京洛四季 東山夷魁


嵯峨野新秋
竹林月夜
厭離庵
浄瑠璃寺
観音寺

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嵯峨野新秋
 
 小倉山に日が沈んで、余光が茜色に空を染める。また
たく間に宵闇が嵯峨野を蔽う。
 二尊院から杉の並ぶ小道を歩く。去来の墓を過ぎ、竹
薮のそば通って落柿舎の横へ出る。この道の虫の声の、
なんと美しく、澄んで可憐であることか。こんなに複雑
な音色が、自然にハーモニイとなって奏でられることに
驚く。私には、はじめてのことのように感じられた。い
つまでも耳に残った。
 野々宮を訪れた。黒木の鳥居をくくると、小さな蝋燭
が一本、献燈の棚にともっている。人影はなかった。野
々宮を出て、垣根沿いに竹薮の間の暗い道を歩いた。こ
こでも虫の声はしきりである。足許にまばらな影がゆれ
た。振り返ると、丸い月が仰がれた。
 大覚寺へ行き、大沢の池の堤に沿って歩く。池は向う
の岸の並木の黒い影と、陰暦七月十五夜の月を映して静
まりかえっていた。

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厭離庵
 嵯峨の奥の厭離庵(おんりあん)。愛宕道から竹薮の間
の、ほの暗い路地を抜ける。ひぐらしの声詩きり。小さ
な門を入ると、槙の生垣沿いに、苔の中の敷き石が続く。
葺き屋根茶屋の待合に、侘びた枝折戸がついている。苔
の路地を奥へ導く小さな飛び石が見える。その飛び石の
寂びは、ここがおおぜいの人の足に踏まれることのない
静寂境であることを物語っている。枝折戸のか細い風情
が、かえって、この中の幽寂な世界を、しっかりと守っ
ているかのように感じられる。
 この庵(いおり)は藤原定家が小倉百人一首を選んだ山
荘の跡と伝えられる。庵の庭の一株の老楓樹は、まだ紅
葉は早いが、白萩がやさしく初秋の風情を添えている。
庵主(あんじゅ)の老尼から薄茶一服いただく。

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浄瑠璃寺
 なだらかな松杉の山に囲まれ、柿の実る村の奥に、浄
瑠璃寺がある。木津川から加茂町を経て、丘陵風な田園
風景の中に行くと、その清澄な雰囲気は、この先に静か
な浄土が待っていることを予感させる。
 池を中に、西に九体の金色の阿弥陀如来が坐す単層の
阿弥陀堂、東に薬師如来を安置する檜皮(ひわだ)葺きの
三重塔。阿弥陀堂は松と杉の森を背景に、池畔に憩うよ
うに低く、三重塔は岡の上に屋根の四隅の反りの優しい
美しさを見せて聳える。西方の極楽浄土と、東方の浄瑠
璃界。現世に仏土のまぼろしを描き出そうとする心の願
い。
 阿弥陀堂の内陣には九体仏がけだるい豊満さをもって
並び、四天王、不動の像の中に、あでやかさと気品を含
む彩色豊かな吉祥天が立つ。
 塔のある高みから見下ろすと、阿弥陀堂は安定感のあ
る姿を池の水に映して美しい。宇治平等院の鳳凰堂を想
い浮べる。
 その建築と仏像共に、規模の上から云っても、美しさ
の点からも、鳳凰堂は抜き出ているが、その環境は浄瑠
璃寺の潤いと静けさには及ばない。九体寺口から南へ道
をとる。なだらかな丘の芒の穂波の向うに、遥かに青霞
む山々の重なりが見えてくる。奈良はもう近い。

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観音寺

  なら山を越えて南山城へ入る。稲田の実りが明るい。
大和街道を三山木(みやまぎ)で西へそれ、竹薮と松林に
蔽われた低い丘陵の連なる風景の中を行く。小川を渡り、
桜並木の参道を経て観音寺へ着く。
 住職に頼んで本堂正面の大きな厨子の扉を開けてもら
う。等身大よりやや大きいと思われる天平の十一面観音
像が現れる。木心乾漆のこの像は金箔はほとんど落ちて
黒々とした光沢を持ち、その豊かさの中にも引き締った
容姿には思わず息をのむ。
 この南山城のの周辺にひそやかに建っている寺に、天
平の優作があることに驚くが、ここは古い土地であり、
付近の丘陵と見えてたのは古墳の群れであって、このあ
たりは、はじめ韓人(からびと)が蚕を飼った処(ところ)
である。
 大和街道へ引き返し、さらに京都に向って車を走らせ
田辺の町並へ入る。薪(たきぎ)一休寺への石の道しるべ
が街角に見える。

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