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ちょっと哀しい話


◎ちょっといい話!

〔渡辺淳一さんのエッセー集
『マイセンチメンタル・ジャーニイ』〕から:

雪の阿寒

「阿寒」ときいて、わたしが真っ先に思い出すのは、誰
も訪れぬ雪の斜面に点々と続く足跡と赤いコートである。
 まさしくこの幻想どおり、一九五二年一月二五日、一
人の少女が雪の阿寒の果てに消えた。
 少女の名前は加清純子。このとき高校三年生で十八歳。
 あまりに若すぎる少女の失踪であったが、それから二
ヵ月半後の四月の初め、少女は雪の中から死体となって
現れた。
「死に顔の最も美しい死に方はなんであろうか。(略)生
きていた時よりも美しく、華麗に死ぬ方法はただ一つ、
あの死に方しかない。あの澄んで冷え冷えとした死。純
子はそのことを知っていたであろうか。あの若さで、果
して死ぬ時、そこまで計算していたであろうか」
 わたしの著書、『阿寒に果つ』の冒頭の部分である。
 このことからもわかるように、この小説のモデルは、
いまから四十数年前に雪の阿寒で命を絶った加清純子そ
の人であり、この本の「若き作家の章」に出てくる「俊
一」という少年は、わたし自身の高校生のときの実像で
ある。

 今年(一九九七年)の冬、わたしは純子の面影を追って、
真冬の阿寒へ行ってみた。
 すでに死後、四十年以上も経っている少女の足跡を追
って、なにが得られるのか。
 すべては茫洋とした過去の中に埋れて消え去るだけだ、
という思いもあった。
 だがわたしの心の中では、いまもたしかに純子は生き
ている。
 その人がこの世の最期のときを生きて、自ら命を絶っ
たところを訪れるのも、それなりの意味があり、それな
りに見えてくるものもあるかもしれない。
 そんな思いから、わたしは再び真冬の阿寒を訪れた。

 わたしが純子を知ったのは、高校二年生だった。
 恋は多くの場合、男から仕掛けるものだが、わたした
ちの恋は、女の純子から仕掛けられたものだった。
 わたしの誕生日が近づいた十月のある日、机の中に純
子からの一通の手紙が入っていた。
「今度の、あなたの誕生日を祝ってあげる、二人だけで。
純子」
 その走り書きのような一言で、私は舞い上がってしま
った。
 当時、わたしは自分でいうのもおこがましいが、真面
目で優秀な生徒であった。
 一方、純子はすでに画家として北海道展や東京の女流
画家展などに出品していて、天才少女画家といわれてい
た。学校で見かける純子は色白でセーラー服を着ていた
が、髪はいまでいう茶髪で、噂ではオキシフル液やビー
ルで脱色しているのだ、ときいていた。
 彼女はあまり授業にも出席せず、出てきても早退する
ことが多かったが、家ではほとんどキャンバスに向かい、
展覧会の打合わせなどで、東京へ行くことも多いのだと
きいていた。
 くわえて彼女は肺結核で、そのためよく入院すること
もあるが、画家など文化人と、薄野のバーや喫茶店で夜
遅くまで飲んでいることもあるらしい。
 すべては人からきいた話だが、当時の高校生としては、
純子はとくべつの存在で、教師たちも彼女には一目おき、
欠席もおおめに見ていることがあった。
 はっきりいって、わたしはこんな純子が嫌いだった。
たとえ天才画家であったとしても、高校生ならきちんと
規則を守るべきではないか。いかに才能があり、愛らし
いからといって、授業時間中に子猫のように忍びこんで
きて、また用事でも思い出したかのようにするりと消え
ていく。そんな我儘は許されるべきではない。テストの
時も答案を一番最初に出したが、内容はフランス語で、
「わかりません」という一言だった、などという噂をき
く度に、気どったいやな女、という思いを深くした。
 純子は多分、わたしのそんな反撥心を知っていたのか
も知れない。
 誕生日の夜、わたしは純子に誘われて寿司屋に行き、
そこで初めてカウンターに座って寿司をご馳走になった
うえ、帰りがてら、夜道で突然「キスをして」と言われ
てはじめての接吻をした。
 少年の心は純情というか脆いというか、その日から、
わたしはたちまち彼女の虜になった。
 つい少し前まで、あれほど純子を嫌い、憎んでいたは
ずなのに、あれはただ、早熟すぎる純子への、少年独特
の妬みであり、突っ張りにすぎなかったのか。
 ともかくその時から、わたしは自ら望んで、純子との
逢引を重ねた。
 場所はそのころ、わたしが図書部の部長をしていたこ
とから、鍵が自由になった図書館の部員室をつかい、そ
こで夜遅く密に逢い、接吻を交わす。すでに煙草を吸い、
ウイスキーを飲んでいた純子は、初心だったわたしにそ
れらを教え、純情な分だけ、わたしは急速に彼女に染ま
っていった。
 さらに純子は同人誌にも加わっていて、「二重セック
ス」などという小説を発表していたし、フランスの恋愛
映画などを見ながら、「デカダン」とか「アンニュイ」
という言葉をよくつぶやいた。
 この秋から翌年春にかけての、彼女と過ごした濃密な
時間のおかげで、わたしは恋と女性に目覚めるとともに、
藝術的な雰囲気に強い憧れを抱くようになった。
 よく、「女は男によってつくられる」といわれるが、
それだけではない。逆に、「男が女につくられる」こと
もある。わたしにとっての純子は、まさに後者の例で、
あのころ彼女に会っていなかったら、現在のわたしはな
かったかもしれない。

