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『私の好きな詩歌選』

            ☆ 草原をつくるには クローバーと蜜蜂がいる クローバーが一つ 蜜蜂が一匹 そして夢もいる―― もし蜜蜂がいないなら 夢だけでもいい   〔エミリ・エリザベス・ディキンスン詩集「自然と愛と孤独と」から 〈中島 完・訳 国文社刊。エミリ・エリザベス・ディキンスンは、終生独身。 腎臓病で死亡。享年五五才。妹のラビニアはエミリのことば通りに手紙類の大半を焼くが、 詩稿の焼却を思いとどまった。(1830―1886)〕 庭の面はまだかわかぬに夕立の空さりげなく澄める月かな 従三位・源頼政  若鮎の二手になりて上りけり         正岡 子規      天  気                  西脇順三郎 (覆された宝石)のような朝 何人か戸口にて誰かとささやく それは神の生誕の日         〔詩集『Ambarvalia』(昭和八年)〕     朝              北原白秋 よかったな、雨が霽れて、 涼しいな、 朝のお茶もいいものだな、 ほう、小さな栗の毬だな、 まだ青いね、 おや、ありゃさいかち虫だね、 もうきちきちやってるぞ、 ほう、墓石に陽が射したね、 ほう、緑だ、 すばらしい緑だ、 おい、菊子、菊子、 飯だ、飯だ。        北原白秋の詩集『水墨集』から 〔菊子は、白秋の第三の妻、江口章子と離婚して四ヵ月後に知り合った〕      村の詩                立原道造   朝 村の入口で太陽は目ざまし時計 百姓たちは顔を洗ひに出かける 泉はとくべつ上きげん よい天気がつづきます   昼 郵便配達がやつて来る ポオルは咳をしてゐる ?ルジニイは花を摘んでます きつと大きな花束になるでせう この景色は僕の手箱にしまひませう   夕 虹を見てゐる娘たちよ もう洗濯はすみました 真白い雲はおとなしく 船よりもゆつくりと 村の水たまりにさよならをする                『散歩詩集』  《久保田万太郎の俳句》 神田川祭りの中をながれけり もち古りし夫婦の箸や冷奴 一月や日のよくあたる家ばかり 一句二句三句四句五句枯野の句 あきくさをごったにつかね供えけり 涼しき灯すずしけれども哀しき灯 いそまきのしのびわさびの餘寒かな 永遠の都しづもる西日かな ばか、はしら、かき、はまぐりや春の雪 秋風やそのつもりなくまた眠り こしかたのゆめまぼろしの花野かな 枯野はも縁の下までつづきをり 湯豆腐やいのちのはてのうすあかり                      もし言葉が               谷川俊太郎 黙っていた方がいいのだ もし言葉が 一つの小石の沈黙を 忘れている位なら その沈黙の 友情と敵意とを 慣れた舌で ごたまぜにする位なら 黙っていた方がいいのだ 一つの言葉の中に 戦いを見ぬ位なら 祭とそして 死を聞かぬ位なら 黙っていた方がいいのだ もし言葉が 言葉を超えたものに 自らを捧げぬ位なら 常により深い静けさのために 歌おうとせぬ位なら    〔谷川俊太郎・詩集『あなたに』〈1960年〉から〕 《大伴旅人の和歌》 昔見し象の小河を今見ればいよよ清けくなりにけるかも 吉野なる夏実の河の川淀に鴨ぞ鳴くなる山陰にして     事 件             谷川俊太郎 事件だ! 