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『天才の勉強術』木原武一 新潮選書


大江戸を駆けめぐった「なんでも屋」 平賀源内


 人間を二種類に分けてながめてみると、たとえば、も
のごとへの関心や手がける仕事の種類がある枠のなかに
おさまって、その枠の外のことにはあまり見向きもしな
い人間と、会うたびに何か新しいことをはじめている人
間とがいるものだ。前者を収斂タイプ、後者を分散タイ
プと名づけてみると、これまで触れてきた、世に「天才
」と呼ばれ、その業績が後世に残るような人びとの多く
は収斂タイプの人間に属していることに気づくはずであ
る。俗に「万能の天才」と言われるレオナルド・ダ・ヴ
ィンチのような例もあるが、彼のばあい、その業績を詳
しく調べてみると、たしかにいりろなことを手がけては
いるが、その「天才ぶり」はもっぱら絵画の世界に限ら
れていた。集中するところから前人未踏の世界への扉を
開く力が生れ、分散された力は、精々その扉を軽くノッ
クするだけで終る。ゲーテは『ファウスト』のなかで、
「幸福になりたければ、狭い世界で生きるがよい」と言
っているが、何か人びとに感銘を与え、新しい世界を切
り開く仕事をなしとげたのは、ほとんどすべて狭い世界
に生きた人びとに限られる。
 ところがここに、人生を狭い世界に収斂させることを
拒み、思いつくかぎりのさまざまなことを手がけて、人
びとに深い印象を与え続けている一人の日本人がいる。
江戸時代の中頃に生きた平賀源内(1728〜79)がその人で
ある。
 平賀源内は半世紀の生涯のなかでたえず新奇なるもの
を追い求め続け、みずからを古今の大山師とも称し、後
世の歴史家からは大江戸のアイデアマンと賛えられたり
したが、彼ほど広い範囲にわたって好奇心を走らせ、そ
れぞれの分野でパイオニアとしての足跡をとどめている
人物もめずらしい。彼はしばしば「日本最初」を誇った。
日本で最初に西洋画を描いたのも、毛織物を試作したの
も、また「エレキテル」を復元して電気によって生ずる
不思議な現象を日本にはじめて紹介したのも、江戸時代
における滑稽を旨とする新しい文学の流れをつくったの
も、石綿によって「火浣布(かかんぷ)」という火に焼け
ない布を製作したのも、いずれも源内先生の手柄である。
そのほかに、薬用を目的として植物・動物・鉱物を研究
する本草学を手がける一方で、鉱山事業に進出して鉱山
コンサルタントとしても活躍し、滑稽文学や浄瑠璃の台
本を書くかと思うと、その文才を広告文の執筆などに惜
しげもなく投入し、生活のために小間物の製造販売も行
うという、なかなか収拾のつけようのない生涯を送った。
 源内が生きた江戸時代は、鎖国と身分制度などによっ
て、人びとに狭い世界で生きることが奨励された時代で
ある。そういう時代の気流にあえて逆らって生きたのが
源内であり、彼は収斂する力の価値よりも分散して広い
世界に及ぶ力の価値を信じた。広く浅くというのが、そ
の生涯をながめて浮びあがってくる生き方の原理であり、
なにごとにも深入りしなかったおかげで、彼は広い世界
を体験し、楽しむことができた。たとえば本草学をライ
フワークとして全精力をこれに集中すれば、新しい植物
学の扉を軽くノックして、ほんの少しばかり開いてみた
だけにすぎなかった。彼はいろいろな扉を次つぎとノッ
クして、細目に開けて未知の世界を覗いてみたかったの
であり、そんなふうにして広い世界を駆けめぐることが
彼の生き方となったのである。ひと言でいえば、大江戸
を駆けめぐった「なんでも屋」――それが源内という人
間である。


   『勉強』は人生を豊かにする  テレビの時代劇などに登場する平賀源内は町内の貧乏 浪人として描かれることが多いが、どうも実際はそうで なかったようだ。たしかに物知りではあったが、けっし て長屋住いの貧乏浪人などではなく、江戸の神田に一戸 を構え、女性よりも男性のほうに関心があったためか妻 を娶ることもなく、門弟と家僕を持つという生活を送っ ていた。多くの大名や幕府の要人と交流があって、そう いう人たちを相手に舶来の珍品の売買などを行って収入 を得ていた。第二回の長崎遊学でかなり大量の珍品を仕 入れ、これを大名や豪商に売りつける苦労を、「売ると いわずに欲しがらせて、望ませるまでの骨が折候」と手 紙に書いたりしている。また薬草や珍しい産物を地方の 同好の士に頒布(はんぷ)するといった仕事も手がけてい て、貧乏浪人どころか、けっこう金まわりのいい身分だ ったのである。こうして貯めこんだ資金をもとに始めた のが秩父での鉱山事業だったのである。  源内の生涯の物語から強く印象づけられるのは、自分 にはなんでもできるはずだという自信こそ、自分にある かなきかわからない能力を引き出す吸引力であり、そう いう自信が人生を豊かにするということである。多くの ことについて面白いと感じることができる感受性豊かな 精神がありさえすれば、だれでも人生を楽しむことがで きるにちがいない。すべての「勉強」は、要するに、人 生を豊かにし、人生を楽しむためにあるのではなかろう か。

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