『接客の極意』 秋田美津子


気分転換がすばやくできる人はプロ=I!!

   

■集中すれば、新しい世界が開かれてくる
■不安なときほど、他人の心配を

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集中すれば、新しい世界が開かれてくる
 私には現在八十八歳の母親がいます。その母が、四年
ほど前に嘔吐や激痛をくり返し、深夜、救急車で日赤へ
運ばれるという騒ぎがありました。宿直のお医者さまは
まだ若い外科医でしたが、体の中に管を入れて調べたと
ころ、真っ黒な胆汁がどろどろ出はじめ、おしまいには
黄色い液まで出るほどでした。胆のう炎でした。こうし
て母は、そのまま入院生活に入ることになってしまった
のです。
 そのころ私は、フリーの宴会セールスマンから、ホテ
ルの営業推進部長へと昇格していました。しかし、母の
看病は、誰かが一日中、付き添っていなければつとまり
ません。普段の仕事の時間には、兄嫁に母親の面倒をみ
てもらっていた私ですが、命にかかわる状態では、それ
もお願いできません。そこで私は、思いきって仕事を休
み、母親の付き添いに専念することにしました。亡き父
は、私に母を頼むと言って、この世を去りました。その
約束を守るのはこのときなのだと私は考え、仕事よりも
母親を選ぶことにしたのです。
 病室の小さなソファに横たわり、一緒に病院に寝泊り
するという、私と母親の病院生活が始まりました。お医
者さまは、老人は一か月も話さないとボケてしまうと言
います。私の病院の日課は、まず、毎朝の母親への語り
かけから始まりました。きょうだいのこと、仕事の話、
そして昔話もたくさんしました。普段は、仕事に勢力を
傾けていた私にとっても、久しぶりの母親とのゆっくり
した時間でした。
 また、毎日、母のアキレス腱を引っ張るのも日課にな
りました。この足のマッサージは効果があったらしく、
入院して半年後の九月には、母は久しぶりに立って歩く
ことができました。そして同じ月の十八日、母親の胆の
う炎の手術は無事成功をおさめました。やがて母は退院
し、再び私と同じ屋根の下での生活が始まりました。今
は、朝の食事やお風呂の世話などは私がみて、仕事に出
てからは兄嫁に世話をかけるという日々が続いています。
 しかし、病院で付き添っていた間、私がまったく仕事
を離れていたかというと、そうでもないのです。部下か
らの連絡も少しずつ受けていましたし、東京の妹を呼ん
で仕事に出たときもあります。しかし、あくまで母親の
付き添いが、そのときの私に課せられたもっとも大事な
役割でした。付き添いと仕事の両立はおそらく不可能だ
ったでしょう。
 もし、無理に二つをこなそうとすれば、結局は誰かに
迷惑をかけることになったせしょうし、両方にいい結果
が出ることはなかったと思います。
 何かひとつのことに集中しなければならないときは、
思いきって別のことを捨ててかからなければならない。
そのとき私が学んだことは、こうした考えでした。二兎
を追うものは一兎をも得ず、ということわざもあります。
自分に与えられた一日の時間が決まっている以上、それ
を二つに割ってしまっては、結局は両方ともマイナスに
なるのがオチなのです。私自身も、おそらく忙しい思い
をし、イライラしたりくたびれたりの毎日で、何も得る
ところがない日々になっていたのではないかと思います。
 もちろん、せっかくそれまで順調にやってきたセール
スの仕事がとぎれてしまうことへの不安がなかったとい
えば嘘になります。しかし、そうしたおびえに屈してい
ては母を見殺しにしてしまったでしょう。
 病院で母と生活を共にしながら、やがて私は、
「もし、ホテルの仕事がダメになったら、次は老人看護
の仕事でもやろう」
 と、本気で考えるようになりました。
 半年も病院で老人の世話をしているのですから、私す
でにいっぱしの老人介護の専門家でした。ホテルの仕事
がなくても、人手不足のこうした道で生きる方法もある
かもしれない。それに、多少とも世の中のお役に立てそ
うだ。
 ひとつのことに集中すれば、このように別の世界が見
えてくるものなのです。幸い、母も回復し、私にとって
貴重な勉強になったことは言うまでもありません。

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不安なときほど、他人の心配を   
 不安感の強い人に限って、失敗したくない、他人より
劣りたくない、自分は完璧でなければならない、と思い
悩むような気がしてなりません。かって私の部下の中に
も、こんな女性がいました。
 三十歳近くなった彼女の最大の悩みは結婚でした。周
囲の仲間が次々と結ばれていくのに、自分だけが縁がな
い。仕事だって人並みにこなしている、ルックスだって
まあまあ。男嫌いというわけでもなく、仲間の男性社員
たちからお酒を飲みに誘われても、断ったりはしない。
それなのになぜ結婚できないのか、自分自身でも理由が
わからないというのです。
 私は、喫茶店で彼女と話をすることになりますた。
「私はあなたのことを近くから見ていて、気になってい
たことがひとつあるの。あなたは、とても気がつくし、
仕事も早い。でも、何か自分の壁をつくっているわね」
 彼女は、無言です。
「あなたは、失敗を恐れているわね。自分の欠点やマイ
ナス点を他人の前で見せると、自分が不利になる。そん
な恐怖心があるような気がしてならないの」
 彼女は静かに、うなずきました。
「つまりね、あなたは自分のことばかりに目がいってる
のよ。自分のことばかりを心配しているの。だから、自
分がどう見られているか、他人の視線が気がかりでしか
たがないの。要するに、自分のことばかりを心配してる
ってわけ。それじゃあ、いつまでもあなたの不安感は消
えはしないわよ」
 しかし、彼女はどうすれば不安感が解消するのか、そ
の方法がまるで見当がつかないというのです。自分では
いけないとは思っても、それを克服できない自分が歯がゆ
いとも告白しました。



「彼が振り向いてくれない。私はもうダメなんだ」と、
自分が内に内にとこもっていってしまっては、憂うつに
なる一方です。心も体もガチガチになり、身動きができ
なくなります。カメラのレンズを、接写用から望遠用に
替えるように、心の焦点を自分から他人に移し替えるだ
けの作業でいいのです。それだけ、心の世界はまるで違
ったものになります。

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