記者は報道する 評論家は分析する 一言居士は批判する 無関係な人は興奮する すべての人が話題にする だが死者だけは黙っている―― やがて一言居士は忘れる 評論家も記者も忘れる すべての人が忘れる 事件を忘れる 死を忘れる 忘れることは事件にならない 〔谷川俊太郎『落首九十九』〈1962〜3年〉から〕 《笠金村の和歌》 丈夫の弓上振り起し射つる矢を後見む人は語り継ぐがね 泊瀬女の造る木綿花み吉野の滝の水沫に咲きにけらずや 海少女棚無し小舟漕ぎ出らし旅のやどりに楫の音聞ゆ  春の山のうしろから烟があがった  ――尾崎 放哉  もりもりもりあがる雲へ歩む     ――種田山頭火  何處やらに鶴の聲聞く霞かな    ――井上 井月  糸瓜咲ひて痰のつまりし仏かな   ――正岡 子規  堤ぐる我が得具足の一太刀             今この時ぞ天に抛つ   ――千 利 休  昨日といひ今日と暮らしてなすことも          なき身の夢のさむるあけぼの  ――小堀 遠州  さらしなや姥捨山の有明のつきずもものをおもふころかな                             伊 勢      表 札                石垣りん 自分の住むところには 自分で表札を出すにかぎる。 自分の寝泊りする場所に 他人がかけてくれる表札は いつもろくなことはない。 病院に入院したら 病室の名札には石垣りん様と 様がついた。 旅館に泊っても 部屋の外に名前は出ないが やがて焼場の鑵にはいると とじた扉の上に 石垣りん殿t札が下がるだろう そのとき私がこばめるか? 様も 殿も 付いてはいけない。 自分の住む所には 自分の手で表札をかけるに限る。 精神の在り場所も ハタから表札をかけられてはならない 石垣りん それでよい。 花にほふ梅は無双の梢かな     ――宗祇 にがにがしいつ迄嵐ふきのとう  ――宗鑑 落花枝に帰ると見れば胡蝶かな ――守武 ゆき尽くす江南の春の光かな ――貞徳 巡礼の棒ばかり行く夏のかな ――重頼 白露の無分別なる置所 ――宗因 大晦日定なき世のさだめかな ――西鶴 春の水ところどころに見ゆるかな ――鬼貫 清滝や波に散りこむ青松葉  ――芭蕉 あはれさやしぐるるころの山家集 ――素堂 白梅に明くる夜ばかりとなりにけり ――蕪村 うつくしや年暮れきりし夜の空 ――一茶 手毬唄かなしきことをうつくしく    ――虚子 炉をひらく火のひえびえともえにけり ――蛇笏 きびきびと万物寒に入りにけり ――風生        酔っぱらいの船                        アルチュール・ランボー                      ひろびろとして、なんの手応えもない大河を僕がくだっていった とき、船曳きたちにひかれていたことも、いつしかおぼえなくなった。 罵りわめく亜米利加印度人たちが、その船曳きをつかまえて、 裸にし、彩色した柱に釘づけて、弓矢の的にした。 フラマンの小麦や、イギリスの木綿をはこぶ僕にとっては、 乗組員のことなど、なんのかかわりもないことだ。 船曳きたちの騒動がようやく遠ざかったあとで、 河は、はじめて僕のおもい通り、くだるがままに僕をつれ去った。 ある冬のこと、沸き立つ潮のざわめきのまっただなかに、 あかん坊の頭脳のように思慮分別もわかず、僕は、ただ酔うた。 纜を解いて追ってくるどの半島も、 これ以上勝ちほこった混乱をおぼえたことはなかった。 風が、僕の海のうえのめざめを祝いだ。 犠牲をはてしもしらずまろばす波浪にもてあそばれ、 キルク栓よりもかるがると、僕はおどった。 十夜つづけて、船尾の檣燈のうるんだ眼をなつかしむひまもなく。 子供らが丸齧りする青林檎よりも新鮮な海水は、 舟板の樅材にしみとおり、 僕らの酒じみや、嘔吐を洗いそそぎ、 小錨や、舵を、もぎとっていった。 その時以来、僕は、空の星々をとかしこんだ乳のような、 海の詩に身も溺れこみ、 むさぼるように、渕の碧瑠璃をながめていると、 血の気も失せて、騒ぐ吃水線近く、時には、 ものおもわしげな水死人の沈んでゆくのを見た。 蒼茫たる海上は、見ているうちに、 アルコールよりも強烈に、竪琴の音よりもおおらかに、金紅色に 染め出され、その拍節と、熱狂とが、 愛執のにがい焦色をかもし出す。 僕は知った。引っ裂かれた稲妻の天を、竜巻を。 