昨年の夏、NHKの放映がきっかけで高齢の歩き遍路
が逮捕された事件、ちょっとした衝撃でございました。
お遍路さんになる前に犯していた殺人未遂事件……贖
罪のつもりの歩き遍路6年2千日以上の末の逮捕だった。
現在、大阪地方裁判所802法廷で公判中であり平成
16年1月19日(月)の第4回公判で懲役7年を求刑
された。
次回2月25日(水)11時に判決が言い渡される。
自ら「へんろ幸月」と称し「幸月さん」と呼ばれて「
6年前から遍路道を歩き続け沢山の人に生きる勇気を与
えてくれました」と一部で賞賛されている田中被告、3
人の身元引受人はじめ支援者は80歳という年齢を考慮
して執行猶予を望んでいるが「歩き遍路の方が拘置所よ
りも厳しい」と持論を展開するなど身勝手なところがあ
り、前科もあることから、むつかしいのではないか。
田中幸次郎被告の句集『風懐に歩三昧』から:
嬰児(みどりご)に子安大師の恵みあり
棺に入れる姥の尺余の遍路杖
一椀の松茸阿波の心秘め
吾が肌に止まりて果る蛾なりけり
歩一歩仏に会へる
霊山寺出発大師と花へんろ
草遍路涯は大師の懐に
冬鯉濁す野宿大師と橋の下
生きて行くから、歩くんだ!
春の川姥に昔日流れけり
何故急ぐ何れ死が来る木枯に
過去があり来世に繋ぐ遍路哉
慟哭の声谺せよ寒の月
「健康も実力のうち」という人がいました。私は質問し
ました。「世界に20万種の病気があり治癒・治療可能
なものは5万余種です。不治の病に臥している人は実力
がないからなのでしょうか? 元気で偉そうにしておら
れる実力者のアナタだって、いつ病気になるかわかりま
せんよ。癌にならない。白血病にならない。リューマチ
で苦しまないと断言できますか?」
「それは……」
「『健康管理も実力のうち』くらいにしといた方がいい
んじゃないですか? 病気が20万種もあればエクササ
イズや栄養管理も含めた『健康管理』をしていても罹る
ときは罹るでしょうけどね」
「……」
好きな性格・嫌いな性格
■好かれる性格と嫌われる性格
◇アメリカの大学生
好まれる性格 嫌われる性格
1 誠 実 な 人 う そ つ き
2 正 直 な 人 い か さ ま 師
3 理解のある人 下 品 な 人
4 忠 実 な 人 残 虐 な 人
5 信用できる人 正直でない人
6 信頼できる人 信用できない人
7 知 的 な 人 不 快 な 人
8 頼りになる人 意 地 悪 な 人
9 心の広い人 卑 劣 な 人
10 思慮深い人 だ ま す 人
◇日本の大学生
好まれる性格 嫌われる性格
1 思いやりのある人 ず る い 人
2 誠 実 な 人 人をさげすむ人
3 や さ し い人 卑 劣 な 人
4 気 さ く な 人 ご う 慢 な 人
5 寛 容 な 人 う そ つ き
6 頼りになる人 ゴマをする人
7 た の し い 人 意 地 悪 な 人
8 明 る い 人 自分勝手な人
9 さっぱりした人 無 責 任 な 人
10 す な お な 人 強 要 的 な 人
〔『心理学の探求88』松井 洋・田島信元
鰍ィうふう〕
《日本人が皆優しかったころの思い出です。……》
という言葉が昨年、心にのこったのですが「いつごろの
ことだろう」って考えてしまいました。みんなで助け合
うのがあたりまえであった時代……日本がまだ貧しかっ
た時代ですね。大真面目で懸命に生きていた時代のこと
かもしれません。でも、真の優しさの意味がわからない
人が多かったために今が形成されたのかもしれませんね。
でも、
地方や離島では、まだまだ、日本人の味が残っています
ね。
◆黒光りの上り框でビール 島の酒屋の女将さん話好き
(Webmasterの自由律俳句)
「誰も羨むもののない生活」だったっけっ、最近、聞か
なくなったよな。かわりに「食べられなくても……」か、
ムカ〜シの日本の「欲しがりません勝つまでは」よりス
トレートに押してるね。
それにしても上も下も依存≠ノ慣れてるね。
ビートルズのジョージ・ハリスンの
