トップページに戻ります

『天才の勉強術』木原武一 新潮選書


あとがき

 天才と勉強――いささか意外な取り合せかもしれない。
一般に、天才は生まれつき普通の人びととはかけはなれ
た才能の持主であって、とくに勉強などしなくとも、歴
史に残る大発明や大発見をしたり、すばらしい作品を創
造したりできる人間だと思われているようだ。
  ところが、天才と言われている人びとの生涯を調べて
みると、彼らは意外にもたいへんな勉強家であったこと
がわかってくるのである。もともと、生れつきの才能な
どというものは存在しないのであって、ことばをはじめ
として、人間が身につけているすべての能力や感性は学
習をとおして獲得されたものなのである。この点では天
才も普通の人もまったく変りがない。また、天才だから
といってなにか特別の勉強法を身につけていたわけでは
ない。普通の人が知っている方法を極限まで集中して行
っているにすぎない。いちばんむずかしいのは、極限ま
で集中することである。勉強といっても、もちろん、学
校の勉強に限られるわけではなく、生れてから死ぬまで
に人間が経験するほとんどすべてのことが含まれる。人
間にとって勉強とは生き方そのものでもある。悪しき学
校教育のために勉強ぎらいになった人も少なくないが、
本来、人間は勉強することが大好きな動物なのである。
 天才ということばに反発を感ずる向きも少なくないと
思われるが、これは便宜的に使ったまでであって、多く
の人がその名を知っている、世にもすばらしい仕事をし
た人という程度の意味である。そういう意味では数えき
れないほどたくさんの天才がいるはずである。そのなか
からわずか九人を取り出してみたにすぎない。言うまで
もなく、天才論を展開しようという意図はまったくない。
ユニークな勉強の方法を展開した面白い人物として、私
の頭に浮かんできたのがこれらの人びとであったという
ことである。モーツァルトにしてもピカソにしても、そ
して、チャップリンにしても、彼らは親から深い愛情を
注がれ、それぞれの能力を自由に伸ばすにふさわしい環
境を用意されて育てられている。その「勉強術」は、母
親ないし父親の努力によるところが大きい。育児をはじ
めとする家庭教育が、いかに子供の能力と感性の発達に
とって重要であるかは、これらの「天才」を見るとよく
わかる。また、「天才」たちの親は「勉強しなさい」な
どとけっして言わなかったことも興味深い点である。そ
れは「天才」たちが頭がよかったからではない。親がわ
が子を信頼していたからである。信頼こそ内に秘められ
た能力を開化させる太陽の光である。親としてできる最
大のことは、子供を信頼することではなかろうか。
 最後に、本書の出版にあたって新潮社出版部の寺島哲
也さんのお世話になったことを感謝の気持をこめて記し
ておきたい。
                    木原武一

ご意見ご感想はこちらへ
トップページに戻ります
天才の勉強術の目次へ

[PR]動画