 秋から冬にかけて、わたしたちのあいだは順調であっ
た。相変わらず夜、図書館の部員室で密会して煙草を吸
い、ウイスキーを飲み交わす。万一、教師に見つかった
ら大変なことになると思いながら、そんな教師や親も裏
切っているという背徳の思いが、一層、わたしの気持を
彼女に向けさせた。
 だが、そんな気持に水をさすような噂がわたしの耳に
入ってきた。
 純子にはつき合っている男友達が何人もいて、そのい
ずれとも深い関係にあるという。たとえば彼女の絵画の
先生や、かかりつけの医師、新聞記者などで、彼女はそ
れら中年の男たちに囲まれて、ときには女王さまのよう
に振舞っているともいう。
 しかし、わたしはそれらの噂をきいても、怒る気には
なれなかった。
 たとえ純子が中年の男性たちとつき合っていたとして
も、それは自分とは遠い別の世界のことである。高校生
の分際で、見知らぬ世界の男たちのことを嫉妬したとこ
ろではじまらない。たとえ彼女が他の男性とつき合って
いたとしても、自分との逢瀬を守ってくれさえすればそ
れでいい。
 そんな状態のなかで、ひとつだけ気になる噂が入って
きた。
 春の初めころから、純子は東京からきたОという男と
つき合っているという。その男は一説では共産党員であ
るともいうが、三十歳くらいでハンサムで、くわえて芸
術的感性が鋭く、弁も立つらしい。
 それを聞いた瞬間、わたしはその男に純子を奪われる
に違いないと思った。まだ恋には稚なかったとはいえ、
愛する男の勘とでもいうのであろうか。
 予感どおり、純子は急速にわたしを離れ、その男と親
しくなっていったようである。そして高校三年の夏が始
まる頃、わたしたちのあいだは完全に終っていた。
 むろん、わたしはなお純子の未練があったが、引き戻
すほどの力はないし、大学受験が目前に迫っていた。
 その苛立ちのなかで、わたしは自分にいいきかせた。
 彼女が去っていったのは、自分があまりに若すぎて退
屈したからに違いない。だがこれから大学に入り、さら
に大人になれば、彼女はまた戻ってきてくれるかもしれ
ない。
 彼女への思いをきっぱり断ち切り、受験勉強に熱中し
ようと努めたが、それと反するように、純子は学校を休
みがちになり、ついにはほとんど現れなくなった。彼女
の友人の話では、東京芸大を目指していたが、それをあ
きらめて、Оに深入りしているという。
 そのまま純子のことは極力忘れるように努めながら、
受験勉強をしていた一月の半ば、深夜一時すぎ、わたし
はふと肌寒さを覚えて目覚めた。受験勉強に疲れて仮眠
していたのだが、振り返ると、うしろの窓がかすかに開
いている。
 咄嗟に、わたしは純子が訪ねてきたことを知った。
 これまで純子はわたしのところを訪れるときは、いつ
も部屋の窓をこつこつと叩き、少女にしては暗い笑顔で
うなずき、わたしはそれを見て窓からとび出すのが常だ
った。
 驚いたわたしはすぐ窓を開けてあたりを見廻したが、
純子の姿はなく、かわりに窓の下まで積もった雪の上に、
赤いカーネーションが一輪おかれていた。
 慌ててわたしは外に出てあとを追ったが、月に照らさ
れた雪道は静まり返ったまま人影ひとつなかった。
 わたしは雪の上のカーネーションを拾い、翌朝、学校
に行くや、純子と親しい友人に、彼女の居場所をきいた。
「純子は今日一番の列車で阿寒へ行くといっていたから、
もういないと思うわ」
 瞬間、わたしは不吉な予感にとらわれたが、不幸にし
て、それが現実となった。
 そのあと、彼女は釧路へ行き、そこで数日過ごしてか
ら、一人で雪の阿寒に向った。ここで雄阿寒ホテルに二
泊したあと、純子は雪が晴れるのを待って、スケッチに
行くと言って、阿寒と北見を結ぶ釧北峠の方向へ歩いて
行った。 
 そこまでが地元の人が知っている、純子の最後の足ど
りであった。
 それから二ヵ月半後、純子の死体は阿寒湖を見下ろす
釧北峠に近い雪の斜面で、発見された。
 四月に入り、雪深い阿寒にもようやく春の陽ざし
が訪れるころ、純子は赤いコートを着たまま雪の中から
現れた。顔は伏せていたので、生きていたとき以上に蒼
ざめ、美しさを保っていたが、まわりには死ぬ前に嚥ん
だと思われるアドルムの瓶と、彼女が好んでいた「光」
という煙草の箱と、マッチなどが散っていた。

