『接客の極意』 秋田美津子


人を信じてこそ営業(サービス)ができる!!!


■もらうことより与えること、とは
■新しい時代のサービスマンの条件とは?
■人に幸福を与えられる人間とは?

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もらうことより与えること、とは

 人並みに結婚し、離婚を体験し、社会に出て仕事を始
め、そこそこに実績を残した私のような人間は、まわり
の若い女の子たちからは、自分たちのこれからの人生の
生きた標本≠ニでも映って見えるようです。
 総支配人に就任する以前、私は宴会営業推進部長とい
うポジションを与えられ、部下にも若い女の子が数人い
ました。その子たちにとっては、私はお姉さんか母親の
ような存在だったのでしょう。彼女たちは、折りにふれ
てさまざまに人生の悩みをぶっつけてきたものです。も
っとも、すべてが順調に運んでいるときには、彼女たち
からの相談もとだえます。女の子たちが、「秋田部長、
お時間ありますか」と声をかけてくるときは、決まって
つき合っている男の子との問題と決まっていました。
 あるとき、一人の女の子が、思いつめたような顔をし
て、私に相談をもちかけてきました。学生時代からもう
五年もつき合っている彼がいるのに、結婚をためらって
いるというのです。彼のことを、飽きたみたいだとも言
います。
「ねえ。あなた、彼のことを真剣に心配してあげたこと
あるの?」
 私はそんなときには、いつもホテルのお客様に対する
気配りを部下に向けなければなりません。
「どういう意味でしょうか」
 彼女はけげんな面もちです。
「たとえば、こんな料理を作ってあげたら彼は喜ぶかな、
とか。こんなセーター着せてあげたいとか、考えてみた
ことがあるかってこと」
 しばらく首をひねっていた彼女は、
「ありません」
 と、はっきり答えるではありませんか。しかし、自分
に対して彼が何をしてくれるだろうか、ということはよ
く考えるというのです。彼女にとっては、彼が自分を幸
福にしてくれる人物なのかどうかだけが心配であって、
自分から彼を幸福にしてやりたいなんて、少しも考えた
ことがないようでした。
「そんなんじゃ、あなたは結婚したって幸福になれない
わよ。相手に求める前に、自分が相手に何をしてあげら
れるかを考えなさい。あなたは結婚のために、何をどれ
だけ準備しているの。料理、洋裁はできりの? 昔の女
性は、みんなやあたものなのよ。それができないようじ
ゃ、時分のわがままだって通りはしないわ」
 案の定、彼女は何もしていないと言います。
「結婚したいと思っているなら、まず相手に喜んでもら
えるように、いろいろ勉強しなさい」
「わかりました」
 私のお説教がきいたのかどうか、それから彼女は料理
教室に通ったり、お稽古ごとに励んだり、彼のセーター
を編んだりしていたようです。やがて二人は結婚し、今
では子供もでき、何とかうまくやっていりようです。
 離婚体験をもつ私が、被とさまのことをとやかく言う
資格はありませんが、最近増えている結婚しない女性、
あるいは結婚できない女性に限って、自分本位ではない
かと考えたりします。
 私の考えがもう古いのかもしれません。でも、やっぱ
り私は、人を愛し、愛されたいのなら、自分が相手から
与えられることよりも、まず自分が相手に何をしてあげ
られるかに努力すべきだと考えます。なかには与えるの
損、と思う人もいるでしょう。しかし、与えもしないで
もらうことだけ考えているようでは、あまりにも虫がよ
すぎるというものです。
 サービス業の世界は、徹底的に人に何かを与える仕事
です。相手に喜びを与える仕事です。どこまでやっても
きりがない世界、とも言っていいでしょう。しかし、人
間の世の中は、一方通行に終わることはありません。必
ずいつか、自分のところに何かが返ってきます。それが
信じられない人間は、サービスマンとして失格なのです。
人間を信じようという人だけが、相手につくすことがで
きます。そして、そうした人間が最後には大きな喜びと
幸福を得ることができるのです。

