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ちょっと、気になる作品


♪古シーツのお化け 干刈あがた♪

   古シーツのお化け


  日影になっている蕎麦屋の脇の狭い路地に、鰹節のダシのい
い匂いが流れてくる。6年生の隆と5年生の良一は鼻をピクピ
クと動かした。
「キヨ子はいいよな。毎日、盛りソバや天ぷらを食えんだろう
な」もう葉の枯れてしまった、七夕の時の竹の枝をナイフで切
り落としながら隆が言った。良一も唾をごくんと飲みこんだ。
が、何も言わない。
 いい匂いは、キヨ子の家である長寿庵の調理場の換気扇から
流れてくるのだ。
 長寿庵では、キヨ子のおじいさんとお母さんが調理場をやっ
ていて、お父さんが出前をしている。今はお昼の忙しい時間が
おわって、少しゆっくりしているところみたいだ。さっき、お
父さんが裏庭から竹を持ってきてくれたのだ。地域班の班長を
キヨ子が商店街のお店からもらっておいたもので、5本ある。
 地域班というのは、小学校の1年生から6年生までを地域別
に分けたグループで、避難訓練の時などは地域班別に校庭に集
合するのだ。夏休み中に一度は、地域班で「遊ばなければなら
ない」ことになっている。隆たちの第6班では、今夜7時半か
らドンブリ山で〈きもだめし〉をするので、その準備をしてい
るのだった。
「そのアーミーナイフ、いいな」
 隆は良一の手もとを見て言った。
「切出しナイフも、白木の柄(つか)が渋くて、カッコイイです
ね」
 良一の優等生的な返事に、隆は少々閉口した。隆と良一は同
じマンションに住んでいるが、良一は5年生の初めに引越して
きて1学期を過したところだ。3年生の時と今度と2度めの転
校で、前の学校の時も、友だちができなくて本ばかり読んでい
たのだと、良一のお母さんが隆のお母さんに心配そうに言って
いた。「大丈夫ですよ。この辺はマンションがどんどん建って、
新しい子も多いから」と、隆のお母さんが言ったのだった。隆
は幼稚園の時から、ここにいる。良一は隆を頼りにしているみ
たいだ。それで、今日も副班長の隆が〈きもだめし〉の準備を
するのを手伝っているのだ。
「キヨ子たち、まだかな」
 隆は長寿庵の2階の窓を見上げた。そこでは6年生のキヨ子
と玲子が、古シーツでお化けを作っているはずだ。その時、脇
に青いポリ容器の置いてある調理場のドアが開いて、キヨ子の
おじいさんが出てきた。隆は、にわかに熱心に手を動かした。
白い衿なしのシャツを着て、白髪を短く刈ったおじいさんは、
なんとなくオッカナイ感じがする。
 ポリ容器に何かを入れて蓋を閉めたおじいさんが、こっちに
寄ってきて2人の手もとを覗きこんだので、隆は緊張した。
「いいナイフを持ってるじゃないか」と、おじいさんは感心し
たように言った。
「でも使い方がなっとらんな、ノコギリじゃないんだから。ち
ょっと貸してごらん」
 おじいさんが隆の方に手をのばした。「どうぞ」と良一が返
事をして、アーミーナイフを差し出した。
「こうして、この瞬間に力を入れるんだ。気合で切るんだよ」
 おじいさんはスパッ、スパッと枝を切った。老人でもなかな
か力があるんだ、いや力じゃないのかな、と隆は切出しナイフ
を持ったまま見とれてしまった。隆は田舎におじいさんがいる
が、一緒に暮したことはないので、おじいさんにどのくらい力
があるのか見当がつかない。
「〈きもだめし〉だって?」
  と、枝を切りながらおじいさんが言った。
「はい」
「はい」
「わしらもやったなあ。この辺はまだ、おおかた畑と雑木林で
