客業という仕事が成り立つ以上、これはもう人間
の人生と重ねて考えても少しも矛盾にならないと私は思
っています。ましてや、自分の体や心は、仕事の時間や
プライベートな時間ごとに、上手に入れ替えられません。
仕事をする自分も、プライベートな場にいる自分も、ま
ったく同一人物である以上、すべて平等に自分の人生の
一部分なのです。
「あなたは教育機器を扱っているそうですが、もしかし
て売りたい、売りたいという気持ちが強すぎはしません
か。成績をあげたい一心で悩んでいる以上、たとえあな
たが一生懸命であっても、お客様には押しつけの雰囲気
が伝わってしまいますよ。あなた自身の欲望が表に出す
ぎてしまうんです。それではまだ、本格的セールスマン
とは言えないと思うんです。大切なのは、相手の気持ち
をどう動かすか、なんです。相手が、自分の利益になる
と判断して、『買ってあげようかなあ』という気持ちに
なるように持っていってこそ、ほんとうのセールスマン
なんですよ。そのためには、まず相手のことを考えてあ
げることです。あなたにとっては、大事なのは自分の都
合ですが、お客様にはお客様の都合があります。尊重し
なければならないのは、あくまで向こう側の都合ではあ
りませんか」
やがてその男性セールスマンは、率直に自分の仕事上
の悩みを打ち明けはじめ、最後には「ほんとうに、あり
がとうございました」と言って帰っていきました。
私は、セールスとは、単に物を売るだけの行為を指す
のではないと思っています。人と人とが接する場のすべ
てに、それこそ外交交渉から夫婦間の問題にまで、セー
ルスが存在していると考えています。
相手を思いやったり、気づかったり、それでいて自分
の主張も通したい、そんなさまざまな思惑を抱きながら
人間と接すること自体がセールス活動ではないでしょう
か。だからこそ、生きることとセールス活動は一緒だと
いいたいのです。生きることが上手な人はセールスも上
手になるし、セールスが上手な人は生きることも上手で
あるべきなのです。
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