私たちのホテルをよく使っていただくある大企業の人
事担当の方から、次のような注文を受けて驚いたことが
あります。
「秋田さん。最近の新入社員は、ほんとうにマナーに欠
けているんだ。一度、ホテルでマナーの指導をしてもら
えないだろうか」
お客様にサービスするのが私たちの仕事ですが、マナ
ー教育もサービスに入るのだろうか、と一瞬、私はとま
どってしまいました。
「でも、会社のほうでなさるんでしょう」
「そうじゃないんだ。挨拶の仕方やら、礼儀作法まで、
とても会社では教えてられないんですよ。これはもう、
しつけの問題ですから」
短い期間でいいからホテルの仕事を手伝い、掃除から
接客までを含めて訓練できないからというのです。私た
ちからすれば、大企業に就職するような若者たちは、最
低限の社会的マナーを心得ていると思っていたのですが、
案外とそうでもないようです。また、その担当者はこう
も教えてくれました。
「今やビジネスマンは、仕事の能力だけ身につけていれ
ばいいという時代じゃないんですよ。むしろ、その人間
が個人としてどれだけの魅力ある人間か、あるいはきち
んとしたマナーを心得ているか、誰からも好感をもたれ
ているか、といった人間性が問われる時代になってきた
んです。そうした人間がたくさんいる会社ほど、信頼の
おける会社と判断されるんです」
企業も人間と同じような価値観で評価されるようにな
ったんだなあ、と私は思いました。仕事の技術より、人
間第一ということになるのでしょうか。私たちホテルの
世界でこそ、このような問題を大事にして当然とは思っ
てましたが、一般企業までこうした考え方が浸透してい
ることを知って、私も大いに反省させられました。
いいものをたくさん売り、利益をあげることこそ企業
の使命とされていた時代は、もう昔のことになりそうで
す。現在では、企業がどれだけ社会還元しているか、あ
るいは環境問題などに参加しているかが、企業のレヴェ
ルを判断する材料になりつつあります。最近増えてきた
企業主催の冠つきコンサートや、スポーツイベントなど
も、そうした傾向のあらわれなのでしょう。企業に属し
ている社員たちにも、ハードな企業戦士としての能力だ
けでなく、人間的魅力を求められるようになったのは当
然かもしれません。
ある製薬会社の社長さんにうかがった、次のような話
も思い出します。ヨーロッパのある国の製薬会社と提携
するために、その会社では優秀な営業マンを派遣しまし
た。ところが、なかなか契約がまとまりません。そこで、
できる人間をいつまでも外国へ出しておくのはもったい
ないとばかり、その人物を日本に戻し、かわりに多少営
業能力が劣る社員を派遣したそうです。ところが、その
営業マンは、現地に着くやいなや、たちまち交渉をまと
めてしまいました。その秘密は、彼の個人的魅力にあっ
たのです。
歓迎会の席上、新しく派遣された営業マンは、得意の
ヴァイオリンを外国のお客様たちの前で披露したのです。
あまりの腕前に、外国人たちはびっくりし
「これだけすばらしい文化人がいるような会社なら、問
題ない。長いこと契約を延ばして申し訳なかった」
とばかり、たちまち契約がまとまったというのです。
その人間の教養、文化度、あるいは遊び心、そして人
間性。商売の上でもそのような価値観が求められる時代
なのです。
今までの日本人は、あまりにもこの点に配慮が欠けて
いなかったでしょうか。効率や経済一本槍では、もう通
りません。いかに人間を大事にするか、あるいは人間的
な的な考え方をしているのか。それが、社会が企業をは
かる新しい尺度になっているのです。
そんな時代になればなるほど、サービス業が求められ
る要求も高いものとなります。サービスにはより豊かさ
を求められます。
私どものホテルでも、文化人の講演会と食事をセット
する企画を考えたり、萬葉集の講座なども設けたりする
ようになりましたが、ホテルとしても、人間性を高める
ための提案や機会提供を行っていかなければなりません。
人間性を磨く場としてホテルを利用してもらう方法も考
える必要があるのです。
もちろんそのためには、サービスを提供する私たち自
身が人間的に豊かにならなければなりません。お客様に
講演会を提供するためには、自分たちが勉強し企画を立
てなければなりません。
お客様に茶室を利用してもらいたくても、ホテルの女
の子たちがお茶の心得をもたなければ意味がありません。
正しいマナー、真の人間的交遊を求めているお客様に、
そうした能力を身につけていない私たちがサービスして
も、これはもう何のお役にも立たないのです。
毎日、新聞や雑誌に目を通し、あるいは自分の趣味を
もち、個人的な勉強を続け、自分を高める努力が、サー
ビスマンには不可欠の条件となってきました。今よりも
少しでも豊かな自分にしたいと努力する人間が、正当に
評価される時代がやってきたのです。そして、自分が人
間的に豊かになれば、お客様にも最高のサービスを提供
することができるのです。
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