ちょっといい話


♪♪♪ 我利馬の船出 灰谷健次郎 新潮文庫 ここでは一部をお目にかけます。……是非、本をお手にとられてお読みになられますことをお勧めします ♪♪♪

我利馬の船出
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第 一 の 章
 生まれ変りたいと思うことだけが生きがいの人間にと
っては、自分の国も家庭も必要ではない。
 そんなものから解放されて生きることができたら、ど
んなにせいせいすることか。
 そういう意志を表明するために、親からもらった名前
は名乗らないことにした。自分の名前は自分でつける。
我利馬(ガリバー)。名字はいらない。
 一刻もはやく生まれ変わるためには即刻死ぬのが条件
だろうが、今死んでしまったら子どものうちに車に踏み
踏みつぶされた蛙のようにみじめだ。それに死ぬために
も勇気は必要で、それはそうとう大きなエネルギーだと
思う。どうせならそれを別のところで使いたい。
 ぼくは今、あることを考えている。とうぶん秘密だ。
それはおいおい説明することにする。
 ぼくの父はとび職だったが、事故で障害を持つ身にな
ってしまった。そういう職業の大部分の人がそうである
ように、父も組合にはいっていなかったので、わずかば
かりの涙金でお払い箱になった。
 左官の手伝いをして糊口をしのいでいたが、食べざか
りの三人の子を抱えて暮らしは容易でなかった。
 ホステスとして母が働くようになり、そのころから父
の酒量があがっていく。だらしなく酔っぱらった父を、
母が口汚くののしり、いつもけんかが絶えなかった。
 よくある話だ。
 よくある話だなどと他人事(ひとごと)のようにいうの
は、そうでもいわなければ世の中の不公平というものを
一手に引き受けなくてはならない階層の人間にも自尊心
というものがあるということを示すことができないか。
 ぼくは小さいころ、まだ赤ん坊の下の弟をおぶって学
校にいっていた。みんなにくさいといわれ、つねられた
り小突かれたりした。
 給食のない日は弁当がないので、人影のまばらな運動
場でブランコをこいでいた。たった六歳のときにそんな
ありさまだった。
 神様は人間というものを意地悪くこしらえるもので、
はずかしいめに会わされる機会の多い人間ほど、ものご
とをはずかしく感じる心がつよいものだ。
 あるとき財布を拾ったので先生のところへ持っていっ
たことがあった。財布とぼくの顔をかわるがわる見て、
「中のもの盗っていない?」
 とその先生はやさしい顔をしてやさしい声でいった。
 怒りにふるえるのと、はずかしさにふるえるのとどち
らの方を先に取るかといえば、ぼくはちゅうちょなく前
の方を取るのだが、そんなとき、じっさい意地悪な神様
は決まって自分が選びたくない方を押しつける。
 みんなの前で、「もっときれいにしてね」といわれた
ときも、玉子焼きだけの遠足の弁当をのぞきこんで、「
まあ、たったそれだけ?」とおどろいたような顔をされ
たときも、身の置きどころのないはずかしさが先でその
先生への怒りは冬の日差しの子猫のように小さく丸まっ
てしまっていた。
 それは人間としてはずかしいことだが、幼い子どもの
感受性はそういうものなんだというよりしようがない。
 そうこうするうち、母は中の弟を連れてある町へいっ
てしまった。残されたぼくたちはみじめだった。
 そのころ、ほとんど稼ぎのなかった父はかわいそうに
半年ほど汁だけの食事だった。その父よりもっとかわい
そうなぼくは、下の弟のおしめの洗たくにおわれた。
 ぼくはいじめられるために学校にいっているようなも
のだった。
 犬といっしょに給食を食べさせられたり、零点のテス
ト用紙を首につるされたり、ともかく学校では人間ぎら
いになり生きているのがいやになるほどだった。授業は
なに一つ理解できず、退屈なだけである。
 ぼくはしょっちゅうズル休みをした。はじめて死にた
いと思ったのが七歳のときである。
 死ななかったのは母が帰ってきたからである。
 母は少し精神がおかしくなっていた。独りごとをいっ
たり、おかしくもないのに笑ったりする。しかし、それ
