お嬢さん放浪記


私が足かけ10年も費やして、アメリカとヨーロッパをほっつき歩いたのは、西欧の思想的な歩みのあとを自分の眼で見、その今日の課題を検討してみたかったからである……

お嬢さん放浪記  犬養道子 中公文庫

■著者・犬養道子さんについて
■アルバイトの記
■友情のパスポート
■シカゴの一夜
■オランダ風物
■洪 水
■パンとイタリアの労働者
■ドイツの冬の旅
■お城をもらった話
■女ひとり
 1 イタリアの巻
 2 フランスの巻
 3 税関の巻
■オルレアンからサン・ブノアへ
■ヨーロッパのお嬢さんたち

トップページに戻ります  












■友情のパスポート
  <1st line>
 ボストン・コモン(公園)の木々は裸だった。

  <ending>
 実際、10年の旅を通して、私はいつでもこのパスポ
ートを誰かから与えられた。法律的なパスポートや査証
の困難に出あったことはあったけれども、友情のパスポ
ートはどこへ行っても必ず見つかった。考えてみれば、
それによってこそ私は無事に旅をはじめ無事に旅を終え
ることが出来たのである。

メニュー戻ります

■シカゴの一夜 <1st line>  その朝シカゴの停車場は人波でうずまっていた。 <ending>  あれから丸5年半、毎年クリスマスになると、鉛筆書 きのクリスマス・カードがシカゴから送られて来る。 メニュー戻ります
■オランダ風物 <1st line> アントワープを出た汽車がマースの支流にかかる頃に なると、沿線にはがっしりとたくましい樫の木が多くな り、その枝ごしに、赤煉瓦でたたみあげ、勾配の急な屋 根をもち植木鉢をずらりと窓辺にかざった清潔で美しい 家々が見えはじめる。 <ending> 私はまたしても日本のことを考えた。無数の結核患者 たち、あまりにも貧しい療養施設、自炊を余儀なくさせ られる入院患者、病気と知りながらアルバイトと勉学と の二兎を追わねばならない学生たち……ヒルヴァサムを 辞す私の心にはあの韓国学生の言葉がつきささっていた。 「ミゼ―ルがあるんですよ。我々の土地には」 メニュー戻ります
■洪 水 <1st line> 冬の冷たい夜、友だちの家から帰る道すがら、ふと堤 防の土手に水のしたたり落ちている小さな穴を見つけた 少年が、その穴の中に自分の腕をさしこんで、堤防の決 壊を食いとめようと一晩必死に頑張ったあげく、辛うじ て村を水の猛威から救うことには成功したが、自分は凍 え死んでしまった――オランダに行くと、誰でも一度は 聞かされる話である。 <ending>  ただ明るい希望だけが村を包んでいた。 メニュー戻ります
■パンとイタリアの労働者 <1st line> 汽車の中はひどく混んでいた。 <ending> 汽車は全速力で南に向って走っている。警笛が風に乗 って流れていった。 メニュー戻ります
■ドイツの冬の旅 <1st line>  雪があまりひどくなったので、一行はハイデルベルグ に行く予定を変更して、このままボン経由でベルギーに 引き返すといいはじめた。 <ending> 町の人々の好意と、親身になって何から何まで尽して くれたフロイラインのホステスぶりには、心から感謝し ながらも、私は日程をくり上げて、シュパイヤーを逃げ 出した。ほんの一言、チョコレートが好きだと口をすべ らしたばかりに、町中の人々から山ほど贈られたチョコ レートをもてあましながら、私はボンに向かって出発し た。 メニュー戻ります
■女ひとり  1 イタリアの巻  <1st line>  たっぷり2時間かけて、サンタ・ク ローチェ寺院の ジオットを見物してか ら、私は朝日に輝くフィウメ河 のほと りに出て行った。 <ending> 「この少し先からバスが出ます、かえりはバスになさい、 電車よりすいているから」  と言いのこすと、淡々として去っていった。      2 フランスの巻 <1st line>  私の下宿は、ソルボンヌから歩いて 10分、モンパ ルナスから5分、ルー ヴルもコメディ・フランセーズ 座も目と鼻のところという、至極便利なサン・ジェルマ ン・デ・プレにあったから、いつとはなしに、みんなの 溜り場に  なっていた。    <ending>  しかし、世間は知らなくとも、私たちパリを愛しパリ で多くを学んだものはよく知っている。モラ神父が私た ち一人ひとりの忘れ難い恩人である。  3 税関の巻  <1st line>  オランダの物価はパリの半分である。   <ending> 「あなたの選択はとても良かったのです。ボンジュール トリステス! 悲しみよ、こんにちは。でも私に取って はほんとうにボン・ジュールだったのです」 メニュー戻ります
■オルレアンからサン・ブノアへ <1st line>  九月のある夕方、「ランフォルマシオン」という週刊 誌の編集部に働く友だちのテレーズ・ビドシャルトンが 訪ねて来た。    <ending>  私たちは再会を約束した。そして紅や金のさざなみを 立てている河にそって、古城で名高いシュリーの村に向 けて、東南の道をとった。 メニュー戻ります 
■ヨーロッパのお嬢さんたち <1st line> マリー・アントアネットというロマンチックな名のベ ルギー人がいた。 <ending>  マリー・アントアネットやローズマリーやニコルの俤 が、段々に遠のいて霞んで行ってしまうような気もする。 何となく淋しい。 メニュー戻ります
■著者・犬養道子さんについて  1921(大正10)年、東京に生まれる。  五・一五事件で凶弾に倒れた犬養木堂翁の孫、元法務 大臣犬養健氏の長女。女子学習院を経て津田英語塾に学 び、戦時中は父の秘書として中国に渡る。  1948(昭和23)年、奨学金を得て渡米、ボストン のレジス・カレッジに学んだ。1952年オランダに渡 り、ネーデルラント放送局の客員となる。1954年フ ランスに行き、パリ大学で哲学と仏文学を専攻。ついで スペイン・ベルギー・ドイツ・イギリス・イタリアなど を旅行、1957年帰国。最初の著書『お嬢さん放浪記』 (文藝春秋社刊)を出す。  以後、評論活動、一時、東京都の参与として都政に参 加したこともある。  1965年、1966年ハーバード大学研究員、レジ ス・カレッジ名誉法学博士号を受ける。1970年西独 に招かれ、ドイツ放送で活躍。3年間のボンでの生活は 『ラインの河辺』(中央公論社刊)にまとめる。  その後パリ市内に居を構え、文筆、放送などで活躍。 他の著書: 『あなたは間違っている』『私のアメリカ』 『私のヨーロッパ』『暮しの中の日本探険』 『女が外に出るとき』『旧約聖書物語』 『新約聖書物語』『セーヌ左岸で』 『今日は明日の前の日』etc. メニュー戻ります
精霊流し  原作:さだまさし 幻冬舎赤い月   原作:なかにし礼 新潮社

ご意見ご感想はこちらへ
トップページに戻ります

[PR]
動画