さ、提灯もって八幡様まで行ったもんだ」
「八幡様ですか。ずいぶん遠くまで行ったんですね」
 と隆は言った。
「ニイサンたちは、どこでやるんだい」
「ドンブリ山です」
 ニイサンとよばれたのに、答えがちょっと幼稚で恥かしかっ
たが、小さい頃からみんながそう呼んでいたのだから仕方がな
い。
「ああ、庄屋屋敷かね。庄屋屋敷のお嬢さんは偉いもんだ」
 おじいさんが「お嬢さん」と言ったので、隆は「へ!?」と思
ったが、口には出さなかった。
「ご先祖様の遺言を守って、土地を売らずにいなさる。しかし、
そのために2人とも独身を通して、気の毒なことだ」
 おじいさんは「お嬢さん」と言ったが、ドンブリ山の藪の奥
にある柱の太い古い家の庭先から、遊んでいる子供たちをジィ
ーッと見ている2人のおばあさんを、隆たちは本当は「オニバ
バ」と呼んでいるのだ。べつに子供たちを叱るわけではないが、
髪がぼうぼうになって、魂が抜けたように立っているからだ。
「ちょっと土地を切り売りすれば、億万長者になるというのに。
あの辺はみんなマンションになってしまったが、昔はムジナが
出たんだよ」
「ムジナって、なんですか?」
 と良一が聞いた。
「狸や狐みたいなものらしいな、誰もハッキリ正体は知らんの
だが。人をだますんだ」
「それなら、イヌ科の動物ですね。狸も狐もイヌ科ですから」
「そうなの?」と隆が言った。「狸と狐は、ずいぶん違うよう
な気がするけど」
「イヌ科だよ」良一は自信をもって断言した。「でも、人をだ
ますって、どんなふうににだますんですか」
「昔はな」と、おじいさんが言った。「この辺から三軒茶屋の
あたりまで、ほとんど畑や竹薮や雑木林で、農家がぽつりぽつ
りとあったんだ。ある日、三軒茶屋まで葬式に行って、夜遅く
歩いて帰ってきて、庄屋屋敷のちょっとこっちの地蔵堂のとこ
ろにさしかかったんだ」
「ああ、郵便局のとこ?」
 と隆が言った。
「ああ、あそこだ。遠くに家の明りが見えて、やれやれようや
く帰ってきた、もう少しだと思ったんだよ。ところが歩いても
歩いても、いっこうに家にたどりつかないんだ。でね、ふと気
がつくと、さっき確かに通り過ぎたはずのお地蔵様の前を、ま
た歩いてるんだなあ。家の明りが幻灯みたいに遠くに見えてさ、
頭がボーッとなっちまった」
 隆と良一は、ごくんと唾を飲みこんだ。
「それで、どうやって帰れたの?」
 と隆が聞いた。
「ずいぶん長い間、同じところをぐるぐる回っていたらしいん
だよ。気がついたら家の前に立っていた」
「異次元に入ったのかなあ」
 と良一が言った。
「おじいちゃん! また変な話して。だまされちゃダメよ。お
じいちゃんはウソ話が上手なんだから」
 女の子の声に隆が降り返ると、キヨ子と玲子がシーツのお化
けを持って立っていた。
「いや、この話は本当だよ」
 おじいさんは立ちあがった。キヨ子に「ウソ話」と決めつけ
られたのに、うれしそうに笑っている。
「おじいちゃんはね、昔は落語家になりたかったんだって」
「退散、退散」
 と調理場に入っていくおじいさんは、着物と羽織を着て座布
団に坐れば似合いそうだと隆は思った。
「これで、どう?」
 とキヨ子が、大きなてるてる坊主のようなお化けを三つと、
シーツを裂いてヒラヒラにしたものや白い軍手を見せた。
「頭んとこ、何を入れたの?」
 隆が聞くと、玲子は恥かしそうな顔をした。キヨ子が答えた。
「パンストの古いの」
 今度は隆と良一が恥かしそうな顔をした。竹の先にお化けを
吊るすために、くくってあるお化けの首のところをヒモでもう
