ほとんどの人は天才にはなれないが、偉人にはなれる
かもしれない、と『大人のための偉人伝』(新潮選書)で
私は書いたが、最近、このことばには多少の注釈が必要
だということに気づいた。私が言いたかったのは、偉人
と言われる人びとの発揮した能力は、ひとつひとつをよ
く見れば、ふつうの人も十分に持ちうるものであって、
そういう意味では、だqれでも偉人になりうるが、しか
し、天才と言われる人びとは、ふつうの人にはとうてい
及びもつかないような能力の持主であって、ほとんどの
人はいかに努力しても天才にはなれない、ということで
あった。
しかし、天才についていろいろ調べてみると、彼らの
持っていた能力は、はたして「及びもつかないような」
特別のものなのだろうか、という疑問が湧いてきた。天
才の能力は、この世に生れてから、何らかの方法によっ
て獲得され、学習されたものであって、その方法がわか
れば、ことによると、ふつうの人も天才になれるかもし
れないと考えたのである。そして、肝心なことは、天才
になれるとかなれないとかといったことではなく、世に
天才と言われる人びとが、いかにしてそのすばらしい能
力を身につけたかについて知ることではなかろうかと思
いいたったしだいである。楽観的だと批判されそうな、
この見解も、幼な子を持つ親には子育てのうえで、少年
少女には勉学のうえで、教師には生徒を教えるうえで、
中年以後の人びとには残された時間を豊かなものにする
うえで、役に立つかもしれないとも考えた。なぜなら、
人間の生涯において、何かすばらしい能力を身につけ、
それを発揮することほど楽しいことはないはずだから。
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