は一日のうち、ほんの少しで、ふつうに生活することは
できた。
 すると、また両親のけんかがはじまった。
 そのころぼくはいくらか成長していたので、父や母の
気持ちに添えるようになっていたのだが、それでまた両
親をうとましく思う気持ちがつよくなってしまった。
 やがて母は二度めの家出をする。というより下の弟も
ぼくも母に従ったから、父は置き去りにされたようなも
のである。
 ぼくが母についていったのは、母の精神の状態が少し
おかしいという心配もあったけれど、自分が生まれ育っ
たところから少しでも離れることによって、日ごろ、ぼ
んやり考えている遠くの夢の国に一歩でも近づけるかも
しれないという予感がしたからだといっておく。
 絶望の外になにもないという生活をしている者ほど、
夢のようなことばかり考える。そこにしか自分がないか
らだ。
 しかしながら家を出てからの生活は惨たんたるものだ
った。
 急に老(ふ)けてしまってホステスなどできなくなった
母は、飯場の飯炊きとして働いた。一月の半分くらいは
母の持ってかえってくる残飯をみんなで分け合って食べ
るという暮らしだった。弟たちはパンの耳をよろこんで
食べた。
 母の精神の病がすすむにつれて、ぼくたちの暮らしは
いっそうひどくなっていった。それは、母がふつうの労
働者から、雇い主のお情けにすがって生きている人間に
変ってしまったからだ。涙粒ほどの給金で働かされ、母
はそれに文句をいう気力も、力もなくしていた。
 父を呪って、いつも口の中でぶつぶついっていた。
 そんなわけだから、ぼくは生きるために狡猾になり、
その場その場でうそをついたり、自分の哀れな境遇を売
りこんだりして、母の少ない稼ぎを埋め合わすすべを身
につけていった。
 たとえばこんなことがあった。
 かわいそうな子どもたちを二、三日預って、ごちそう
をふるまったり、身の上ばなしをきいたりする制度があ
って、なんとか委員という肩書の人の家に呼ばれていく。
 ぼくはその家の人にうんと甘える。うそ隠しなく、な
にもかも話してしまったというふうにおしゃべりをうん
とする。
 それからその家の金を失敬する。 
 それだけだったらただの盗みで、受ける罰も決まって
いる。がんばらなくてはいけないのはそこからだ。
 もちろんはじめは叱られたり説教されたりする。しか
し、こんどは呼ばれなくてもその家に遊びにいく。そし
て、うんと甘える、おしゃべりをする。それをくり返す
のだ。
「人なつっこいいい子なんだけど、人のものを盗む癖だ
けはなおさないといけないな」
 そういうふうにいってくれるようになると成功である。
 うまくいけば、もう一度か二度、盗みをはたらくこと
ができるし、先方が用心してその機会がなかったとして
も、相手が自分の力でひとりの少年を更正させたと信じ
ているうちはいろいろと余ろくがある。
 いくらかの小遣いをくれたり、食べ物を恵んでくれた
りする。
 ここで誤解のないようにいっておくと、そういう手練
手管で現下の苦しい状況を少しくらい救うことができた
としても、その分だけ自分という人間に絶望してしまう
し、そんなことをしなくても、なんとか暮らしていくこ
とのできる世の中というものを、しきりに夢見るという
ことだ。
 そんなことまでしたのに、とうとう一家は食い詰め、
どん底になって、弟ふたりは施設にはいった。
 十歳にもなるというのに、かたかなひとつ書けない弟
が、手紙をかいてよこした。
「むかしよにんでくらしましたむかしよにんでくらしま
したおかあちゃんおにいちゃん」
 ぼくはその手紙を、母に見せる前にマッチで火をつけ
燃した。
 涙を流す人間は多いよりは少ない方がいい。
 弟たちを引き取ることができたのは、ぼくが義務制の
学校を終えるとしになって、理髪店の見習い店員として
働くようになってからである。
 どんな不幸なときでも少しくらいの楽しみはある。
 ほんとうに久し振りに親子四人で食事をとったときも
そうだったし、ぼくのはじめての給金で弟たちにくつ下
を買ってやったときもそうだった。
 かなしいことは、楽しみが長続きしないことだ。