一度結ぶ時、隆は人の首を締めているような気がした。
 お化けのぶらさがった竹を立てて町の中を歩くと目立つので、
竹を横にしてドンブリ山まで持っていくことにした。隆がお化
けの頭のところ、良一が古シーツの裾の方を持って歩いていく
時、隆はなんだか死体を運んでいるような気がした。
「このお地蔵さんだよ」
 郵便局前の歩道の植込みの中にあるお地蔵様の前を通った時、
隆は良一におしえた。道路に面してマンションや大きなビルが
建ち並んでいる。一つの裏の通りに入ると、その先の角がドン
ブリ山だが、山といってもドンブリを伏せたような、2メート
ルほどの斜面の上の雑木林だ。斜面には大きな根が露出してい
、小さな子が1人すっぽり入れる洞穴があったり、ズボンを泥
だらけにして叱られても、またすべりたくなる土のすべり台に
なっているところもある。
 4人は斜面の上にあがった。隆が名も知らない木々の間に夏
草が繁り、草いきれがむっと襲ってきた。木々には蔓草がから
んでいる。歩くたびに枯枝がポキポキと音を立てた。夏休みに
入ったばかりなので、蝉の声はまだあまり聞こえない。4人は
草をかき分けて少し奥に入った。
「この辺に、お化けを1人」
 とキヨ子が言った。隆は竹を地面に突き立てた。土は軟らか
かった。白いシーツの裾を垂らしたお化けが、ユーラリユーラ
リと揺れた。
「うふふ」
 と玲子が口を押さえて笑った。
 校庭の3分の1ほどの広さのドンブリ山のあちらに1本、こ
ちらに1本と5本の竹を立てると、4人は奥の祠の方に行った。
「隆君は番号札を持って少し早めにここに来て、祠のところで
待っていて。そして到着順に札を渡すのよ」
 とキヨ子が言った。
「えーっ、俺が? 1人で?」
「だって信夫君は田舎に帰っちゃって、6年生の男子はあんた
だけなんだから、仕方ないじゃない。これは毎年、6年生の男
子の役よ。こわいの?」
「ねえ」と玲子が言った。「良一君と2人でもいいんじゃない」
「べつに……」と隆は言った。「俺1人でもいいよ」
「そうね、良一君と2人でいいわ」と班長が決定を下した。「
6班の子たちは7時半に校門に集合するから、私たちがここま
で連れてきて、2人か3人ずつに分かれて違うところからドン
ブリ山に入ることにするから。いいわね。私が笛で合図するか
ら」
「わかったよ」
 と副班長は従った。祠のもうすこし奥、ガクアジサイの白い
花が咲き残っているむこうの、古い大きな家のあたりはシンと
していた。
 夕食をすませると、隆は懐中電灯を持って1階下の良一をよ
び、薄暗い道をドンブリ山へと直行した。途中の路地で小さな
子たちが、お母さんと花火をしていた。
「ムジナって、まだいるのかな」
 お地蔵様の前を通った時、良一が言った。隆はムジナのこと
などすっかり忘れていたのに、思い出したくないものを思い出
してしまった。
 ドンブリ山は遠くから見ると黒くこんもりしていて、昼間と
は違って、本当にお化けが出そうな感じだ。斜面をのぼる時、
懐中電灯で足もとを照らさなければならなかった。
「俺たちはお化けを立てた場所を知ってるからオッカナクない
けど、かなり効果がありそうだな」
 隆は藪の中を祠にむかいながら言った。闇の中に白っぽいも
のがボーッと浮んでいて、本当はかなり気味が悪い。
 祠のところにくると、2人は手持ち無沙汰にあたりを見回し
た。シンとしている中に、ジージーというような音が地を這う
ように聞こえてくる。何かが藪の中を歩いているような気配も
ある。隆は古い家の方を見た。一つだけの窓にだけ、黄色っぽ
い明りがともっていた。