 純子はなぜ死んだのか。遺書がないだけに、いまとな
っては誰にもわからない。
 だが若かったころ、いっときでも身近にいたものとし
て、わたしはわたしなりに推測することができる。
 純子のように早熟で、エキセントリックでナルシステ
ィックな少女には、あのあたりが生きる限界であったの
かもしれない。
 当時、少年であったわたしには、純子はすべてを知っ
ている大人のように見えたが、彼女は彼女なりに精一杯
に背伸びし、さまざまな演技をしていたのかもしれない。
 たとえば、札幌を発って阿寒に向かう前夜、わたしの
部屋の窓の下に赤いカーネーションを置いていったが、
あとで知ったことだが、純子はそれまでに関係のあった
五人の男すべての家の前に、同じ花を置いていた。
 幸か不幸か、わたしはそのことを小説に書くまで知ら
ず、それ故に、純子は死に旅立つ直前、わざわざ花を持
ってきてくれたのだから、わたしを一番好きだったのだ
と思いこんでいた。むろん他の男たちもそう信じて、疑
っていなかった。
 さらに彼女は肺結核で喀血したことがあるといい、接
吻をしながら、わたしはうつるのではないかと怯えてい
たが、それも偽りで、結核は自由に学校を休むための口
実でしかなかった。
 むろんわたしはいま、純子が残していったそうした偽
りに、怒る気なぞ毛頭ない。それどころか、十七、八歳
の若さで、それほど人生において演技を重ねたら、余程
疲れたに違いないと、むしろ痛ましく思う。
 もう少し暢んびりと、少女らしく素直に生きたらよか
ったのに。早熟で感性豊かな純子は、一度、虚の世界に
走り出したら、もはや止まることができず、これではい
けないと思いながら進路を修正する暇もなく、死という
大海に飛びこんだのであろうか。
 いま振り返ると、純子はときどき、「死にたい」とつ
ぶやいていた。さらに中学生のときに一度、自殺未遂を
したことがある、ともいっていた。
 死に鈍感だったわたしは、そんな純子の口癖を彼女独
特のもの思わせぶりな台詞だと思い、「本当は死ぬ人は
そんなことはいわないよ」と冷たく突き放したが、純子
は言葉どおりに本当に死んでしまった。
 いまさら悔いても仕方がないが、純子は若くして死を
予感し、その死をいかに華麗に、そして人々に深い印象
を残して死ぬかということだけを、考えていたのかもし
れない。
 いまひとつ、純子についてわからないのは、誰を最も
愛していたのか、ということである。
 この点については、純子と関わり合った五人の男性が
考えられるが、なかでも最後の男性であったОを最も愛
していたのかもしれない。
 しかし純子が札幌を去る前夜、五人の男たちにカーネ
ーションを置いていったように、そのいずれでもなく、
純子が好きだったのは、純子自身であったのではないか。
 それは純子の行動のすべてが演技的で、ナルシスティ
ックであったことからも想像がつく。 
 そしてそうでなければ、いっときとはいえ、純子とい
う女に熱中した、わたしの青春を葬ることができないか
らである。

  いま冬の阿寒は、四十数年前、純子が訪れたときとは、
すべての面で姿を変えている。
 当時、純子が馬橇で鈴を鳴らしながら阿寒へ向った道
も、いまは広い国道として舗装され、冬でも手定期バス
が通っている。そして白一色だった雪原には、餌付けさ
れた丹頂鶴が舞い、まわりに近代的な牛舎や家々が点在
する。
 さらに純子が最後に泊った雄阿寒ホテルもいまはなく、
純子がとぼとぼと雪道を登って行った釧北峠も道筋が変
わり、広く平坦な国道が峠のわきをつき抜ける。
 道路も建物も、まわりの風景も、まさに信じられぬほ
どの変貌をとげたが、それでもなお、風雪に耐えて変わ
らぬものもある。
 それは阿寒の雪の白さであり、一歩足を踏みいれた雪
山の峻烈さであり、その冬枯れの樹立の奥に潜む静寂で
ある。
 そして、わたしのなかに残った純子も、十八歳の面影
のままいまも変わらない。なぜ死んだのか、わたしはも
うそのことを問う気はない。同時に、誰を一番好きだっ
たのかと、きく気もない。
 それより、いま、わたしは純子に訴えたい。
 多くの人々は、十八歳で死んだ君を惜しんで、可哀相
で痛ましく、憐れだという。
 だが、十八歳で死ぬことは、悲しみとは別に、かぎり
ない驕りであり、我儘であり、身勝手ではないか。
 君の死ほど、さまざまな人に、未知と不可解の部分を
残しながら、忘れがたい思い出を刻んでいったものはな
い。   
 そんな華麗で贅沢な死を全うした純子を、いま憎いと
思いながら、同時に感服し、そして妬ましく思うのは、
わたし自身が年齢をとりすぎたせいなのか。
 ともかく、いまもたしかにいえることは、わたしの瞼
のなかにいる純子は、いまだに十八歳のままにとどまっ
ている、ということだけである。

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