よせ返す波と、走る射水を。 夕暮を、また、青鳩の群のように胸ふくらませる曙を。 時にはまた、あるとは信じられないものを、この眼が見た。 菫色に凝る雲々の峯を輝かせて、 神秘な恐れを身に浴びた落日や、 ギリシャ古劇の悲劇俳優たちのように、 はるかに、裾襞をふるわせて、舞台をめぐる立つ波を僕は見た。 目もくらむ光の雪と降る良夜。 ものやさしくも、海の睫をふさぐ接吻や、 水液のわき立ちかえるありさまや、 唄いつれる夜光虫の大群が、黄に青に変わるのを夢に見た。 それから、まるい幾月も、僕は、ヒステリックな牛舎さながら、 暗礁に突っかける大波のあとを追う。 聖マリアのまばゆい御足が、あばれまわる大洋の、 鼻づらを曲げて飼い馴らしたまうことも忘れはて。 漂着したそこは、この世にあるとも信ぜられないフロリダ洲。 知っているかい?あそここそは、 はるか水平線のした、青緑に群なす波の背の、手づなとかかる 虹の水しぶきが、人々の肌や、豹の眼の花々といりまじるところ。 怪物レビアタンの群が燈心草のあいだに腐臭を放つ大簗の 瘴癘の泥海もながめて過ぎ、 大凪の中心で逆流する水が はては、瀑布となって、深淵にきって落とされるのも見た。 氷河、銀の太陽、真珠色の波、燠のような、かじかんだ陽ざし。 にごった入江の奥ふかくに、ばらばらにこわれた座礁船。 床虫に喰いちぎられた大蛇どもが、陰惨な、へんな臭気を放って、 よじれ曲った木の股から墜っこちてくるところ。 この金色の魚、歌いながら青波をくぐってあそぶ真鯛の群を、 ふるさとの子供たちに見せてやりたいな。 花と咲く波の泡は、僕の漂流を祝福し、 えもいわれぬ涼風に乗って僕は、飛びたくなった。羽がほしくなった。 時にはまた、両極や、赤道地帯を、殉教者のように倦みつかれて、 生みは、すすり泣きで、やさしく僕をゆすぶる。 一日の血を吸い取った吸玉のように黄色い夕陽が、萎れてゆくとき、 僕は、小娘のようにじっとひざまずく……。 そのとき、黄金の眼をした誹謗者、島に巣喰う海鳥の群が、 舷を訪れ、喧噪と糞を上からふらす。 もろい細索を越えて航海に疲れたものらが、永遠のやすらいをとりに 入水する時刻、 僕らは、侘しくもまた、船旅をつづける。 だが、内湾の藻草の髪にからまれて、ゆくえもしらずなったとき、 颶風の腕にさらわれて、鳥もおられぬエーテルに、この身が投げ すてられたときは、巡海船も、ハンザの帆船も、 酔いどれた水のあくどい愛撫から救い出してくれるあてがない。 おもうがままに煙をふかしつつ、うす紫の霧靄に乗り、 赤ちゃけた空を、壁のようにくりぬいてすすむ僕。 よい詩人にとっては、無上の糖菓。 太陽のかさぶたや、空の洟汁を身につけてる僕。 火花と閃めく衛星どもを伴い、黒々とした海馬に護られて、 革命日の七月が、燃ゆる漏斗の紺碧ふかい晴天を 丸太ん棒でたたきこわした豪雨のなか、 一枚の板子のようにおろかにも、翻弄されてゆられる僕。  五十海里のむこう、発情した海のベヘモとくらい渦潮とが 抱きあってうめき叫ぶのをきいて身の毛もよだった僕。 どこまで行っても青い海を糸繰りながら、ゆきつくあてをもたぬ僕は、 古い胸壁めぐらしたヨーロッパをつねになつかしんだ。 僕は見た。空にふりまかれた星の群島を! 有頂天な空が、航海者たちをまねいているその島々を。 百万の黄金の島よ。未来の方よ。この底ふかい夜のいずくに、 おお。どこに、おまえは眠っているか。どこかにかくれているか。 正直言えば、僕には、かなしいことがたくさんすぎた。夜明けになる ごとに、このむねははり裂ける。 月の光はいやらしく、日の光は、にがにがしい。 この身を噛みとる愛情は、ただ、喪失したような麻酔で、僕を脹ませ るだけだ。おお。僕の竜骨よ。めりめりと砕けよ!おお。この身よ。 海にさらわれてしまえ! どれほどヨーロッパの海をなつかしんでみても、 匂わしい薄暮のころ、子供がひざまずいて、憂わしげな様子をして、 五月の峰のように、こわれやすい玩具の帆舟を放つ くらい、冷たい、森の潴り水に、それはすぎないのだ。 