『天才の勉強術』木原武一 新潮選書


笑いの芸術家 チャップリン 「映画の目的は笑わせることだ。しかし、そのなかには、二十世紀の世界に通じるシリアスな内容が含まれている」♪♪♪

■泥沼のような少年時代
■大富豪への道
■世界でいちばん有名な人物
■映画のすべてを自分ひとりで
■アイデアを発見する秘訣
■チャップリンからのメッセージ

■トップページにへ
■天才の勉強術へ
泥沼のような少年時代
 チャップリンのトレード・マークの浮浪者の格好はと
っさの思いつきから生れたと述べたが、そこには貧しく
みじめだった少年時代を忘れないためにも浮浪者のスタ
イルにこだわりつづけたのである。


 チャップリンの母親は何度も精神病院に入退院をくり
かえし、ついに精神の病は癒えることがなかったが、チ
ャップリンはそういう母親から美しい思い出だけを引き
出して自伝に記そうとしているかのようである。彼は、
「母の姿は花束のように見えた」と書いている。舞台で
歌をうたったり、パントマイムをしたりして、少しは名
を知られていた彼女は、子供たちを芸人に仕立てるべく、
家でいろいろな芸を披露したりしていた。
「母のパントマイムは私の見たかぎりにおいて、もっと
もすばらしいものであった。母の所作を見ているうちに、
私は感情を手や顔で表現する技術ばかりでなく、人間と
いうものを学びとることができた」
 チャップリンにとって、母親は最初にして最高の教師
であったようだ。
 チャップリンが母親のことを美しい思い出として語る
ことができたのは、極貧の生活のなかにあっても、母親
から愛情の放射を浴びながら育てられたからにちがいな
い。子供にとって何よりも必要なのは、自分は親から愛
され、大事にされているという感覚である。親はわが子
をひたすら愛すればいいのであって、そのことに較べれ
ばほかのことはほとんど無に等しいと言っていい。絶望
的な状況にありながらもチャップリンが非行少年となら
なかったのは、母親の愛情をしっかりと感じていたから
にちがいない。
 チャップリンは、救貧院に収容されていた頃、やはり
別の救貧院に収容されていた母親が面会にきたときのこ
とを感動をこめて記している。そのとき、チャップリン
少年は、タムシにかかって坊主頭にヨードチンキを塗ら
れ、ハンカチで縛られているという、何ともみっともな
い格好をしていた。
「母は大笑いしながら私を抱きしめ、キスをしてくれた。
そして、そのとき言ってくれた『ええ、どんなに汚くて
もいいわよ。ほんとにかわいいお前なんだから』という
やさしい言葉を私はいまだに忘れない」
『キッド』には、自分の手で育てた捨て子が強引に孤児
院に連れ去られそうになり、これをチャップリンが超人
的な活躍で取りもどすという感動的な場面であるが、そ
ういう場面を考え出したチャップリンの脳裏には、この
母親の言葉が響いていたのではないかと想像するのは、
あまりに感傷的であろうか。少なくとも、そこにはみず
から味わったことのある孤独の体験が反映していること
だけはたしかであろう。そう言えば、『モダンタイムス』
にも、孤児院に連れ去られそうになる少女が登場する。
そして、浮浪者として登場するチャップリンは刑務所を
出たり入ったりするが、大人にとっての刑務所は子供に
とっての孤児院のようなものなのではなかろうか。
 チャップリンは映画のなかで、笑いという甘味料で口
当りをよくしながら、苦い少年時代の体験をふりかえっ
ていたのである。

