京洛四季 東山夷魁



■冬の北山杉
■冬の寺
■おけらまいり

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冬の北山杉
 冬は北山から来る。洛南のほうではよく晴れた日に、
遥かに連なる北山が、群青に翳り、また明るく照り、ま
るで澄みきった水の中のようにはっきり見えているのに、
その山並みの一部分に層を重ねた雲が、灰色をぼかし込
んでいるのを見ることがある。そんな時は、北山のどこ
かに冷たい雨が降りかかっているか、あるいは、小雪で
も舞い落ちているにちがいない。
 十二月に入って間もなくの明るい朝だった。高尾の谷
あいには、まだおそい紅葉がわずかに残っていた。栂尾
(とがのお)を過ぎると北の杉山が、うっすらと雪に蔽わ
れているのを見て驚いた。
 陽の当る山の斜面は、梢に残された葉の繁みが、粉を
振りかけたように白くなって重なり並び、その間を真直
ぐな幹の列が、明暗の縞模様を描いてリズミカルに連な
っていた。片側の蔭になった暗い谷は、伐採された斜面
だけが白くなって、立ち並ぶ杉の繁みを錆群青の深い色
に沈め、その上に置く雪を青味のあるグレーに見せてい
た。

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冬の寺
 年の暮れの近づく錦小路の混雑、南座の顔見世の提灯。
京の町中の雑踏をよそに、北山に雪が降って、厳しい寒
さを迎えようとしている。 
 この頃、寺院を廻るのは楽しい。洛北の寺などは、靴
をぬいで冷えきった廊下や畳の上を踏むと、足の甲が痛
く感じるほど寒い。
 静まりかえった部屋に、金地に濃彩の絢爛とした花鳥
画、または淡白な墨絵の山水というふうに、数々の障壁
画を眺めていると、身体の中に熱いものが感じられて、
寒さも苦にならない。
 緋の衣の老僧が着替えをしていたような記憶がある。
もっとも四十数年も前のことだからあてにはならないが。
背景は金地に楓と桜が左右に相対する部屋である。中学
一年くらいの少年が一人、部屋の真ん中に坐って、胸を
ときめかせながら、当時は狩野山楽筆となっていたこの
障壁画に見入っていた。これは不思議な情景である、し
かし、その少年は私であった。
 私は少年時代を神戸で過したから、京都へは時々行っ
たことがある。もっとも、その頃は、両親に連れられて
行ったことが多かったのだが、私は奇妙なことに子供の
時から旅に出ることが好きで、夏休みいつも半分くらい
は淡路島で過していた。一人で奈良へ行って仏像を見た
り、この時のように京都へ来て博物館や寺院の絵を見た
こともある。画家になりたいと思っていた。その少し後
には、画家はやめにして、本屋になりたいと思ったのだ
が、いずれにしても旅と美術を見ることが好きだった。
 美術学校の制服を着た青年が、同じ絵の前にいた。そ
れは前の場面から七年ばかり後のことである。美校生は
私であり、身体のなかに熱いものが湧いてくる思いで、
その絵を見つめていた。それから二、三の寺を廻って、
中学時代から親しかった三高生の友人の下宿へ向った。
黒谷真如堂の傍の家であった。
 今は、長谷川等伯父子の作とされるようになったこの
障壁画の前に立つと、やはり、桃山期の名作として、そ
の豪宕(ごうとう)な画面に感嘆しないではいられないが、
私の記憶の中では、もっと金箔が渋い中にも燦然と輝い
ていたし、画面がひとまわり大きかったような気がする。
 この桜と楓は寺の火災の際にも幸い難をまぬがれた。
また、保存も良いほうではあるが、いったいに京都の障
壁画は、戦後、ずいぶん痛みが激しくなった。観光客が
多過ぎるために、管理が行き届かない寺もあるためか、
自動車の排気ガスによる空気の汚染が原因なのか。しか
し、冬の日に寺院を廻ると、静かなたたずまいの中に、
すべてのものが生き返ったように見える。

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おけらまいり
 八坂神社の境内は、おけらまいりの群れで賑っていた。
「火縄どうどす」と火縄売りの呼び声。
 本殿前の三つの釣り燈篭に、おけら火が赤々と燃えて
いる。火縄を手にした人々が、その廻りにむらがって次
次におけら火を火縄に移し、消えないようにくるくると
火の輪をつくりながら帰って行く。
 八坂神社では、十二月二十八日に、神官が最も原始的
な方法で鑽(き)り出した火を、おけらを加えて焚き、お
けら火とするのである。
 火縄に移したおけら火を、家まで消さずに持って帰り、
その火で神棚の燈明をともして竈の火をつけると災厄を
払うという。昔からのしきたりである。神前に詣で、蘇
民将来子孫也と書かれた木製のお守りと、破魔矢を受け
て、綿菓子、しやうが飴、古風な飴細工などの露店の並
ぶ間を、雑踏とおけら火の輪に混じって帰る。

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除夜の鐘
 
 八坂から円山公園に出ると、知恩院の鐘が重々しい響
きをこめて、除夜の第一声を伝えてくる。
 山門を入ると、その音は身内に深く響くように近づく。
おおぜいの人々が、鐘楼のある小高い岡へ登って行く。
私はそちらへは行かず、大方丈の階段を昇った。天井か
ら長く垂れ下る瓔珞(ようらく)を、法燈が静かに照らす
内陣の荘厳に向って一礼した。そのまま縁に腰をおろし、
向いの岡の木陰から響いてくる鐘の音を聞いた。
 掛け声と共に閃光が黒々とした樹木の繁みを浮び上ら
す。撮影する人々のフラッシュライトである。ひと呼吸
の間をおいて、ゴーンとおごそかな響きが鳴り渡る。長
く尾をひく余韻を、夜の闇を深く吸い込んで、やがて静
まりかえる。また掛け声、閃光、そして鐘の響きと繰り
返される。
 この寺の巨鐘は撞木(しゅもく)に十一本の引き綱をつ
け、そのはしをめいめいの人が持ち、親綱を握る僧はそ
の人々に向い合った姿勢で立つ。掛け声と共に呼吸を合
わせ、手足に力を籠め、のけぞるようにして撞くという。
私は眼を閉じてその光景を想像しながら鐘の音を聞いて
いる。
 年を送り、年を迎えるこの時に、多くの人の胸に浮ぶ
であろう、あの気持。去り行く年に対しての心残りと、
来る年に対してのささやかな期待。年々を重ねてゆく凋
落(ちょうらく)の想いと、いま、巡り来る新しい年にこ
もる回生の希(ねが)い。「行き交う年もまた旅人」の感
慨を、京の旅の上で私はしみじみ感じた。
 こうして、私の京の旅は終った。

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