《人間魚雷の回天に乗っていたのだそうです。出撃した ものの霧が深くて、敵の艦船が発見できずに戻ってこら れて、その後、出撃の機会がないまま終戦になってしま ったとのことです》 ご近所の人の話を聞きC県のH市のAさん宅を訪ねた がインタヴューの申し入れは即座に拒否されてしまった。 《「変った人」だから注意して》という近所の人の印象 は、取り次いだ奥さんの応対にしっかり現れていた。首 だけだして取り次いだ奥さんもまた〈変わった人〉のよ うだ。「変人」が感染してしまったのかも知れない――。 母艦のイ号潜水艦に搭載されて呉の軍港から運ばれた Aさんの『回天』はどこの海域で母艦から離されたのだ ろうか。やはり沖縄であろうか――。 決死の覚悟で出撃し、戻って来なければならなかった という挫折感または屈辱感は、もとより余人の知るとこ ろではないにいても。そのトラウマ(=心の傷)からま だ解き放たれないのは気の毒なことであり、何とも哀し いことだ。 Aさんが人目に「変った人」と映るのは恐らく「オレ の苦しみが人にわかってたまるか」という思い、それも 尋常ではない強烈な思い込みが人格を支配し性格を形つ くってきたからではないだろうか。 55年もの間、Aさんは自分と戦ってきたのだろうか。 そうではなく、自分の殻の中に只、閉じこもり続けてき ただけではないだろうか。負の遺産をいつまでも心の中 に持ち続けて、それがなにを生み出すというのだろうか。 何を生み出してきたのだろうか。苦悩が長く続いたのだ から、そろそろ救われても良い時期ではないだろうか。 ここら辺りで思いの全てを表現してみてはどうだろうか。 誰かに話すか文章にするか。そうすることで癒されるの ではないだろうか。それとも癒されることを望んでいな いのだろうか。私の斟酌を……ご近所の人に、それとな く伝えてくださるようお願いして、その場を離れた。 無視・無反応は、続いている。 17歳、現在の高校生くらいのときの、出撃だった。 平成12年12月10日 |