『天才の勉強術』木原武一 新潮選書


超人的な集中力の持主  ニュートン


■生涯を通じて楽しいこと
■天才との共通点を見つける
■休暇から生れた大発見

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生涯を通じて楽しいこと
 ほとんどの人は天才にはなれないが、偉人にはなれる
かもしれない、と『大人のための偉人伝』(新潮選書)で
私は書いたが、最近、このことばには多少の注釈が必要
だということに気づいた。私が言いたかったのは、偉人
と言われる人びとの発揮した能力は、ひとつひとつをよ
く見れば、ふつうの人も十分に持ちうるものであって、
そういう意味では、だqれでも偉人になりうるが、しか
し、天才と言われる人びとは、ふつうの人にはとうてい
及びもつかないような能力の持主であって、ほとんどの
人はいかに努力しても天才にはなれない、ということで
あった。
 しかし、天才についていろいろ調べてみると、彼らの
持っていた能力は、はたして「及びもつかないような」
特別のものなのだろうか、という疑問が湧いてきた。天
才の能力は、この世に生れてから、何らかの方法によっ
て獲得され、学習されたものであって、その方法がわか
れば、ことによると、ふつうの人も天才になれるかもし
れないと考えたのである。そして、肝心なことは、天才
になれるとかなれないとかといったことではなく、世に
天才と言われる人びとが、いかにしてそのすばらしい能
力を身につけたかについて知ることではなかろうかと思
いいたったしだいである。楽観的だと批判されそうな、
この見解も、幼な子を持つ親には子育てのうえで、少年
少女には勉学のうえで、教師には生徒を教えるうえで、
中年以後の人びとには残された時間を豊かなものにする
うえで、役に立つかもしれないとも考えた。なぜなら、
人間の生涯において、何かすばらしい能力を身につけ、
それを発揮することほど楽しいことはないはずだから。

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天才との共通点を見つける
 イギリスの物理学者にして数学者、十七世紀の科学革
命を完成した人物、アイザック・ニュートン(1642〜172
7)については、彼こそ科学の世界における最高の天才で
あって、いかに努力しても、ニュートンのような能力を
獲得するのは不可能である、というのが一般の見方のよ
うである。彼はふつうの人びとの経験や見方からニュー
トンについてあれこれ言っても無益である、と述べてい
る伝記作家もいるほどだ。まるでニュートンは他の人び
ととは共通点をまったく持っていない人間であるかのよ
うな感じである。
 しかし、ニュートンもひとりの人間である。人間であ
るということは、他の人びととのコミュニケーションの
なかで生きているということであり、コミュニケーショ
ンのなかで生きるということは、他の人びととのあいだ
に何らかの共通点を持っているということにならないだ
ろうか。
 ニュートンのなしとげた偉業は、ふつうの人びとは言
うまでもなく、大多数の有能な科学者にも及びもつかな
いことだとしても、そこにいたるプロセスそのものには、
一般の人びとにも可能な、何か共通のものがありはしな
いだろうか、というのが私の仮説であり、推測である。
その共通の何かがわかれば、大天才ニュートンも、少し
は身近に感じられてくるかもしれない。といっても、こ
こで、三百年前の人間であるニュートンを身近に感じた
ところで、いったい何の意味があるのか、という疑問が
出るかもしれない。これに対しては。ニュートンに限ら
ず、天才に感化された、自分のなかにあるかもしれない
すばらしい能力に気づき、ことによると、それを発揮し
てみたいと思うようになるかもしれないという利点であ
る。
 ところで、ニュートンは、有名な万有引力の法則の発
見をはじめとする物理学ならびに数学の研究によって、
科学の歴史に新しい時代を開いたわけであるが、どのよ
うにして、大発見をなしとげたのかと訊かれて、こう答
えたと伝えられている。
「発見にいたるまで、いつもいつも考えていることによ
ってです。問題をいつも自分の前におき、暁の一筋の光
が射し込み、それから少しずつ明るくなり、本当にはっ
きりしてくるまで、じっと待っているのです」
 ひと言でいえば、持続的な集中力ということである。
あるひとつの問題について、すべての精神力を集中して
いつまでも考え続けること――これがニュートンの天才
の秘密だというわけである。
 もちろん、集中力はたいていの人がしばしば八機する
こともある能力であって、これなくしては立派な仕事も
できるはずがなく、集中力とはどういうものかをまった
く体験したことのない人はめずらしいだろう。問題は、
どれくらい集中力を持続できるかということである。ニ
ュートン自身の言うように、一筋の光が射し込み、やが
てすべてはっきりと見えるようになるまで集中力を維持
できるかどうかである。人間はどれくらい連続して精神
をひとつのことのみに集中できるのだろうかと考えてみ
ると、私の場合、長くても二・三時間というところだろ
うか。
 四時間もじっと椅子に坐っていることができたらたい
したものである。