おお。波よ!その倦怠をこの身に浴びてからは、 木綿をはこぶ荷舟の船脚をさまたげることも興がなく、 旗や、焔の誇りあうのも、 門橋の恐ろしい眼をくぐって泳ぎつき、巨利をむさぼることも、 僕にはできなくなった。 〔『見者の詩編』〈金子光晴・訳  角川書店刊〉から。 A・ランボー(1854―1891)〕     あけぼの               アルチュール・ランボー ぼくは夏のあけぼのを抱いた。 宮殿の正面では、まだ何ものも動いてはいなかった。流れは死ん でいた。野営している影たちは森の道を離れていなかった。 生き生きしたした、なまあたたかい息吹きを目覚めさせながら、 ぼくは歩いた。石たちが目をこらした、翼が音もなく舞いあがった。 最初にぼくを誘ったのは、もうさわやかな青白い光にみちた小道で、 ぼくに名を名乗った一輪の花であった。 ぼくは、もみの林ごしに、金髪の髪ふり乱す滝に笑いかけた。 銀色の山頂には、たしかに女神がいた。そこで、ぼくは一枚 また一枚とヴェールをめくった。並木道では、腕ふりまわして、 野原では、雄鶏(おんどり)に彼女のことを知らせてやった。 大都会で、彼女は、鐘楼や円屋根(ドーム)のあいだを逃げていった。 大理石の河岸を、乞食みたいに走りながら、ぼくは彼女を追いたてた。 坂の上の、月桂樹の林のそばで、拾い集めたヴェールを彼女に まきつけた。彼女の測り知れない大きなからだを、ぼくはかすかに 感じた。あけぼのと子供は、林のすそに倒れた。 目を覚ますと、真昼であった。              ――『イリュミナシオン』鈴木力衛訳  《西行の和歌 『山家集』から》 岩間とぢし氷も今朝はとけそめて苔の下水みちもとむらむ 世の中をおもへばなべて散る花の我身をさてもいづちかもせむ 難波江の入江の蘆に霜さえて浦風寒きあさぼらけかな 津の國の難波の春は夢なれや蘆の枯葉に風わたるなり さ夜ふけて月にかはづの聲きけばみぎはもすずし池のうきくさ さきそむる花を一枝まづ折りて昔の人のためと思はむ 木のもとは見る人しげし櫻花よそにながめて我は惜しまむ 水底にふかきみどりの色見えて風に浪よる河やなぎかな                 《柿本人麿の和歌》 東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ 淡海の海夕浪千鳥汝が鳴けば情もしのに古思ほゆ もののふの八十氏河の網代木にいさよふ波の行く方知らずも 鳴呼見の浦に船乗りすらむ少女らが珠裳の裾に潮満つらむか あしびきの山川の瀬の響るなべに弓月が獄に雲立ち渡る ぬばたまの夜さりくれば巻向くの川音高しも嵐かも疾き 巻向の檜原もいまだ雲居ねば小松が末ゆ沫雪流る 御食向ふ南淵山の巌には落りし斑雪か消え残りたる 去年見てし秋の月夜は渡れども相見し妹はいや年離かる 《山部赤人の和歌》 若の浦に潮満ちくれば潟を無み葦辺をさして鶴鳴き渡る み吉野の象山の際の木末にはここだもさわぐ鳥の声かも ぬばたまの夜の更けゆけば久木生ふる清き川原に千鳥しば鳴く  春の野にすみれ採みにと来しわれぞ野をなつかしみ一夜寝にける 《狭野弟上娘子》 君が行く道のながてを繰り畳ね焼きほろぼさむ天の火もがも 命あらば逢ふこともあらむわが故にはだな思ひそ命だに経ば 帰りける人来れりといひしかばほとほと死にき君かと思ひて わが背子が帰り来まさむ時の為命残さむ忘れたまふな     都会に雨が降るように……                ポール・ヴェルレーヌ 都会に雨が降るように ぼくの心になみだ降る。 心にしみこんでくる このけだるさは何であろう? おお、雨のやさしい音よ! 地面の、そして屋根の上の。 うんざりしきっている心には、 おお、雨の歌声だ! むかむかしているこの心の中で 理由もなく涙が降っている。 