 母の病気が進行して、そのためにぼくたちの生活は貧
困の苦しみの上にもう一つの苦しみが重なることになっ
た。母はとっくに働くことをやめていた。
 母の人嫌いがだんだんひどくなり、はじめ電気やガス
の集金人や保健所からやってくる人たちに、ものをぶっ
つけていたのが、一転して人がくると押し入れの中に隠
れてしまうようになった。
 他人に危害を加えなくなったのはいいことだが、市場
にも銭湯にもいかないということは、ぼくや弟たちにの
負担がどれほど大きいかということだ。
 母の体からはいつも悪臭がした。




 船がはじめて海に浮かぶ瞬間のよろこびを、おっさん
とぼくとガキども水入らずで味わいたかった。
 進水式を月曜日の午後4時に決めた。
 ガキどもは船が海に浮かぶものと決めてはしゃぎまわ
っている勝手に船に乗る順番をくじびきで決めたりして
いる。
 それを横目で見ながら、ぼくは不安な気持を押さえき
れなかった。
 ほんとうに船は海の上に浮かぶのだろうか。浮いたと
してもバランスはちゃんととれているのだろうか。
 おっさんは平気な顔をして鼻うたをうたっている。





 その夜、ぼくは弟たちに手紙を書いた。書いては破り
書いては破りした。書くほどに自分の伝えたい気持が遠
ざかっていく。
 封をして、みかん箱の机の下にかくした手紙の文章は
たったの1行だった。
「兄ちゃんは旅に出る。かあちゃんをたのむ」
 たぶん最後になるだろうと思いながら、母に行水をつ
かわせた。
 もう老婆のようになってしまった母は、たらいの中で
小猿のようにすわっている。湯をかけてやっても石けん
で洗ってやっても、ほとんど表情を変えない。
 この母からだれが、母の「人生」を吸い取ったのかと
思うと、ぼくは怒りがわいた。しかし、その怒りを怒る
ことのできない人間になってしまった自分を自覚して、
つらい思いがした。
 ぼくは自分を石にして、ただ、ひたすら母の背を流し
た。
 精神の真ん中は混沌としているのに、自分が現実の中
にあるとき濁った水が澄んでいくような心境になるのが
不思議だ。
 なにかをしようとしているのに、なにもかもあきらめ
てしまったというようなふくざつな気持である。
 こういう気持は自殺をしようとしている人間の気持ち
と同じであるかも知れないと、ふと思った。
 雨が降りつづいた。
 ぼくは船の中に航海に必要なものをはこびこんだ。水
、食糧、炊事用品、かんたんな医薬品、被服、寝袋、ラ
イフジャケット、双眼鏡、ラジオ、信号筒、修理道具、
それにいくらかの書物、生活に必要な最少の品ばかりだ
ったが、それでも相当の分量になった。
 何回にも分けてはこんだ。
 雨が降りつづいてくれることを祈った。人目につかな
いうちに出帆したかったのだ。
 ずぶぬれになって荷物を船にはこんでいると、後から
そっとかさをさしかけてくれる者がいた。
 おっさんだった。目が合った。
「すまん。おっさん」
 おっさんは黙ってうなずいた。
 甘えるなとおっさんにいわれたけれど、おっさんの顔
を見ると胸がいっぱいにになる。
 母や弟たちとひそかに別れをかわしたときには見せな
かった涙を、おっさんの前で流した。
 おっさんにはいくら感謝してもしきれない。助けても
っらったことがあまりもの多過ぎて、いうべき言葉がみ
つからない。
 なにより感謝しなくてはならないことは、自分のしよ
うとしていることに迷いや疑いを持つことを教えてくれ
たことだ。
 人間というものが不確かなものであるかぎり、それを
正直に見るという勇気をおっさんはぼくに与えてくれた。
それは人間が成長する上で不可欠なものだということが、
今よくわかる。大きな財産をもらったのも同じである。
 みじめったらしい生活から自分を解放するのになにが
悪いというはじめに考えていたままの考え方で、こんど
のことを決行していたら、自分の行いを正当化するのに
役立っても、卑俗な価値観の中にどっぷりつかった人間
としての自分をいささかも変えることはできなかっただ
ろうし、なにより人を傷つけていっこう顧みない寒気の
するような人間に自分がなっていたかも知れないという
ことだ。
 自分を生かそうとする行為の中にも、人を傷つけたり
人を殺したりする毒素があるということをいつも考える
ために、迷いや疑いを持つことを神様は人間に与えたの
だろう。
 そのことをわからせてくれたのはおっさんである。ぼ
くにとって神様はおっさんである。
 ぼくの出帆は邪悪でもないし、もちろん正義でもない。
未来をめざしての船出ではあるけれど、それを希望とい
うことも絶望ということもはばかられる。
 船出そのものが、大きな悩みをかかえこんだ人生のは
じまりで、その外のなにものでもないという思いを、今、
ぼくは持つことができる。
 ぼくが、
「さようなら」
 というと、おっさんは、
「さようならはおあずけにしようや」
 といってくれた。
 最後にほんの少しだったけれど、ぼくはほほえむこと
ができた。
 ぼくは夜空に帆を上げ、そしてロープを引いた。
 我利馬号はしずかにすべるように走り出した。