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休暇から生れた大発見
 ニュートンがいったいどのような集中力を発揮して、
どのようなことをなしとげたのかを調べてみると、彼の
生涯のなかに、集中力ののピークが二回あったことがわ
かる。
 まず、最初のピークは、二十二、三歳の頃に訪れた。
当時、ニュートンはケンブリッジ大学の学生であったが、
ロンドンを中心にイギリスにペストが流行し、ケンブリ
ッジ大学が閉鎖されたため、故郷の田舎に帰って休暇を
楽しんでいた。といっても、たぶんこれほど創造的な休
暇はほかになかろう。この約十八か月の休暇中に、彼は
その名を歴史に残すことになる三大発見をなしとげてい
るからである。三大発見とは、万有引力の法則の発見、
微積分学の発見、そして、太陽光線の性質に関する発見
であるが、どれひとつをとっても、一人の科学者が全生
涯を投入するに値するものばかりである。ニュートンは
それを短期間に三つもわがものとしてしまったのである
 この三大発見について簡単に触れておくと、まず、太
陽光線に関する研究では、ニュートンは、プリズムを通
した太陽の光が七色の光にわかれること、そして、その
七色の光をふたたびプリズムに通すと、最初の白色光に
もどることを実験でたしかめた。言われてみれば簡単な
この実験をニュートン以前に行った人はいなかったので
ある。のちに彼はこの実験を中心に、光のさまざまな性
質に関する研究書『光学』を書いた。
 微積分学は、簡単に言えば、変化の度合を示したり、
曲線でかこまれた面積を求めたりするための数学の方法
ということになるが、いまや数学のみならず、物理学に
おいても、さまざまな現象、たとえば物体の運動などを
記述するためには不可欠の技法であって、科学全般には
たしている貢献は測りしれない。ニュートンはこれを一
六六五年の夏ごろ発見したと伝えられているが、のちに、
ドイツの哲学者ライプニッツとのあいだで、どちらが先
に発見したかをめぐって論争がおきている。双方から誹
謗や中傷がかわされ、怒りっぽいニュートンはひどく名
誉を傷つけられた思いをしたようであるが、ほぼ同じ頃、
それぞれ独自に発見したというのが真相のようである。
ただし、微積分という名称はライプニッツによるもので、
ニュートンはこれを「流率法」と呼んでいた。
 万有引力の法則の発見については、樹から落ちるリン
ゴのエピソードが有名であるが、これは晩年のニュート
ンが当時を回顧して友人に語った話を単純化したもので
あって、リンゴが落下するのを見て引力発見したという、
そんな簡単な話ではない。その頃のニュートンが考え続
けていたテーマのひとつに、惑星や月の運動に関する問
題があった。リンゴが樹から落ちるとき、ニュートンが
思いついたのは、たぶんこういうことである――リンゴ
は地球の引力によって落下するわけであるが、月もやは
り地球に引っぱられているのではないか、それなのに、
月が地球に向って落ちてこないのはなぜか。
 惑星の運動についてはすでにケプラーの法則というも
のがあり、地上での物体の運動についてはガリレオの研
究があった。ニュートンは、樹から落ちるリンゴの観察
から得たアイデアをきっかけに、この二人の先人の研究
を手がかりにして、この地上の物体にも惑星にも同じよ
うにあてはまる法則を探し求めたのであった。こうして
発見したのが、二つの物体が引きあう引力は、二つの質
量の積に正比例し、二つの物体のあいだの距離の二乗に
反比例するという、有名な万有引力の法則である。
 このような三つの発見をニュートンは彼自身のことば
によると。「いつもいつも考えていることによって」な
しとげたわけであるが、それほど全精力を投入したにも
かかわらず、これらの大発見を人びとに知らせようとい
う意志がニュートンにはまったくなかった点が奇妙であ
る。微積分学と光学についてはそれからしばらくして論
文を書いたり、大学で講義をしたりしているが(ニュー
トンは二十六歳でケンブリッジ大学の教授となった)、
肝心の万有引力の法則については、なんと、二十年間も
公表されなかったのである。どうも、ニュートンは自分
の研究成果を世に問うて、学者としての名誉を得ること
