『清水義範の作文教室』 清水義範


セキュリティの問題から原文の固有名詞と、その周辺の文章の一部を変えさせていただいております。ご理解ください。Webmaster

 

■ふけつ軍団パート2
■群馬のおじさん
■みんなでえい画に行ったこと
■十二月の日記/私が得ているものも大きい
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ふけつ軍団パート2 Yくん(六年生)
 ぼくは、流石ふけつ軍団員だとあきれてものが言えま
せんでした。このようなおそろしい人間はふえ続ける一
方です。このことは天白小始まっていらいの危きだと思
います。この人間は、確かな身元のかくにんできる人数
でも男子約二人女子約八人にもおよびます。このような
事実にぼくたちは、きん急たいさくを取っています。第
一にかわいそうだけど、なるべくさわらない。第二に自
分もならないように気をつける。第三に近よらないで遠
くから話す。この三つを対さくほう案だとしてみんなで
てい案しています。ついさい近入った資料ではこんなこ
とまでわかっているそうです。パンツは変えたかどうだ
かわからない。ふろに入ったかどうかもわからない。こ
のようにふけつ軍団の行動はしだいにエスカレートして
います。ぼくたちも、軍団員にならないように気をつけ
ていますが、先生もこのような軍団に入らないように注
意して、せいけつにしてください。


東京先生のアドバイス
・これは、文章的なパロディなんだよ。
 つまり、クラスの中のふけつなやつのことを、まるで
正式な報告書のように書く。そのことにユーモアがある。
というねらいなんだ。
「ふえ続ける一方です」
「八人のもおよびます」
「エスカレートしています」
 その、正式な文書のような言い方がおもしろいわけで、
うまくできている
・ただし、最後に出てくる先生って、誰のことなのかよ
くわからない。普通に書けば「みなさん」になるところ
だな。
 でも、最後までパロディをつらぬいて、「国民の諸君
も」とか、「読者諸君も」なんてやるのもいいかも。

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群馬のおじさん Hさん(六年生)
 おじいちゃんは3人兄弟です。その中の一番下の弟の
あだなは、群馬のおじさんといいます。
 この話は、四十九日の時の話です。
 四十九日(十一月十二日)の夕方、私は、みんながニュ
ースを見ていたので、二階にあがりアニメを見ようとし
てました。私は、ここならだれもいなくて、一人で見れ
るだろうとルンルンと心の中で思いながら二階の部屋(
おじいちゃんの部屋)へ入ろうとしました。その時、ア
ニメの歌をだれかが歌う声がきこえてきました。だれだ
? まさかおばけ? と思いそーっとドアを開けてのぞ
いていました。アニメの歌は、げひんな歌で「オナラ、
オナラ、サヨーナラ、文明、文明、サヨ―ナラ」という
歌でした。私は、「げっ、こんなんじゃ見れやしないじ
ゃないか」と思い、どうするかまよいました。あっそう
だ、歌うたってるんだから、私はとちゅうで入るとはず
かしがって歌はやめるかもと思いました。入った時、「
おー、まちこちゃんかい、いっしょに歌おう」といって
私の計画はしっぱいに終りました。
 30分たち、そのアニメは終わりトイレへ行きました。
次はサザエさんだ、やっほーと早くトイレを出ました。
部屋へ入り、「サザエでございます」というさいしょの
歌のことばをまっていました。やがて、「サザエでござ
います」といった時、またうたい出しました。「おさか
なくわえたドラネコ、おーおっかけーた」歌をまちがえ
ていました。この人、ひまなオヤジなんだと思いました。
歌が終わり、急にズボンをぬぎ、ももひきになり私は顔
がまっ赤になりました。私は、「おじさん、かぜひくぞ
」といってやりました。おじさんは「平気、平気だぞ」
といいました。
 サザエさんが終わり、あーおわっちまったと思いまし
た。また急に、「ブリッ」とでかいオナラのおとがしま
した。そのオナラはしだいにくさくなっていき、たまね
ぎのくさったようなきょうれつなくささになっていきま
した。
 私は、もうこの部屋はやめようと思いました。出てい
こうとした時、「じゃあねー」と元気な声で手をふって
いました。私もう、こんなげひんなオヤジに会いたくな
いと思い、私も「バーイ」といい、部屋をあとにしまし
た。


   枕草子もどき
                  Hさんの作品

@かわいらしいもの
・かばの顔。なんとなくあくびした顔がかわいらしい。
・ひまわりの花。黄色の小さなひまわりがかわいい。
Aどきどきするもの
・さくらがさいたのがもうちっちゃう所。
・夜の星をさがすこと
Bこまるもの
・セールスの人が家じぇくる時。
・母のせっきょう。


東京先生のアドバイス
・おかしなおじさんがいたもんだ。何歳ぐらいの人なん
だろう。
 そのおじさんの、へんてこさが、うまく書けている。
おもしろく書こうとしているからだ。書くときに、かた
くならずに、らくに書いているのがいい。
・ときどき、ひとつの文章が長すぎて、意味がわかりに
くくなることがあるけど、文を短かく、いくつかにくぎ
るのもいいんだよ。
・「枕草子」もどきでは、どきどきするものがいい。と
てもいい感覚だ。こんなふうに言葉で遊んでみるのは、
センスをみがく役に立っていいんだよ。