「なんだか、まだランプでも使ってるみたいだな」
 と言った時、古い家の庭先にスーッと、白い霧のようなもの
が流れたような気がして、隆はギクッとした。良一の方を見る
と、良一も同じ方を見ていた。そして、眼を見ひらいて隆の方
を見た。
 隆は(いま、白いものがスーッと通らなかったか?)と良一
に聞こうかと思ったが、こわがっていると思われたくないので
黙っていた。2人は黙りこくって、古い家の方は見ないように
して立っていた。良一がふるえているのがわかった。隆自身の
膝もふるえていた。でも、そのことを言ったら、2人で叫んで
駆け出しそうなので、足を踏んばって黙っていた。
 やがて、子供のざわめきの声が聞こえてきた。ピーッと笛が
鳴った。藪をかき分ける音や、きゃあきゃあ騒ぐ声が、あちこ
ちから聞こえはじめた。隆はホッとした。
「みんなを、おどかそうぜ」
 と言って隆は、懐中電灯で自分の顔を下から照らした。
「キャーッ!」
 と叫んで、最初に祠の前にあらわれたのは、キヨ子だった。
「やめなさいよ。1年生たちが、こわがるじゃないの」
 とキヨ子は怒ったが、1年生を2人連れているキヨ子自身も、
かなりこわがっているようだ。
「私たち、何着?」
「1着です」
 と良一が番号札を渡した。
「今日の参加者は、ぜんぶで22人よ。9組に分けたから、9
番までおわったら、あんたたちも出てきていいわ」
 とキヨ子は班長の威厳を保って言った。隆は白い霧のような
ものについて話そうかと思ったが、みんなをこわがらせるため
の「ウソ話」と思われそうなのでやめた。
 キヨ子は2人の1年生を連れて藪の中を戻っていった。
「オーイ、みんなー、足もとに気をつけるのよー」
 という声が、遠くから聞こえた。そして、その日の〈きもだ
めし〉は1人のケガもなく、無事におわったのだった。が……。
 九月になった。始業式の日の朝、うしろからキヨ子が走って
きて隆をよびとめた。
「ねえ、ドンブリ山のおばあさんの話、聞いた?」
「うん、新聞でも読んだ」
 庄屋屋敷へ区の民生委員が見回りに行ったところ、異臭がす
るので座敷に入ってみた。するとお姉さんの方のおばあさんは
フトンに横たわっていて、妹の方のおばあさんはその脇にぼん
やりと坐っていた。お姉さんの方はすでに死亡し腐乱しかかっ
ていて、妹の方は病院に収容されて間もなく亡くなった、とい
う記事だった。
「ちょうど私たちが〈きもだめし〉した頃に死んだのよね」
 とキヨ子がささやいた。それはもう何度も、隆が考えたこと
だった。でも、隆は黙っていた。良一と会っても、互いにその
ことは話さなかった。
 二人のおばあさんは、ちゃんと遺言書を作ってあったそうだ。
遺言によってドンブリ山は区に寄附され、区はそこを児童公園
にすることにして整地が始った。
 できあがった公園には小道やベンチがあった。舗装はしない
で軟らかい土のままだったが、藪などはなくなってしまった。
中学生になった隆は制服を着て、ときどき近道のその公園を通
り抜けた。親子連れなどが散歩していたが、昔はそこは、子供
だけがもぐりこむ場所だったのだ。おばあさんをオッカナイと
思いながら忍びこむ場所だった時の方が、ずっと面白かったよ
うな気がした。
 そして、本当は二人のおばあさんは、子供が好きだったとい
う気がした。
 良一が六年生になって班長になった夏休みには、もう誰も「
去年のようにドンブリ山で〈きもだめし〉をやろう」とは言わ
なかった。■

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