にはほとんど無関心だったようである。ライプニッツと
の論争でひどく立腹したのは、ライプニッツから微積分
学を剽窃したという、あらぬ疑いをかけられたからだっ
た。
 ニュートンに二回目の集中力のピークが訪れたのは、
最初のピークから約二十年後のことであるが、それにつ
いてはこんなエピソードが伝えられている。当時、イギ
リスには一六六○年につくられたばかりの王立協会とい
う科学者の協会があって、ニュートンもその会員であっ
た(のちには会長になった)。ある時、協会の事務局長で
あったフック(「フックの法則」知られる科学者)が、王
立協会のレンという学者と、天文学者のハレー(「ハレ
ー彗星」の命名者)とを前に、引力は距離の二乗にに反
比例するという法則に従って天体は運動すると述べたこ
とがあった。ニュートンと同じことを発見していたので
ある。しかし、フックはこれを数学的に証明することが
できなかった。そこで、ハレーは、微積分学などの数学
の研究で有名になっていたニュートンならこの問題を解
くことができるかもしれないと考え、ニュートンを訪ね
たのであった。ハレーから問題を出されたニュートンは、
すでに発見していた万有引力の法則をはじめとして、運
動の法則や、天体の運動を記述するための数学的方法な
どについて述べた『自然哲学の数学的原理』(ふつうは
『プリンキピア』(原理)と略称される)を書きあげるこ
とになったのであった。その期間は、最初のピークと同
じ約十八ヵ月間である。
『プリンキピア』は、日本語訳では二段組で五百ページ
以上という大著で、その内容は専門家でもなかなか読み
通せないという難解なものである。人類に新しい科学の
時代を開いたこの著作を、十八か月という短期間に書き
あげたことは、その内容の複雑さや緻密さなどから言っ
て、科学史家の説明によると、奇跡に近いことだという。
まさに超人的な集中力の産物といってまちがいないよう
である。
『プリンキピア』を執筆していた頃のニュートンがいか
に仕事に集中していたかについては、彼の秘書や友人た
ちの目撃証言がいくつか伝えられている。
 当時、彼はケンブリッジ大学の構内にある教授用の住
居に住んでいて、部屋の掃除や食事の用意は家政婦がし
ていたが、朝、家政婦がベッドをなおしに部屋にはいっ
てみると、夕食が手つかずのまま残っていることがめず
らしくなかったという。残された食事はその家政婦の腹
のなかにおさまることになるわけであるが、健康を気づ
かう秘書にとっては、ニュートンにいかにして食事のこ
とを思い出させて、首尾よく食事をとるようにさせるか
がひとつの仕事でもあった。放っておくと、食べること
も忘れ、眠ることも忘れ、それこそ寝食を忘れて、仕事
に没頭したというのは、別に誇張でも何でもなく、ニュ
ートンの日常だったことが、秘書の証言などからわかっ
てくる。もちろん、ニュートンといえども空腹に耐えら
れなくなれば、食事をせざるをえないが、それも立った
ままのこともめずらしくなかった。
 文字どおり、仕事のことが片時も脳裏を去ったことは
なかったようで、庭を散歩していても、何かアイデアが
うかんでくると、突然、立ち止まり、部屋に飛び込んで、
机の前に立ったまま、そのアイデアを書きつけたりする。
時たま友人が訪ねてきても、仕事のほうに集中して、友
人のことをすっかり忘れてしまうこともめずらしくない。
「大発見」をするには普通の人には体験できないような
集中力と孤独が必要なようである。ニュートンに次ぐ物
理学の「大発見」をしたアインシュタインについても同
じようなことが伝えられている。アインシュタインは思
索のかたわらピアノを弾いたりしながらメモを取ったり
して、そのまま書斎に閉じこもり、だれにも会わず、食
事は書斎に運ばせ、こうして二週間が過ぎた。ある日、
真青な顔をしておりてきて、「さあ、これだ」と言って
紙片をテーブルに置いた。それが相対性理論だったとい
うことを、映画監督のチャップリンは自伝のなかでアイ
ンシュタインの夫人から聞いた話として伝えている。
 ニュートンにも、アインシュタインにとってのピアノ
のようなもの、極度の精神の集中に対する気分転換が必
要だった。

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