メニューに戻ります











大富豪への道
 俗な言葉で言えば、金と名誉と女。これらの3大願望
こそ、男に生きる活力と仕事への意欲を吹き込む原動力
である。あらゆる努力も勉強も、こういった実感できる
成果があってこそ報われる。そして、この三つのものは、
人生の目標のすべてだと言わないまでも、男が生きるた
めに多少なりとも必要なものではある。
 まず「金」について言えば、それは「泥沼のような」
貧困を体験したチャップリンにとって生と死をわける切
実な問題であった。チャップリンに自分の芸との関係に
目を開かせたのは、5歳ではじめて舞台にあがったとき
の体験である。当時、彼の母親は小さなミュージックホ
ールで歌をうたっていたが、ある日、歌の途中で急に声
が出なくなってしまった。そこで舞台の袖にいたチャッ
プリンが代役として舞台に引っぱり出され、歌をうたう
ことになった。彼はいつも舞台の袖で母親がうたうのを
聞いていたので、歌は暗記していた。小さな子供が器用
にうたうのに観客は大喜びして、舞台に金を投げ込んだ。
チャップリンはその金を拾い集め、そして、歌を続けた。
 そのとき、どれくらいの金を集めたかは記されていな
いが、チャップリンは自伝に、少年時代にみずから稼い
だ金のことをことこまかに記録している。12,3歳の
頃、印刷所で手伝いをして週12シリング、学校の放課
後にダンスを教えて週5シリング稼いだこと、また、水
夫をしていた兄の服を5シリングで質に入れて、それで
一家3人が1週間も食いつないだことなど、何十年のち
まで、このようなことをひとつひとつおぼえている点は、
やはり貧しい少年時代を送り、のちに大富豪になったア
ンドリュー・カーネギーとそっくり同じである。カーネ
ギーも貧しい少年時代に一家を支えるために稼いだ1ド
ルや1セントのことを詳しく記している。彼らにとって、
幼い頃に体験した金銭をめぐるつらい思いとその有難味
が生きる意欲を吹き込む強い力になっていたのである。
そうでなければ、功成り名をとげた大富豪が何十年も前
の1シリングや1ドルのことなどに執着するはずがない。
 チャップリンは19歳のとき、カーノー一座という旅
まわりの劇団に加わってから安定した収入を手にするこ
とができたが、アメリカに渡って映画に出演するように
なってからは、収入は急上昇を続けた。24歳のときの
週給150ドルは翌年には1250ドル。その2年後に
は週給1万ドル、そして28歳で年俸が100万ドル、
週休にして2万ドルをこえたのである。4年間で約13
0倍である。無名の俳優が世界一の高給取りに大出世し
たというわけである。その後、チャップリンは独立して
みずからプロデューサーとして映画を世に送り出し、さ
らに巨額の収入を手にすることになった。たとえば、約
1年半の時間と92万ドルの資金を投入して製作された
『黄金狂時代』は600万ドル以上の収益をあげた。
 こうして得た富を彼は何のために使ったか。ハリウッ
ドに大邸宅も建てたが、大部分は映画製作に投入された
チャップリンがたっぷり時間と金をかけて自分の思いど
おりに映画を創造することができたのも、すべて自分で
自由にできる豊かな資金力があったおかげである。富に
よって自由を買うことができるが、しかし、その自由を
生かすには、富を増やす能力とは別の能力が必要である。
大金を持たせると、その人がわかるというが、彼はあり
あまる富を自分の才能のために生かすことができた。現
代ではあまり見かけなくなった人間のひとりである。彼
は、自分の研究のために思う存分に研究費を使うことが
できる科学者のようなものだったのである。

メニューに戻ります
 










世界でいちばん有名な人物

 金と名誉と女の「名誉」について言えば、チャップリ
ンはハリウッドのアカデミー特別賞やヴェネツィア映画
祭の金獅子賞をひじめとする映画人として最高の栄誉を
獲得し、フランス映画批評家協会からはなんとノーベル
平和賞に推薦されたこともあり、イギリスのオックスフ
ォード大学からは名誉博士号も授与された。もちろん、
それはそれで名誉あることではあるが、映画監督ならび
に俳優としての最大の名誉といえば、多くの人びとから
人気を博することである。この点では、彼はスクリーン
に登場して早々に成功している。すでに1916年、チ
ャップリンが映画出演して2年後に、フランスのある批
評家はこんなふうに書いている。
「彼は世界でいちばん有名な人物である。現在のところ、
有名な点にかけては、ジャンヌ・ダルク、ルイ14世、
クレマンソーをしのいでいる。チャップリンと肩をなら
べうるものは、キリストとナポレオン以外にない……」


 さて、「女」については、「金」「名誉」ほど順調に
行ったとは言いがたい。彼は生涯4人の妻を娶り、結婚
したときの相手の年齢は25歳の一人をのぞいていずれ
も16、7歳という若さであったが、「女」については、
「金」や「名誉」のようにその「達成度」を簡単に算出
するわけにはいかない。結婚の回数は多ければ多いほど
いいというものではない。離婚率の高さが文明の「進歩
した」社会に共通するひとつの現象だとしたら、それは、
文明の進歩は、不毛な人間関係を育てることを意味して
いるにすぎない。チャップリンのばあいはまさにその典
型的な例で、最初の結婚は2年間で破綻し、2回目の結
婚では3年目に別居。3回目は6年後に離婚となり、よ
うやく54歳のとき17歳のウーナ夫人と結婚して落着
くことができた。
 75歳のチャップリンはウーナ夫人との幸福な生活を
賛美して自伝を締めくくっているが、実は、彼は生涯に
何度も女性をめぐるトラブルで悩まされていたのである。
離婚のたびに巨額の慰謝料を払い、愛人の生んだ子供の
親権をめぐって面倒な訴訟にまきこまれ、また、2番目
の妻との離婚訴訟では、撮影したばかりのフィルムを差
し押えられそうになるなど、心労が重なり、まだ40歳
にもならないのに一夜にして髪が白くなってしまったこ
ともあった。
 こと「女」に関するかぎり、相当の努力と勉強を積ん
でも、男の願いを成就するのは至難のわざのようである。