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みんなでえい画に行ったこと Sさん(二年生)
 この前の日曜日、わたしは、内海の帰り、半田で、家
ぞくみんなで、えい画を見ました。
 ぐうぜん、えい画、パチンコなど、いろんなものが書
いてあるかんばんを、お父さんが見つけて、
「行ってみようか」
 と、言いました。わたしは、そのかんばんを見て、十
二月五日からやっている、えい画のセーラームーンのこ
とを思い出しました。
そして、
「セーラームーン、やってるかなあ」
 と、言ったら、お父さんが、
「どこのえい画かんでも、セーラームーンをやってると
思ったら、大まちがいだ」
 と、言いながら、そこに入ると、なんと、じょうだん
で言ったはずの、セーラームーンのえい画をやっていた
のです。
 えい画かんにはいり、入場けんのねだんを見ていると、
ぜんいんあわせて、五千円ちかくもなるのです。妹たち
と、ひっしにたのんで、(いいかなあ)と思うと(だめ
かなあ)と思ったりして、やっと、見せてもらえること
になりました。でも、その時は、四時ごろで、その時間
だと、五時十分からのえい画が、ちょうどなので、それ
まで、何かをかったりして、時間をつぶすことにしまし
た。えい画が見れると思ったら、わたしの心は、ルンル
ンきぶんになってしまいました。そして、五時十分にな
り、えい画かんに入りました。お母さんたちは、
「すごくこんでいて、いいせきで見られないよ」
 と、言っていたのに、せきは、すきすきで、すごくい
いせきで見られました。
 えい画は、とってもおもしろかったです。


東京先生のアドバイス
・えい画かんでえい画を見たたのしいたいけんが、こま
かく書いてあってとてもいい。
 さく文のコツは、こまかいまわりのことまで、うまく
書くところにあるんだ。えい画を見た。おもしろかった。
というだけでではつまらない。
 ぜんいんで五千円ちかくもする。だめかなあと思いな
がらたのんでみる。上映じかんをまつ。
 そういうことまで書いてあると、ワクワクがつたわっ
て来るんだよ。うまく書けていました.
・ことし一年で、作文がとてもうまくなりましたよ。

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■十二月の日記/私が得ているものも大きい
 Sさんの「なかよしのはつばい日」は、心のときめき
がよく表現できていて、力のある作文だ。そのことがよ
ほど楽しいというわけであろう。楽しいことを書けば、
やや暴走ぎみの作文になりつつも、力強い作文ができる
のだ。どうでもいい思っていることを書いたっていい作
文になるわけがないのだから。
 Sさんは、心模様を書こうとする。そして、心の動き
の程度を、なんとか書き分けられないものか工夫してい
るのが見て取れる。つまり彼女は、よく、次のような表
現をするのだ。
「わりかしおもしろかったです」
「あんがい楽しかったです」
「思ったよりいいところでした」
 感情の動きには程度がある。ただ、楽しかったと書い
てしまっては、どのくらい楽しかったのかわからない。
その微妙なところを表現したい。
 と、彼女は思っているのだ。そこから出てくるのが、
あんがい、とか、思ったより、なのである。その微妙さ
を書き分けたいと思うセンスはなかなかのものだ。
 ただし、それがややもすると行きすぎて、感情にブレ
ーキをかけてしまうことがある。彼女には、心の動きは
ややおさえめに書くほうがはしたなくなくて、品のいい
ことだというような思いがある。だからどんな時でも、
つい、あんがい楽しかった、と書いてしまうのだ。まあ
楽しめた、とか。
 すごく楽しかった時には、心にブレーキをかけずに、
すーっごーく楽しかった、と書いてもいいんだよ、なん
てことを私は彼女に言ったりした。
 でも、この「なかよしのはつばい日」は、そういうブ
レーキがなくて、心がわくわくしているのがそのまま伝
わってくるいい作文だ。
 Yくんの「ふけつ軍団パート2」は、文体に工夫をし
た作文だ。パート1では、学校にいるふけつな奴らの悪
行が報告してある。授業中にふけを散らしたりする奴ら
のことだ。
 そしてパート2では、ふけつ軍団についての報告書の
文体になってきた。一時的にちょっとしたスランプにお
ちいっていたYくんだが、そういう文体遊びのようなこ
とをさせるとやっぱりうまい。
 小学校六年生というのは面白い年頃なんだなあと思う。
もう大人に近い文章力を持っているのだが、生活面では
まだ子供の世界にいるのだ。だから、どうしても書く題
材に行き詰まってしまう。表現力もユーモアもあるのに、
題材が家庭のことか、学校内のことしか書けないわけだ。
まさしく半分大人で半分子供である。
 だから、あと数年でYくんが皮肉で知的なかなりのラ
イターになるかというと、それはわからない。大人っぽ
くなるにつれて、発想も文章力も平凡でつまらなくなる
ということもよくあるのである。
 ともかく、今、Yくんは成長過程で妙なバランスの上
にいる。
 Mくんの「お父さん」はいい作文だ。もちろん、私が
言う意味でのいい作文であり、子供たちがともすれば書
かなくちゃいけないと思っているいい作文ではない。
 たとえば、そういう思いこみ的いい作文ならば、この
場合次のようになってしまうであろう。

