女の器量はことばしだい 広瀬久美子


あなたってほんとはどんな方かしら!!!



■心臓をつかむほどの愛撫のしかた
■「目は心の窓」とはよく言ったものです
■「苦手」と思う人ほどうまくいったりする

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「苦手」と思う人ほどうまくいったりする
「自分がいわれてイヤだったことは、相手にいわないこ
と」は、生きた言葉づかいの原点ですけれど、インタビ
ューの仕事は、因果なことに、相手が質問されたくない
ことを、あえて質問しなければならない場合がよくあり
ます。
 たとえば、ゲストが過去にに起こしたスキャンダルと
か、妙にはっきりしない話などで「そこがいちばん聞き
たい」と誰しも思うところです。とすれば、なんとかし
てきかなくてはならない。それは仕事としてあたりまえ
のことですし。
 とはいうもののゲストも生身の人間。せっかく忙しい
スケジュールをおして、時間をさき、スタジオに来てく
ださるのですから、「来てよかった」と思っていただき
たい。
 となると、当然私は、「聞きたい」いや「ふれずにヨ
イショ(おだてて相手を気分よくさせる)してお帰しした
い」という気持の「板ばさみ」となって悩むわけです。
 しかし時間は限られている。仕事はしなくちゃいけな
い。そこで私はコロッとゲストの前で裸になるのです。
一枚、また一枚、ゲストの驚くのを尻目に、というので
なく、すっきり一度にどーんと、老体≠さらす。
 つまり、質問をする私自身の気持ち、考えをゲストの
方に知っていただくようにつとめるのです。いってみれ
ば「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」の精神でしょう
か。そして目的の質問をするわけです。
 こうして自分の考えをゲストにぶつけたとき、はじめ
て相手の、これまでになかった新しい答え、意外な反応
が出てくるところにいちばん期待しているのです。
 やり方によっては、ゲストは「天下に恥をさらす」結
果にもなりかねませんから、ゲスト自身のことは、経歴、
記事、その他、ていねいに調べておきます。そのうえで
さらに生身の口から「くわしいことを」うかがう。「あ
なたをもっと知りたい」という気分をつねに持っている
こと、これはいいかえれば、相手に対する「愛情」で、
相手への積極的なアプローチのしかただと思います。
 もちろん「消極的」な方法もあるでしょうが、私の性
格として、自分の考えをハッキリさせないで、相手から
聞き出すだけ、というのはどうも性に合わないのです。
自分の意見を出さないで、人の意見ばかり聞きたがる人
がいますけれど、そういう人にはつい、
「じゃあ、あなたはどう思っているの? 何を考えてい
るわけ?」
 と詰めよってしまいます。
 ですから、ゲストに対しては、自分の全精力、全神経、
全ハートを集中します。
 それと同時に、スタジオに来てくださった以上は、「
あとは、私にまかせてください」と、ほんとうに「オン
ブにダッコにカタグルマ」をして、安心してもらうこと
を心がけます。そうすれば「ホッペをツンツンとつつく」
いや、「心臓をギュッとつかむ」ような質問をしても、
それは一種の愛撫≠ニうけとられることも可能です。
 先日、週刊誌の記者の方に、
「広瀬さんは、あんなふうに鋭い質問をして、ゲストの
方は怒りませんか?」
 ときかれました。
「いいえ。『また来たい』といってくださった方はいら
したけれど」
 と答えましたら、
「どうしてかなあ、NHKだからかな」
 と首をかしげます。
 その記者の方の話では、ゲストの方に、私と同じこと
をきいて、怒られたり、ツムジをまげられたりしたこと
が、何度もあるというのです。
 これはいったいどうしたことなのでしょう。いくら私
が、
「かなりつっこんで、こわいことをきいている」
 といわれても、所詮「NHKという金看板の威光ゆえ」
というのでは、身も蓋もありません。裸になったかいも
なく、ピエロの踊りです。
 その記者の方にふと、きいてみました。
「どういうきき方をなさっているの?」
 曰く、
「ききたい核心の部分だけ、ぶつけてききだそうとして
いる」
 これでは誰だっておこるのは当然です。たずねる側が、
どんな気持ちで、どんな態度でいるかわからないのに、
いきなりいやなことをきかれて、気持ちよく答えるはず
はありません。
 インタビューは、自分で一つ一つつみ重ねていかなく
ては意味がないのです。人のおいしいところだけとるの
は心ない所業です。
 さらに、どんな場合でも、ただ「つっこめばいい」と
いうわけではありません。心から相手の方が傷ついてい
る、と思われるときは、たとえ出来が悪くなるとわかっ
ていても、そっとしておくことは、人間として最低限の
条件でしょう。「何もきかない優しさ」もまた、愛撫
の一つと思います。
 ただしそのようにしてお帰ししたゲストには「またい
つの日かあらためてお逢いしましょうね。そのときまで、
そのときまで、愛撫のため、爪をといでおきます。あな
たもね」と心の底でつぶやきつつお見送りをするわけで
す。「武士の情」とでもいいましょうか……。