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新しい時代のサービスマンの条件とは?
 私たちのホテルをよく使っていただくある大企業の人
事担当の方から、次のような注文を受けて驚いたことが
あります。
「秋田さん。最近の新入社員は、ほんとうにマナーに欠
けているんだ。一度、ホテルでマナーの指導をしてもら
えないだろうか」
 お客様にサービスするのが私たちの仕事ですが、マナ
ー教育もサービスに入るのだろうか、と一瞬、私はとま
どってしまいました。
「でも、会社のほうでなさるんでしょう」
「そうじゃないんだ。挨拶の仕方やら、礼儀作法まで、
とても会社では教えてられないんですよ。これはもう、
しつけの問題ですから」
 短い期間でいいからホテルの仕事を手伝い、掃除から
接客までを含めて訓練できないからというのです。私た
ちからすれば、大企業に就職するような若者たちは、最
低限の社会的マナーを心得ていると思っていたのですが、
案外とそうでもないようです。また、その担当者はこう
も教えてくれました。
「今やビジネスマンは、仕事の能力だけ身につけていれ
ばいいという時代じゃないんですよ。むしろ、その人間
が個人としてどれだけの魅力ある人間か、あるいはきち
んとしたマナーを心得ているか、誰からも好感をもたれ
ているか、といった人間性が問われる時代になってきた
んです。そうした人間がたくさんいる会社ほど、信頼の
おける会社と判断されるんです」
 企業も人間と同じような価値観で評価されるようにな
ったんだなあ、と私は思いました。仕事の技術より、人
間第一ということになるのでしょうか。私たちホテルの
世界でこそ、このような問題を大事にして当然とは思っ
てましたが、一般企業までこうした考え方が浸透してい
ることを知って、私も大いに反省させられました。
 いいものをたくさん売り、利益をあげることこそ企業
の使命とされていた時代は、もう昔のことになりそうで
す。現在では、企業がどれだけ社会還元しているか、あ
るいは環境問題などに参加しているかが、企業のレヴェ
ルを判断する材料になりつつあります。最近増えてきた
企業主催の冠つきコンサートや、スポーツイベントなど
も、そうした傾向のあらわれなのでしょう。企業に属し
ている社員たちにも、ハードな企業戦士としての能力だ
けでなく、人間的魅力を求められるようになったのは当
然かもしれません。
 ある製薬会社の社長さんにうかがった、次のような話
も思い出します。ヨーロッパのある国の製薬会社と提携
するために、その会社では優秀な営業マンを派遣しまし
た。ところが、なかなか契約がまとまりません。そこで、
できる人間をいつまでも外国へ出しておくのはもったい
ないとばかり、その人物を日本に戻し、かわりに多少営
業能力が劣る社員を派遣したそうです。ところが、その
営業マンは、現地に着くやいなや、たちまち交渉をまと
めてしまいました。その秘密は、彼の個人的魅力にあっ
たのです。
 歓迎会の席上、新しく派遣された営業マンは、得意の
ヴァイオリンを外国のお客様たちの前で披露したのです。
あまりの腕前に、外国人たちはびっくりし
「これだけすばらしい文化人がいるような会社なら、問
題ない。長いこと契約を延ばして申し訳なかった」
 とばかり、たちまち契約がまとまったというのです。
 その人間の教養、文化度、あるいは遊び心、そして人
間性。商売の上でもそのような価値観が求められる時代
なのです。
 今までの日本人は、あまりにもこの点に配慮が欠けて
いなかったでしょうか。効率や経済一本槍では、もう通
りません。いかに人間を大事にするか、あるいは人間的
な的な考え方をしているのか。それが、社会が企業をは
かる新しい尺度になっているのです。
 そんな時代になればなるほど、サービス業が求められ
る要求も高いものとなります。サービスにはより豊かさ
を求められます。
 私どものホテルでも、文化人の講演会と食事をセット
する企画を考えたり、萬葉集の講座なども設けたりする
ようになりましたが、ホテルとしても、人間性を高める
ための提案や機会提供を行っていかなければなりません。
人間性を磨く場としてホテルを利用してもらう方法も考
える必要があるのです。
 もちろんそのためには、サービスを提供する私たち自
身が人間的に豊かにならなければなりません。お客様に
講演会を提供するためには、自分たちが勉強し企画を立
てなければなりません。
 お客様に茶室を利用してもらいたくても、ホテルの女
の子たちがお茶の心得をもたなければ意味がありません。
正しいマナー、真の人間的交遊を求めているお客様に、
そうした能力を身につけていない私たちがサービスして
も、これはもう何のお役にも立たないのです。
 毎日、新聞や雑誌に目を通し、あるいは自分の趣味を
もち、個人的な勉強を続け、自分を高める努力が、サー
ビスマンには不可欠の条件となってきました。今よりも
少しでも豊かな自分にしたいと努力する人間が、正当に
評価される時代がやってきたのです。そして、自分が人
間的に豊かになれば、お客様にも最高のサービスを提供
することができるのです。