なんだって!裏切られたのでもない? この悲しみには理由がないのだ。 なぜだかわからぬ苦しみこそ まさしく最悪の苦しみ、 恋もなく、憎しみもないのに、 ぼくの心はこんなにも苦しんでいる          ――『言葉なき恋歌』鈴木力衛訳     感傷的対話                    ポール・ヴェルレーヌ 凍てついたひとけのない古い庭を かげふたついましがた通りすぎた。 その目は生気を失い、その唇はゆるんでいる。 そしてかすかにかれらの言葉が聞こえてくる。 凍てついたひとけのない古い庭で 亡霊ふたり過ぎし日を思い起こした。 ――おぼえているか、昔のうっとりとした気持ちを? ――どうしてまた、あたしにそんなことを思い出させたいの? ――いまでもきみの心臓はぼくの名を耳にするだけでどきどきするか? いまでもぼくの魂を夢に見るか?――いいえ。 ――ああ!ぼくらが口づけしていた言うに言われぬ あのしあわせなすばらしい日々よ!――そうかもしれないわ。 ――青かった、空は、そして大きかった、希望は! ――希望はうちのめされて、逃げていったわ、闇の空のかなたへ こんな言葉をかわしながら、かれらはからす麦の中を歩いていった、 そして夜だけがかれらの言葉を耳にした。                 ――『艶なるうたげ』鈴木力衛訳    海のそよ風                 ステファヌ・マラルメ 肉体は悲しい、ああ!わたしはあらゆる書物を読んでしまった。 逃げよう!かなたへ逃げよう!わたしは感じる、 鳥たちが空と未知の海のあいだで酔いしれているのを! 何ものも、目にうつる古びた庭も、 ひきとめないであろう、海にひたっているこの心を おお、夜よ!いつまでもまっ白な空しい紙の   上を 照らしているわたしのランプの不毛の光も、 そして子供に乳をやっている若い妻も。 出発しよう!帆桁帆柱をゆさぶっている蒸気船よ! 異国の自然に向って、錨をあげよ! 《倦怠》は残酷な希望にうちひしがれ、 手巾(ハンカチ)の最後の別れをなおも信じている! そして、おそらく、風をまねく帆柱は、 帆も帆柱も失い、避難すべき島もない、さまよえる 難破者たちの上に、一陣の風が傾ける帆柱となるであろう…… だがしかし、おお、わたしの心よ、聞け、船乗りの歌を!                     ――『詩集』鈴木力衛訳     交感(コレスポンダンス)                 シャルル・ボードレール 自然は一つの宮殿、そのいのちある柱が、 ときおりはっきりしない言葉を口にする、 人間は象徴の森を通ってそこをすぎてゆき、 象徴の森は親しげな眼差しでひとを見つめている。 長く尾をひくこだまが、遠くのほうで混ざり合ってしまうように、 夜のように、光明のように 果てしなく広く暗い統一の中で、 かおりと色と音とがたがいにこたえ合っている。 少年の肉のように新鮮で、オ−ボエの音のように おだやかで、草原のように緑色をしたかおりがある。 ――そして、そのほかの、腐った、豊かな、勝ち誇ったかおりが、 無限のもののひろがりをもって 竜涎香、麝香、安息香、焼香のように、 精神と感覚の恍惚感を歌っている。                『悪の華』鈴木力衛訳   この世の外なら何處へでも     ANY WHERE OUT OF THE WORLD                      シャルル・ボードレール   この人生はそれぞれの病人が舞台を移したいといふ欲望に憑か れてゐる一つの病院だ。こちらの男はせめて煖爐の前で苦しみたい と希ひ、あちらの男は窓のそばへ行けば癒えるものと信じてゐる。 私は自分が現在ゐない場所へ行けばいつでも幸福になれさうな氣が する。そこでこの轉居の問題は、私が絶へずおのれの魂と論議を交 す問題の一つである。 『ねえどうだろう、私の魂よ、冷えてしまった哀れな魂よ、 リスボンに住むのをどう思ふかな。