メニューに戻ります











映画のすべてを自分ひとりで

  チャップリンは、プロジューサー、俳優、監督、脚本
家であると同時に、作曲家でもあった。これほど多くの
役割を一手にひきうける映画人というのはめずらしいの
ではなかろうか。
 彼が作曲した『モダン・タイムス』や『ライムライト』
の主題曲はいまでも人気のあるポピュラー音楽として残
っている。チャップリン・ファンなら、その音楽を耳に
すれば、たちどころに映画の場面がよみがえってくるこ
とだろう。
 チャップリンは赤ん坊の頃、音楽がきこえてくるとす
ぐ遊ぶのをやめ、手で拍子をとり、首を前後に振ったり
していたという。これはたいていの赤ん坊の示す反応で
あって、こういったことから、彼が音楽にとくに敏感だ
ったとか、生れつき音楽の才能があったなどと即断する
ことはできない。私は音楽の才能は生れつきのものでは
なく、音楽のゆたかな環境によって育てられる後天的な
ものだと考えているが、幼い頃のチャップリンは、歌手
であった母親の歌をいつも耳にするなど、音楽的環境に
はめぐまれていたようだ。少し大きくなってからは、何
時間もピアノの前に坐り、弾きながら作曲などしていた
という。16歳のとき、チェロとヴァイオリンを手に入
れ、巡業先の劇場のオーケストラの指揮者に教えてもら
い、1日に何時間も練習するほど音楽に熱中した。彼は
左ききなので、弦を逆の配列に張かえて弾いていた。
 ピアノやヴァイオリンを弾ける映画俳優や監督はそれ
ほどめずらしくないが、チャップリンのユニークなとこ
ろは、臆することなくみずから映画音楽もつくってしま
うところである。彼は楽器は弾けても、楽譜は読めなか
ったのである。チャップリンはいろいろなことで努力し
ているのに、楽譜を読むための勉強をしなかったのはち
ょっと腑に落ちないが、そんなことなどわからなくとも
立派に作曲はできるという自信があったのだろう。楽譜
は読めないので、当然、楽譜を自分で書くことはできな
い。しかし、彼の頭のなかには映画の場面にあわせて、
次つぎと楽想がうかんでくる。彼はそれを口ずさみ、あ
るいはピアノで弾くと、助手として雇った専門の音楽家
がそれをすばやく楽譜に書きうつし、伴奏をつけたり、
編曲したりして曲ができあがるというわけである。
 彼は映画づくりのすべてを自分ひとりでやりたかった
のである。それが映画界にはいってばかりの頃からの彼
の目標だった。
「私は、あらゆる機会を利用して、映画事業について勉
強することにした。だから現像所や編集室にもせいぜい
出入りして、どんなふうにして切ったフィルムをつなぎ
会わせるか、よく注意して観察していたものだった」

メニューに戻ります











アイデアを発見する秘訣
……映画監督にとって、何よりも気になるのは観客の反
応である。「映画の目的は笑わせることだ」と考えるチ
ャップリンは、新作を送り出すたびに、はたして今度も
笑ってくれるだろうかと、劇場の片隅で観客の反応をい
つも見守っていた。


 チャップリンは、アイデア発見の秘訣を披露する。
「あなたの心を刺激する対象をとりあげて、それを追求
し、掘り下げる。もしそれ以上に発展しそうにないと思
ったら、諦めてほかの対象を探しなさい。たくさんの中
からひとつずつふるい落してゆくことが、望むものを見
つけ出す近道なのだ
 では、どうやってアイデアをつかむか。それにはほと
んど発狂一歩手前というほどの忍耐力がいる。苦痛に耐
え、長いあいだ熱中できる能力を身につけねばならぬ」
 忍耐と集中力――科学者のニュートンも、大発見にい
たる秘訣について同じことを言っているが、一生涯独身
で過したニュートンとちがい、チャップリンのばあい、
映画の製作がはじまると時間を忘れて仕事に没頭し、「
夫は自分をかまってくれない」と若い妻たちから不満を
買い、それが度かさなる離婚の大きな原因になったとい
う事実も記しておく必要がある。

メニューに戻ります











チャップリンからのメッセージ
〔ヒトラーを批判する映画『独裁者』での:〕


 私たちはみんなおたがいに助けあいたいと望んでいま
す。人間とはそういうものです。私たちは他人の不幸に
よってではなく、他人の幸福にによって生きたいのです。
 兵士にみなさん、あなた方は機械ではない、人間です。
人間を愛する心を持った人間です。憎んではいけません。
愛を知らぬ人間、愛されたこともない人間だけが憎むの
です。隷属のために戦ってはいけません。自由のために
戦ってください。あなた方はこの人生をすばらしいもの
にする力を持っているのです。その力を動員して、みん
なでひとつに手をつなごうではありませんか。
 独裁者というのは、自分だけは自由にするが、人民は
奴隷にするのです。いまこそ世界の解放のために戦おう
ではありませんか。国と国との壁をこわし、、貪欲や憎
悪や不寛容を追放するために、理想の世界をつくり出す
ために、さあ、みんな戦いましょう。民主主義の旗の下
でみんな手をつなぎましょう。

メニューに戻ります

ご意見ご感想はこちらへ
トップページに戻ります
天才の学習術の目次へ

[PR]動画