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人に幸福を与えられる人間とは?
 私自身が、もともとセールスマンあるいはサービスマ
ンとしての能力を備えていた人間なのかどうか、実のと
ころ本人にもよくわかっていません。しかし、サービス
という仕事は、他人に幸福感を与える仕事です。そうし
た視点で考えてみると、私は自分を犠牲にしても他人を
幸福にすることに喜びを感じる、といったたぐいの人間
であったような気もします。
 幼い頃から、他人がいやがる仕事ほど率先して引き受
けるタイプでした。私立学校の進学コースに進んだせい
もあり、私の目からすると同級生の間には利己主義の生
徒が目立ちました。同級生の父親が死んだというときも、
クラスの代表で誰かが行かねばならないというのに、誰
もいやがって行こうとはしません。翌日に試験があるた
めです。そんなとき、パッと手をあげてしまうのが私で
した。
 それでいて、みんながワーッと集まって何かをやりた
がるときに限って、私は中に入ろうとしません。人の前
にでしゃばるのは、とてもいやなのです。それでいて、
先生に、「あなたは、最初はなかなか目立たない子だけ
ど、いつの間にか目立つようになるわね」と言われてし
まいます。自分のことはどうでもいい。でも、人が困っ
ているときは何とかしなければ。私はいつも、そんなお
節介ごとに頭を悩ませている、おかしな少女だったよう
です。
 高校卒業のころ、父が病気で倒れ、寝たきりの生活が
始まりました。私は大学進学希望でしたが、とてもわが
家にはそんなことを口にする雰囲気はありません。しか
し私は、せめて短大だけでも卒業したいとわがままを言
いました。「卒業したら、お父さんの仕事の手伝いをす
るから」――それが条件でした。事実、私は仕事に役立
つようにと高校卒業と同時に愛知県自動車学校へ通い、
1か月で普通免許をとたほどです。当時は女性で運転す
る人間は珍しく、私はアメリカのジープに乗せられて運
転練習したことを覚えています。その運転免許が、短大
卒業時の就職の際に生きてきました。
 大学は出たものの、父の病気ははかばかしくなく、私
が手伝いたくても手伝えない状態になっていました。私
はみずからの仕事を探さなければなりません。ところが
不景気な時代です。おまけに金城学院はお嬢さん学校で
すから、求人募集なんてありません、卒業の日が近づく
につれ、私の不安は増す一方でした。そんなとき、ラジ
オの職業案内が私の耳に飛び込んできたのです。
「女子感化院で、女子運転手を募集」
 私は、ハッとしました。運転免許ならすでにもってい
る。それに、当時は戦災孤児、子を捨てる親、父なし子
など、かわいそうな子供たちが社会に放り出されていた
時代です。私自身も引き揚げ者です。私は、これこそ自
分にピッタリの仕事だと判断しました。そうして職業安
定所で紹介状をもらい、法務省管轄の名古屋の明徳少女
苑へでかけたのですが、教務課長さんは私が教員免状を
もっていることを知り、法務教官の訓練を受けることを
勧めてくれたのです。こうして私の感化院での運転手兼
教官の生活が始まりました。
 苑に集まってくる少女たちは、十四歳から二十歳まで
の女の子ばかりです。詐欺・窃盗・放火……殺人犯こそ
