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癒しの、言葉

何ヵ月か前のこと――。
「奪い合えば足りない、分け合えば余る」というアフォリズムを見、かなり前に、二十歳少し前でしたが、内科系の病気で入院していた際、少し年上の看護婦から「……与える、ということを、もっと考えなければダメよ!」言われたことを思い出しました。
「与えると言ったって入院して苦しんでいる僕に何ができるというのか?」と、この教えは、いささかショッキングなものでした……。「癒す」ことの意味は、新村出博士の『広辞苑』には、病や飢餓や心の悩みをなおす。と書かれています。この意味では、くだんのナースの言葉は私を悩ませたのですから決して癒しではありませんが、日常生活の中の人間関係でも受けることより与えることの方が何倍も嬉しい感じがします。近年、盛んになってきているヴォランティアなどのように、自分の何かを与えることができる心には、言葉にし難い何かが大きく育まれてくるような気がします。感謝されたくてする行為ではないにもかかわらず……感謝されることに感じる喜び、自分の存在感が客観的に認識できる喜び、それにより癒される渇きが私たちにはあるようです。
心の悩みを考えるとき「癒し」とは、基本的に主観的個人的なものです。日々の生活の中で、何をどのように感じても、それは私たちの自由です。しかし、例えば、俳句歳時記のように感じ方の指南書のようなものがあります。これこれのケースでは、これこれのように感じることが、われわれ日本人には妥当な感じ方であるということを暗に教えています。テレビ・映画などのメディアは『水戸黄門』『暴れん坊将軍』『忠臣蔵』などのような時代劇の作品でモラルの刷込みを行っています。……
モラルの刷込みは重いのですが、このサイト『癒しの窓』は、そうしたパターンと対峙したり、拒否しようというのではなく、本来もっと自由な個人的な感じ方を尊重して、無理をしないで生きて行くことを目指します。無理に頑張らなくていいのです。幕末の学者、橘曙覧(たちばなのあけみ)の『独楽吟』や街角の人々のキラメキ(煌き)を掬い上げる『昨日今日明日』というアンケートの結果などを掲載し、どれかのメディアを通じて、アクセスして下さる人との、『夢と感動と生き甲斐と』のコミュニケーションンが育まれることを期待しています。
トップページから行ける私の推薦サイトでも、「癒し」が得られます。ご意見ご感想、皆様が癒された事例や、皆様の好きな「癒しの言葉」の、ご投稿を歓迎致します。皆様の癒され体験、癒しの言葉で、私(カル・コパン)は癒されます。多くの人たちが癒されます。宜しくお願い申し上げます。

思えば思われる
尽くせば尽くされる
愛せば愛される

お役に立てるかどうか解りませんが、人生相談・困り事何でも相談にもできるだけ、秘密厳守!でお応えさせて頂きます。ネット上ですので当然、無料です。メールか、掲示板に記載して頂くことになります。できるだけ速やかに、お応えしたいと思います。お役に立てることで私は癒されます――。
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