   ぼくのおとうさんは、単身赴任で東京に行ってい
  て、月に一度ぐらいしか帰ってこない。おとうさん
  のいない生活は寂しくて、家の中が火が消えたよう
  だが、お父さんはぼくたち家族のために、疲れても
  がんばって働いているのだから、ぼくも我慢しなけ
  ればならない。
   たまにお父さんが帰ってくると、ぼくは一日中く
  っついて遊んでもらう。お父さんは楽しそうに遊ん
  でくれる。でも、すぐ疲れてねころがってしまう。
  仕事の疲れがたまっているんだ、とぼくは思う。家
  族のために、すごくがんばってくれているんだ。ぼ
  くは、そういうお父さんを尊敬している。明日はま
  た東京へ行っちゃうんだなと思うと寂しいが、ぼく
  は我慢する。

 そういうのが、大人びたいい作文である。しかしMく
んはそんなふうには書いていない。

    お父さんは遊びっぱなしである。
    そこらへんにだんごみたいにねころがってねて
    しまう。
    ぼくと勝負する。けんかみたいになってしまう。
    まるでハムスターみたいなお父さんである。

 ただそんなふうに、観察して、ユーモラスに報告して
いるだけである。なにに、すごくホットである。言葉で、
大人うけするうまいことを言おうとはしていなくても、
心が、お父さんのことで熱く動いているから、一気に書
いて、なんとなく愛が伝わるのである。気持ちにいい作
文だ。
 Hさんはこのところ絶好調である。ひとりでぶっとば
していると言ってもいいぐらいだ。「へんな若松」「は
らたつ、ぼうさん」「群馬のおじさん」と、この私が読
んで楽しめるものが次々に出てくる。この皮肉な作風、
好きだなあ。
 彼女がここへきてこんなに自由自在なのは、次の三つ
の理由によるものだろう。

  @もともと個性がユニークで、発想が変っている。 
  A精神的にちょっとだけ大人になりかけていて、子
   供の時には見えてなかったものが見え始めている。
   だからすべてが新鮮である。
  Bこの教室で、そういう自分の感覚を自由に書いて
   いいんだと知り、ふっきれた。

 というわけで、Hさんは今、一番の書き手である。
 ただし、どうなんだろう。これらは今だからこそ書け
る作文なのかもしれない。もう一、二年たったら、もう
一段大人に近づいた彼女は、自制してしまってこんなパ
ワーのある作文は書けなくなってしまうのかもしれない。
なんだかそんな予感がする。でも、もちろんこういう作
文が書けた一時期があったことは彼女の財産である。

 Tくんの物語のひとつを紹介したのが「カメとかたつ
むりのキャンプ(2)」である。
 この話を書き始める時に、Tくんはちゃんとおわりの
オチまで考えだしている。
 つまり、カメとかたつむりの遠足なんだから、どっち
も足が遅くて、目的に着いた時には冬になっていました。
というオチだ。
 なんだそれだけのアイデアか、と笑ってはいけない。
五年生にしてはなかなかのアイデアだし、そういうアイ
デアがあって、それをちゃんと伏せて物語を展開してい
き、最後にきっちりとしめるというのはなかなかむずか
しいことなのだ。Tくんはそれをちゃんとやっている。
「ねている間に、もう、春がこようとしていた」
 という最後の一文にはとても味わいがあるではないか。
少なくともこの一文は、子供の作文のレベルを突き抜け
ていて、完全である。こういう文章にであえだけでも、
この教室をやっていることがむくわれる気がする。
 
 Kさんの作文は、事実の正確な報告である。どうも、
彼女にはそっちの才能があるのだ。理科の観察文のよう
に、友人のひっこし観察文を書いている。だから、読ん
でいてかえっていろんなことがわかる。
 どうして友人が次々と、マンションからいっけん家へ
ひこしていくのか。なぜ小学三年生の彼女が、いっけん
家なんていう言葉を知っていて、そのことを友人にきく
のか。
 そこから、住宅事情というものがうかがい知れるので
ある。つまり、名古屋では、東京とはかなり違っていて、
子供が三年生ぐらいの親(三十五歳くらいか)が、そろそ
ろマイホームを持つのである。時価が安いから東京の住
人よりもその年齢が低いのだ。
 だからこそ、Kさんの両親だってそういうことに関心
があり、マンションか一軒家か、なんてことを家庭で話
題にしているのであろう。そこで、作文にいっけん家が
出てくるというわけだ。
 作文を読んでいるだけで、そんなことまでわかってく
るから面白いではないか。
 私はこの作文教室をやっていて、そういう利益を得て
いる。子供というものの実態と、その成長の具合と、彼
らの生きている社会を見て、楽しませてもらっているの
である。
 人間が好きで、人間観察が趣味の私にとって、それは
とても大きな楽しみなのである。

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