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第 二 の 章
 風が出てきた。サイドステイに当って不気味な唸りを
発する。
 けだものの悲鳴のようにきこえる。不吉だ。体がふる
えてくる。
 今のうちなら引っ返せるとだれかがささやく。はじめ
からこんなに恐怖がが支配しているようでは先行きどう
なるのだと自分を叱ってみるが、自分で自分がどうにも
ならないくらい怖い。予期しなかったことだ。
 ぼくの船出を見送ってくれたおっさんの顔が視界から
消えて感傷にひたる間もなく、不安がまずきた。
 足が地に着かないという感じで、うわずってしまって
いる自分をいやでも自覚しなければならなかった。
 離岸してから2時間あまり、ただ恐怖に耐えていただ
けだったということを告白しておく。
  ドラマチックな出来事などというものは、しょせん観
念の所産で、大自然の中にあっては人間のなすことはも
ちろん、人間の存在自体ちっぽけなものだということを
思い知らされる。
 アラン・ボンバールの『実験漂流記』で、強い意志と
知恵があれば、なにもなくても海の上で生きていけると
いうことを学んだはずなのに、ボンバールいうところの
人間のよわさについての部分に、より心を寄せてしまう
のはどういうことか。
「海は不毛の砂漠ではない。魚は当然食糧になるし、プ
ランクトンも栄養豊富な食糧だ。魚の肉の、目方にして
50パーセントから80パーセントは真水であるから、
雨水が採れなくとも魚肉ジュースが渇きをいやしてくれ
る。海水だって、1日800ミリリットルから900ミ
リリットルなら5日間は飲んでも大丈夫だ。なにも恐れ
ることはない。精神的に参らなければ、遭難、漂流とい
う人生最悪の極限にあっても、何十日間でも人間は生き
ていられる」
 そういう文章を思い出すのではなく、次のような文章
を思い出してしまう。
「海難者の90パーセントが難船3日以内に死ぬことが
統計で示されているが、これは奇妙な事実である。とい
うのは、飢えや渇きによって死ぬには、もっと多くの日
時が必要だからである。船が沈む時、人々は世界が船と
ともに沈むと思いこむ。足をささえる板がなくなるので、
勇気と理性が同時にすっかり失われてしまう……くらや
みの中で水と風に震え、空間、物音、あるいは静けさに
おののく海難者にとって、死ぬのは3日で十分なのであ
る。伝説の海難者たちよ、死を急ぐ犠牲者たちよ、諸君
は海のために死んだのではない。諸君は鴎の声を聞きな
がら、恐怖のために死んだのである」
 アラン・ボンバールという人は悪魔的な人である。
 ぼくは遭難しているわけではないし、我利馬号は沈ん
でいるわけではない。それなのにかれのいうとおりのこ
の恐怖だ。
 これが3日間もつとは思われない。
 なにかの本で読んだことがある。
 救命ゴムボートで漂流中、嵐がすぎて安全になったの
に「おむかえがきた!」といって海へ飛びこんだ男がい
た。
「タクシーがきたから、おれ、さきにキャバレーで待っ
ている」といって海へ飛びこんだ男もいたそうである。
 極度の恐怖と絶望が男を狂気に追いやったのだが、他
人事(ひとごと)とは思えない。
 今のぼくの心理状態をボンバールに読まれているわけ
だが、それゆえいっそう恐怖がつのる。
 やっぱりぼくはよわい人間だったのである。
 事態に直面してみなければ自分のよわさがわからない。
 この恐怖がどこからくる恐怖なのかということすら説
明できない。
 自分という人間を未熟な人間として出発させることを、
おっかさんから学んで船出をしたことに感謝したばかり
だが、皮肉なことに、そのことを早々に、もっともみじ
めなかたちで味わわねばならなかったわけである。
 たった2冊の本からでも、ずいぶん多くのことを学ん
だとえらそうにも思いこんでいたし、船づくりにかかわ
ったおっさんと暮した1年ばかりのあいだに人間的にも
成長したつもりだったが、それはいくらも身についてい
なかったことになる。頭の先でわかっても、わかったこ
とが足の先まで生かされなければ人間は前にすすむこと
はできない。
 こんなときに、こんな場所で、そんなべんきょうをし
なくてはならないことを、ざんねんに思う。
 風がつよくなった。
 我利馬号は大きく傾く、ぐいんと舵棒に力がかかって、
思わずちゅんのめりそうになる。横殴りの雨が吹きつけ
て、顔が痛い。
 カッパを着て舵棒をにぎっているのだが、雨水がしみ
て全身ずぶぬれである。
 恐怖と寒さで歯ががちがち鳴る。
 舵がきれない。ぎょっとする。