あそこはきつと暖かいに 違ひないから、おまえも蜥蜴のやうに元氣を取戻すことだらう。 あの都は水のほとりにあるし、噂によれば大理石で築かれてゐて、 住民はひどく植物を忌み嫌つてゐるので、樹といふ樹を引抜いて しまふのださうだ。いかにもおまへの好みに合ふ風景ぢやないか。 光と金属と、それを映す水とから成る風景だよ。』 私の魂は答へない。 『動くものを眺めながら憩ふといふことが、そんなに好きなおまへの ことだから、オランダへ、あの至福の國へ、行って住みたいとは思は ないかい。いろんな美術館で何度も繪を見て感嘆したことのある あの地方でなら多分おまへも憂さ晴らしができるだらうよ。ロッテル ダムをどう思ふ、?檣の森や、家々の軒下に繋がれた船の好きな おまへだからな。』 私の魂は打黙したまま。 『バタヴィアの方がもつとおまへの氣に入るかも知れないね。それに あそこへ行けばヨーロッパ精神が熱帶の美と結びついたさまを 見られるだらうからな。』 一言の答もない。――私の魂は死んでしまつたのだらうか。 『さては苦惱の中でしか心慰まぬほどおまへの麻痺症は惡化して しまつたのか。さういふわけなら、「死」と似通ふ國へ逃げて行かふ。 ――哀れな魂よ、萬事この私が引受けた。トルネオ行きの荷造りを しよう。もつと遠くまで、バルチック海の突端まで行かうぢやないか。 できれば、人生からもつともつと遠くへ行かう。極地へ行つて住まう。 あそこでは太陽も斜めに地を掠めるばかり、晝と夜とのゆるやかな 交替が、變化を少くして、虚無の半身たる單調を揩オてゐる。 あそこへ行けば私たちは、暗闇の永い浴みに涵ることができるのだ。 しかも一方、北極光が、私たちの憂さを晴らしにと、地獄の花火のや うなその薔薇色の束を、時をり、私たちに?つてくれるだらう。』 遂に私の魂は癇癪玉を破裂させ、いみじくも私に向つてかう叫んだ、 『どこでもいいよ、どこでもいいよ、この世の外でありさへすれば』。              ――『パリの憂鬱』齋藤磯雄訳     旅への誘い               シャルル・ボードレール    わが子、わが妹よ、    かなたの国にゆき ふたりして暮らす心地よさを夢みよう!    暇にまかせて愛し、    愛して、死のう きみによく似たその国で!    霧のかかった空の    うるんだ太陽が、 ぼくの心には涙ごしに輝いている    きみの不実な目の    あんなにも不思議な 魅力をもっているのだ。 そこでは、すべてが秩序と美と、 豪華と、静けさと快楽のみ。    歳月で磨かれて    光った家具が、 飾るだろう、ぼくらの部屋を、    たぐいまれな花々が    竜涎のぼんやりとした かおりにそのにおいをまぜ、    色あざやかな天井、    奥深い鏡、 東方の豪華さ、そうしたすべてが、    そこではひとの心に    語るだろう そのふるさとの心なごむ言葉を。 そこでは、すべてが秩序と美と、 豪華と、静けさと快楽のみ。    ごらん、運河の上、      さすらいの気分の 船あまた眠っているのを、    世界のはてから      船がきたのは きみのかすかな欲望をみたすため。    ――沈みゆく太陽は    野原にまとわせる、 運河に、町ぜんたいに、    あかね色とこがね色を、    世界は眠っている、 熱いひかりのただなかに。 そこでは、すべてが秩序と美と、 豪華と、静けさと快楽のみ。            ――『悪の華』鈴木力衛訳 わたつみの豊旗雲の入日見し今夜の月夜さや照りにこそ                        天智 天皇 夢や夢現や夢とわかぬかないかなる世にか覚めむとすらむ                      赤染 衛門

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