「金持ち? みんな金持ちになりたがる。でも金持ちに
なってみると、足りない物があることに気がつく。金持
ちになる前、みんなで演奏していたころのほうががたの
しかったな……」という言葉、含蓄があるね。
(1943.2.24〜2001.11.29)
餓えに苦しむ人は安全を省みず、
神経症などで心の安全が脅かされている人は人を愛そう
とはしない。
愛や友情に飢えている人は自尊心をもてない。
ストーカーに多いタイプ:
・感情のコントロールができない
・自己中心的
・プライドが高い
・自分に都合のいいように物事をゆがめて解釈する
・ひとに責任転嫁する
・暴力的な行動を取る
・嫉妬心が強い
・他人への迷惑な行動を自分では自覚できない
・男性ストーカーの場合、女性蔑視の傾向がある
・学校や会社で孤立している
・家族内に暴力・家庭不和がある
いつ、どこで、自分の生活を断ちきられても、
その断面は美しいものでありたい。
〔『ひつじが丘』三浦綾子〕
自由からほど遠くなった自由詩
自由詩。
最近ではめったに目にしなくなった言葉だが、私たちが
いま書いている詩は、そのほとんどが自由詩≠ナある。
そのはずである。
読んで字のとおり、すべての型式から自由なのであり、
内容的にもむろん自由なのである。飯島耕一氏などのよ
うに、定型詩≠志向する動きもあるが、いわゆる「
現代詩」といわれる表現様式は、とりあえず自由詩
と考えてよいだろう。
あたりまえじゃないか。
いまさらのように、もってまわったいいかたするな。
読者のなかからは、そんな声もあがってきそうだけれど、
しかし、私が百も承知でもってまわった&ィ言いをす
るについては、理由がある。
理由は簡単だ。単純なものだ。
それは、私たちのいま現在書いている作品の多くが、本
当の意味での自由詩≠ナはなくなってきたからなのだ。
あえていえば、いろいろな「詩誌」に毎月載っている作
品は、投稿詩を含めて、ほとんどが自由詩≠ニはいえ
なくなってきている。
たしかに、一目見て、詩だとわかる作品はたくさん載っ
ている。俳句でも短歌でもない、ましてや小説でもエッ
セイでもないと、すぐにわかる作品ばかりである。
でも、そんな消去法を使ってみるまでもなく、どうして
私たちは、そうした作品を「詩」だとわかるだろうか。
行分けがなされていることだとか、喩が多用されている
ことだとか、そういったことと「詩」とは本来関係はな
いのである。少なくとも自由詩≠ゥらいわせると無関
係なのだ。なぜ、私たちは作品を読む前から字面だけを
パッと見ることで、その作品が「詩」だと認識できるの
だろうか……。
私なりの結論は、こうだ。
それは、いま書かれている詩≠フ多くが、言葉の正確
な意味での「自由」からはほど遠いところにあるからな
のだ。そう思わざるをえないのである。
詳細を述べるとすれば、単行本一冊ができてしまう原稿
量が必要だ。だから、こまかい理由のなかから粗っぽく
(!)書いておくと、誰にでもわかりやすいのは次の点
だろう。
@自由詩なのに、なんとなく(行分け)型式がよく似て
いる。
A自由詩なのに、なんとなく使われる言葉が似かよって
いる。
B自由詩なのに、なんとなく扱う世界が限定されている。
等々。
つまり、私がいまヒステリックに叫ぶとすれば、「こい
つはもはや『定型詩』じゃないか」といいたいくらいに、
みんな似ているのは、なぜだろうか。
そのかみの漢詩や定型詩の不自由さから脱却する目的で
書きはじめられた口語自由詩≠ェ、どうしてこんなこ
とになってしまったのだろう。
詩は面白くない。
いつの時代にもそういう人が多いけれど、私たちの自
由詩≠ワでもがそういわれてしまう背景には、やはり読
者に自由≠感じとってもらえない妙な「しがらみ」
がこびりついてきたからではあるまいか。……
〔清水哲男『現代詩つれづれ草』(新潮社)〕から。
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