■友情のパスポート
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ボストン・コモン(公園)の木々は裸だった。
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実際、10年の旅を通して、私はいつでもこのパスポ
ートを誰かから与えられた。法律的なパスポートや査証
の困難に出あったことはあったけれども、友情のパスポ
ートはどこへ行っても必ず見つかった。考えてみれば、
それによってこそ私は無事に旅をはじめ無事に旅を終え
ることが出来たのである。
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■シカゴの一夜
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その朝シカゴの停車場は人波でうずまっていた。
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あれから丸5年半、毎年クリスマスになると、鉛筆書
きのクリスマス・カードがシカゴから送られて来る。
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■オランダ風物
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アントワープを出た汽車がマースの支流にかかる頃に
なると、沿線にはがっしりとたくましい樫の木が多くな
り、その枝ごしに、赤煉瓦でたたみあげ、勾配の急な屋
根をもち植木鉢をずらりと窓辺にかざった清潔で美しい
家々が見えはじめる。
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私はまたしても日本のことを考えた。無数の結核患者
たち、あまりにも貧しい療養施設、自炊を余儀なくさせ
られる入院患者、病気と知りながらアルバイトと勉学と
の二兎を追わねばならない学生たち……ヒルヴァサムを
辞す私の心にはあの韓国学生の言葉がつきささっていた。
「ミゼ―ルがあるんですよ。我々の土地には」
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■洪 水
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冬の冷たい夜、友だちの家から帰る道すがら、ふと堤
防の土手に水のしたたり落ちている小さな穴を見つけた
少年が、その穴の中に自分の腕をさしこんで、堤防の決
壊を食いとめようと一晩必死に頑張ったあげく、辛うじ
て村を水の猛威から救うことには成功したが、自分は凍
え死んでしまった――オランダに行くと、誰でも一度は
聞かされる話である。
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ただ明るい希望だけが村を包んでいた。
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■パンとイタリアの労働者
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汽車の中はひどく混んでいた。
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汽車は全速力で南に向って走っている。警笛が風に乗
って流れていった。
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■ドイツの冬の旅
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雪があまりひどくなったので、一行はハイデルベルグ
に行く予定を変更して、このままボン経由でベルギーに
引き返すといいはじめた。
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町の人々の好意と、親身になって何から何まで尽して
くれたフロイラインのホステスぶりには、心から感謝し
ながらも、私は日程をくり上げて、シュパイヤーを逃げ
出した。ほんの一言、チョコレートが好きだと口をすべ
らしたばかりに、町中の人々から山ほど贈られたチョコ
レートをもてあましながら、私はボンに向かって出発し
た。
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■女ひとり
1 イタリアの巻
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たっぷり2時間かけて、サンタ・ク ローチェ寺院の
ジオットを見物してか ら、私は朝日に輝くフィウメ河
のほと りに出て行った。
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「この少し先からバスが出ます、かえりはバスになさい、
電車よりすいているから」
と言いのこすと、淡々として去っていった。
2 フランスの巻
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私の下宿は、ソルボンヌから歩いて 10分、モンパ
ルナスから5分、ルー ヴルもコメディ・フランセーズ
座も目と鼻のところという、至極便利なサン・ジェルマ
ン・デ・プレにあったから、いつとはなしに、みんなの
溜り場に なっていた。
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しかし、世間は知らなくとも、私たちパリを愛しパリ
で多くを学んだものはよく知っている。モラ神父が私た
ち一人ひとりの忘れ難い恩人である。
3 税関の巻
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オランダの物価はパリの半分である。
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「あなたの選択はとても良かったのです。ボンジュール
トリステス! 悲しみよ、こんにちは。でも私に取って
はほんとうにボン・ジュールだったのです」
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■オルレアンからサン・ブノアへ
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九月のある夕方、「ランフォルマシオン」という週刊
誌の編集部に働く友だちのテレーズ・ビドシャルトンが
訪ねて来た。
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私たちは再会を約束した。そして紅や金のさざなみを
立てている河にそって、古城で名高いシュリーの村に向
けて、東南の道をとった。
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■ヨーロッパのお嬢さんたち
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マリー・アントアネットというロマンチックな名のベ
ルギー人がいた。
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マリー・アントアネットやローズマリーやニコルの俤
が、段々に遠のいて霞んで行ってしまうような気もする。
何となく淋しい。
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■著者・犬養道子さんについて
1921(大正10)年、東京に生まれる。
五・一五事件で凶弾に倒れた犬養木堂翁の孫、元法務
大臣犬養健氏の長女。女子学習院を経て津田英語塾に学
び、戦時中は父の秘書として中国に渡る。
1948(昭和23)年、奨学金を得て渡米、ボストン
のレジス・カレッジに学んだ。1952年オランダに渡
り、ネーデルラント放送局の客員となる。1954年フ
ランスに行き、パリ大学で哲学と仏文学を専攻。ついで
スペイン・ベルギー・ドイツ・イギリス・イタリアなど
を旅行、1957年帰国。最初の著書『お嬢さん放浪記』
(文藝春秋社刊)を出す。
以後、評論活動、一時、東京都の参与として都政に参
加したこともある。
1965年、1966年ハーバード大学研究員、レジ
ス・カレッジ名誉法学博士号を受ける。1970年西独
に招かれ、ドイツ放送で活躍。3年間のボンでの生活は
『ラインの河辺』(中央公論社刊)にまとめる。
その後パリ市内に居を構え、文筆、放送などで活躍。
他の著書:
『あなたは間違っている』『私のアメリカ』
『私のヨーロッパ』『暮しの中の日本探険』
『女が外に出るとき』『旧約聖書物語』
『新約聖書物語』『セーヌ左岸で』
『今日は明日の前の日』etc.
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精霊流し 原作:さだまさし 幻冬舎刊
赤い月 原作:なかにし礼 新潮社刊
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