橘 曙覧の「独楽吟」(ひとりたのしめるうた)五十二首です。

橘 曙覧のプロフィール

橘 曙覧=幕末の福井生まれの歌人。本居宣長(鈴屋)の高弟で飛騨高山に住む田中大秀に国学を学び、万葉調の歌をよくした。屋号は志濃夫廼舎(しのぶのや)・藁屋(わらや)。作品『志濃夫廼舎歌集』『藁屋歌集』『藁屋文集』など。「嘘いうな、物ほしがるな、体だわるな」の三訓を子供たちに残した。 左大臣「橘諸兄(たちばなのもろえ)」の橘氏の末裔である。(一八一二〜一八六八)

たのしみは艸のいほりの筵敷ひとりこゝろを静めをるとき

たのしみはすびつのもとにうち倒れゆすり起こすも知らで寐し時

たのしみは珍しき書人にかり始め一ひらひろげたる時

たのしみは紙をひろげてとる筆の思ひの外に能くかけし時

たのしみは百日ひねれど成らぬ歌のふとおもしろく出できたる時

たのしみは妻子むつまじくうちつどひ頭ならべて物をくふ時

たのしみは物をかゝせて善き価惜しみげもなく人のくれし時

たのしみは空暖かにうち晴れし春秋の日に出でありく時

たのしみは朝おきいでて昨日まで無りし花の咲ける見る時

たのしみは心にうかぶはかなごと思ひつゞけて煙草すふとき

たのしみは意にかなふ山水のあたりしづかに見てありくとき

たのしみは尋常ならぬ書に画にうちひろげつゝ見もてゆく時

たのしみは常に見なれぬ鳥の来て軒遠からぬ樹に鳴きしとき

たのしみはあき米櫃に米いでき今一月はよしといふとき

たのしみは物識人に稀にあひて古しへ今を語りあふとき

たのしみは門売りあるく魚買て烹る鍋の香を鼻に嗅ぐ時

たのしみはまれに魚煮て児等皆がうましうましといひて食ふ時

たのしみはそゞろ読みゆく書の中に我とひとしき人をみし時

たのしみは雪ふるよさり酒の糟あぶりて食て火にあたる時

たのしみは書よみ倦るをりしもあれ聲知る人の門たたく時

たのしみは世に解きがたくする書の心をひとりさとり得し時

たのしみは銭なくなりてわびをるに人の来りて銭くれし時

たのしみは炭さしすてゝおきし火の紅くなりきて湯の煮ゆる時

たのしみは心をおかぬ友どちと笑ひかたりて腹をよるとき

たのしみは晝寐せしまに庭ぬらしふりたる雨をさめてしる時

たのしみは晝寐目ざむる枕べにことことと湯の煮へてある時

たのしみは湯わかしわかし埋火を中にさし置きて人とかたる時

たのしみはとぼしきまゝに人集め酒飲め物を食へといふ時

たのしみは客人えたる折りしもあれ瓢に酒のありあへる時

たのしみは家内五人五たりが風だにひかでありあへる時

たのしみは機おりたてて新しきころもを縫ひて妻が着する時

たのしみは三人の児どもすくすくと大きくなれる姿みる時

たのしみは人も訪ひこず事もなく心をいれて書を見る時

たのしみは明日物くるといふ占を咲くともし火の花にみる時

たのしみはたのむをよびて門あけて物もて来つる使えし時

たのしみは木芽煮やして大きなる饅頭を一つほゝばりしとき

たのしみはつねに好める焼豆腐うまく烹たてて食はせけるとき

たのしみは小豆の飯の冷えたるを茶漬てふ物になしてくふ時

たのしみはいやなる人の来りしが長くもをらでかへりけるとき

たのしみは田づらに行きしわらは等が耒鍬とりて帰りくる時

たのしみは衾かづきて物がたりいひをるうちに寝入りたるとき

たのしみはわらは墨するかたはらに筆の運びを思ひをる時

たのしみは好き筆をえて先づ水にひたしなぶりて試るとき

たのしみは庭にうゑたる春秋の花のさかりにあへる時々

たのしみはほしかりし物銭ぶくろうちかたむけてかひえたるとき

たのしみは神の御国の民として神の教をふかくおもふとき

たのしみは戎夷よろこぶ世の中の皇国忘れぬ人を見るとき

たのしみは鈴屋大人の後に生れその御諭をうくる思ふ時

たのしみは数ある書を辛くしてうつし竟へつつとぢて見るとき

たのしみは野寺山里日をくらしやどれといはれやどりける時

たのしみは野山のさとに人遇ひて我を見しりてあるじするとき

たのしみはふと見てほしくおもふ物辛くはかりて手にいれしとき

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