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「目は心の窓」とはよく言ったものです

 アメリカ人やヨーロッパ人は、相手の目を見つめて話
すことが当然の習慣になっているようですが、私たち日
本人の場合は、かならずしもそうとはいえません。
 照れくさいとか、恥ずかしいという心理が表面に出る
せいか、うつむいたりして、ちらちらと相手をうかがい
ながら話すことがよくあります。なかには、
「あまり見ると相手の方に失礼にならないかと思って」
 などという方もいらっしゃいますが、やはり、相手の
目を見るのは「礼儀」ではないでしょうか。
 とくにインタビューしているとき、それも長い時間に
なればなるほど、効果があるのです。
 その一つは、相手に自分を集中させることができるこ
とです。
 あたりまえのことのようですが、相手に「私はあなた
のことを知りたいのです」と、思っていることを知らせ
るきっかけになるということです。
 「目は心の窓」といいますが、相手の気持ちを知るた
めの手がかりとしては、相手のほかの部分、頭髪とか、
鼻とか、耳とか手、胸もとなどの他の部分では代行でき
ないのです。
 二つ目に、相手のそのときの表情や、手の動き、身体
の動き、つまりは、気持ちの動きを察するのに、目を見
ていれば、いちばんよくわかるという点です。そして、
そのときの相手のちょっとした動きや表情から、話題を
つかむきっかけができるのです。
 三つ目に、こちらの真剣さが、相手に伝えられるとい
う点。
 インタビューの面白さ、あるいは、醍醐味というのは、
目の前にいるゲストが、どのようなことをいいはじめる
かというスリルを、聴取者のみなさんと共有できること
にあります。
 それは、いいかえれば、私の質問によって、また、ゲ
ストの現在の心理状態から、どんな話がとびだすかわか
らないスリルともいえます。

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「苦手」と思う人ほどうまくいったりする
 お逢いする方によっては、「あら、ちょっと苦手」と
か、「うーん、気むずかしそうな方ねえ」と思うことも
あります。
 ある程度、名のある方々ですから、それなり、それな
り私の頭のなかにも、先入観ができています。さらに、
その方について、私なりの下調べをしますから、また異
なったイメージができあがります。
 一方、私自身の体調がよくなかったり、心理的に落ち
こみ気味のときなどは、人に会ってお話をうかがうこと
自体、逃げ出したいほど恐ろしい、中止にしたい、休み
たい、と思う場合があるのです。
 でも仕事ですから、そうもいってられません。時間は
確実にすぎて、インタビューの時が、いやおうなくやっ
てきます。
 ほとんど、やぶれかぶれ、という心境のときのほうが、
じつは少なくないのです。
 ところが、そういうときにかぎって、仕事が意外にう
まくいった、お会いしてみると、自分が考えていたのと
は違って、感じのいい方だった、というように、予想外
の展開になることがあるのです。
 これは、考えてみれば、私自身がマイナスの状態にあ
り、ここからは、どんな悪いことがおこっても下に落ち
こむことはないという気持ちで、ゲストにお会いするか
らでしょう。
 ですから、私の下手な質問にも、上手に答えていただ
けると、まさに「天使の声」のように聞こえるのです。
 こんなときには、ゲストの方も、私の支離滅裂さかげ
んや、頼りなさそうな雰囲気に、「助けてやらなきゃ」
と思ってくださるのかもしれません。
 そうこうするうち、私も元気が出て態勢を立て直すこ
とができ、徐々にエンジンがかかってくるのです。
 これはちょうど、人生落ち目のとき、他人から手をさ
しのべてもらううれしさ、仕事で傷ついたとき、友人に
慰めてもらううれしさと、通じるのでしょうか。
 すべての人から見はなされたわけじゃない、という思
いと、苦手のゲストも意外や鬼≠ナはない、という発
見が、力づけてくれるとでもいいましょうか。
 もちろん、このことは、番組の仕上り具合とは関係の
ない私自身の内部事情ですけれど、このとき、番組とし
ても、たいへんいい結果が出るのは、私が結果として、
インタビュアーとしての初心に帰った緊張感が功を奏し
た、といえるでしょう。
 それでは、いつもその状態に自分を追いこんでおけば
いいのでしょうが、これはつくろうと思ってつくれるも
のではなく、いくらかの偶然や、必然的なものがあいま
ったなかからしか出てこないもののようです。
 こうした経験から私は、「いやだな」と思う人には、
とくに積極的にアプローチをしたほうがよいと思うよう
になりました。自分でいやだいやだと敬遠すると、それ
だけ自分の世界をせまくすることになりますから。
 でも本当に、心理的、身体的にコンディションの悪い
とき、「苦手」と思いこんだ方から、おんぶに抱っこの
お守りをしていただいたうえで、よい結果が出たりする
ときのうれしさは、羽根がはえたように心軽く、何もの
のもかえがたいのですが、「いつも」というわけにはい
かなのが無念このうえないところです。

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