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第 三 の 章

 なにか鳴いているなと思った。
 それが、さいしょにとりもどした意識だった。
 小鳥の鳴き声かなと思った。
「ギュルルン、チョチョチョチョ。ギュルルン、チョチ
ョチョチョ」
 そんなふうにきこえた。
 小鳥にしてはずいぶん大きな鳴き声だなと思っていた。
 まだ、ほんのかすかな意識だった。
 自分がどっしりと動かないものの上にあるということ
をぼんやり感じていて、それをどうしたのかなと思って
いるのだった。
 大きな岩の下敷きにされたように体はひどく重かった。
 全体に聴覚だけいくらか作用していて、後はまだ眠っ
ているような体のぐあいである。
 小鳥のものらしい鳴き声のとぎれるときがあった。そ
のとき別の音がきこえた。それは、同じ調子でくりかえ
されている。
 (波の音だ)と断定的に思った
 すると、体のどこかが、またひとつ目覚めた。
 まぶたをあけようとする気持がはじめて生れた。
 ひとつの意志が肉体の一部を動かすのに、たいへんな
集中力がいった。しかし、どうにかまぶたは動いた。
 目にとびこんできたものは青い空だった。白い砂浜だ
った。それはひどくあざやかだった。真水をかけたよう
にあざやかだった。
 あまりに劇的なときには人間は意外に冷静なものだ。
 助かったのだというよろこびに、体がふるえるとか目
がくらむとかいうことはなかった。
 ぼくは不思議なものを見るように、ただ目に映るもの
を赤ん坊のように見つめつづけた。
 ずいぶん粒の大きい砂だったが、頬にあたる感触はひ
やりと冷たくて気持がよかった。生きているという実感
がじょじょにきた。
 我利馬号はどうしたかと思った。
 意識をとりもどしてから、ぼくの中にはじめて生じた
人間らしい感情だった。
 体を動かそうとして、ぼくは呻(うめ)いた。巨大な万
力でしめつけられるような苦痛である。
 そうだった、と思った。骨のとび出ている左の腕を見
るのがこわかった。
「水……」とぼくは悲痛につぶやいた。
 水がほしかった。

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第 四 の 章
 ネイとぼくだけの時間をすごすことは、ぼくにとって、
これまでの、どの時間よりもすばらしいものだった。だ
れでものおっさんといっしょに我利馬号を誕生させたと
きの時間も貴重だったが、ネイといるときの胸のときめ
きは、かってぼくが感じたことのない質(たち)のもので
ある。
 だからといってぼくは手放しで、その時間に酔ってい
たわけではない。ぼくの悪いくせかも知れないし、自分
のかつての境遇がそれを思わせるもかも知れないのだが、
幸福なときほど不幸を考えてしまうのだ。
 この幸福がいつかくずれてしまうぞという不安の予感
ではなく、いつか帰っていかなくてはならない不幸につ
いて考えてしまうという意味である。
 ことばを変えていえば、幸福であるときはまた不幸の
はじまりだと考える気持ちをどうしても消し去ることの
できない人間に自分は生れついているという自覚である。
 まずさいしょ、ぼくは、ネイがぼくといっしょにいる
ことで、ネイがなにかを犠牲にしたり、ネイに迷惑をか
けたりしているのではないかと考えた。それが深刻なも
のなら事態は悪くなると考えられるからだ。
 ぼくといるとき、ネイが心から笑っているのか、ほん
とうに楽しんでいるのかをぼくが気にするのは、その心
配もあったからである。
 ここの人たちの社会の成り立ちが、なに一つわからな
い状態では、そのことを考えてもあまり意味はない。だ
が、自分の今ある立場を知るためには、そのことを知ら
ないよりは知っていた方がいいと思う。
 ネイのためにではなく、自分のためにそれをしなくて
はならないところがつらいが、しかし、それからでもは
じめなくては、ぼくは人間でありながら文字通りかごの
鳥である。
 ネイとすごす時間がいくらすばらしかろうと、それは
夢のようなものでいつ覚めるかもわからない。

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