いませんでしたが、世の中の悪という悪を味わってきた
女の子たちばかりです。
 私は、そんな子たちを乗せた護送車の運転をしたり、
逃走の際に駅に張り込んだりもしました。また、父親が
誰だかわからない子を孕んだ女の子と一緒に、子供を堕
ろしにでかけたこともあります。私は、わずか二十一歳
で、人生の裏側を見てしまったのです。
 そんな中に、東京・新宿で六歳のころからスリをして
いたという、札つきの少女がいました。私の時計なんて
平気でスリとり、ニコニコ笑っていたりするほどです。
彼女は群馬県榛名山の感化院で起きた暴動事件の主犯恪
で、私と出会ったころは十八歳になっていたでしょうか。
大柄な子で、胸に蛇の入れ墨を彫っていたのを覚えてい
ます。ダンスの大好きな子でした。感化院では、午前中
は英語、国語、算数などを学び、午後は洋裁や農耕を教
えたものですが、その子は何ごとにも、飽きっぽく、気
分がのらないとすぐに暴れ、しかたなく私は、「ダンス
をしよう」となだめたものです。リーダー恪のその子と
仲よくなれば、みんなをおさめることができるだろうと
考え、私は勤めが終わった帰りにダンスの教室に通った
ほどです。しかし彼女は、気に入らないことがあるとす
ぐに騒ぎだします。ガラスを割ったり、仲間と喧嘩を始
めます。
 私は、社会に出て一年目。とても偉そうなことを言え
るほどの体験も知識もありません。しかし私は一生懸命
に彼女に話しかけました。警察に連れていってはどつか
れ、感化院へも五、六回入っています。懲罰を受けて独
房に入れられた体験も幾度となくあったようです。そん
な少女に、若い私のことばがどれだけ効果があるという
のでしょう。
「あんたが悪いんじゃない! あなたを生んだ親も社会
も、きっと悪いんだろう。でも恨んじゃいけない。みん
なを恨んでいるだけでは、何も解決しないよ。でもね、
努力すれば、きっといい人生がやってくる。だから、が
んばろうね」
 彼女は涙をボロボロと流し、
「おらあー、こんなにやさしいことばは、今まで聞いた
ことねえー!」
 と私に抱きついてくれたのを思い出します。
 彼女に出会ったおかげで、私は人間というものを一生
懸命観察できるようになったのではないかと思っていま
す。
「人間というものは、どんなに悪いことをしても、心の
奥底では善≠ナある」
 人間を疑ってはならない、とも考えるようになりまし
た。
 そして、その人間たちを幸福にするためには、自分が
我慢することだ、とも気がつきました。世の中から嫌わ
れている人間たちだからこそ、こちらから近づいていっ
てやらなければならない。他人がいやがっても、自分だ
けはいやがらずにつき合ってあげよう。
 もし私にセールスマン、サービスマンとしての能力が
備わったとするならば、それはこうした体験の中で私が
教えられ、育まれてきたからにほかなりません。
 人間は善であると信じられるからこそ、その人間を幸
福にさせたいと考えるものです。サービスマンの使命は、
他人に幸福感を与えることです。だとするならば、すべ
てのサービスマンは、人間を信じるという大前提に立た
なければなりません。そうすることによって、自分もま
た幸福になれるのです。
 
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