『清水義範の作文教室』 清水義範


セキュリティの問題から原文の固有名詞と、その周辺の文章の一部を変えさせていただいております。ご理解ください。Webmaster

 

■芥川作『仙人』を読んで
■ノーベルを読んで
■ギリシャ神話を読んで 
■シートン動物記、おおかみ王ロボ
■八月の日記/読書感想文の愚
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芥川作『仙人』を読んでHさん(六年生)
 私は、仙人を読んで、とても感心しました。
 ごん助は、なにか働こうと思い、仙人になることにき
めました。ごん助は、人はいつか死ぬのだから、不老不
死になり仙人になろうと思いました。ごん助は、仙人に
なるために、口入れ屋へ行きました。
 ごん助は、
「私は、仙人になりたいのです」
 といいました。
 私も仙人になりたいなあと思ったことがあります。け
れどなるには、ものすごくしゅぎょうをしなければなら
ないので、私にはむりかなあと思いました。
 そうしたら口入れ屋は、
「仙人になりたいだと、むりだなあ」
 といいました。
 ごん助は、
「どうしてですか。ちゃんと入り口に、口入れ屋と書い
てあるじゃないですか」
 といい怒りました。
 口入れ屋は、こまった顔をしていると、口入れ屋のつ
まがいいました。
「仙人になりたいのなら家へおいでよ」
 といいました。 
 私は、うそのくせによくそんな平気な言葉がいえたね
え。私は、ぜったい仙人はむりだよと思いました。
 口入れ屋のつまは、
「また、あした来なよ」
 といいました。
 ごん助は、
「はい、ではあしたですね」
 といい帰って行きました。
 口入れ屋は、
「どうしてあんなばか言ったんだ」
 といい怒りました。
「あんたは、正直すぎるんだよ。あのごん助とやらを利
用するのさ。世の中正直すぎると生きていけないよ」
 といいました。
 はじめから正直に言えばよかったのにと思いました。
私は、ごん助がかわいそうになりました。
 一日たってぎん助が、口入れ屋へ来ました。
 口入れ屋は、ごん助に、どうして仙人になりたいのだ
ときくと、
「人は、いつか死にます。私は、仙人になれば不老不死
になれるからです」
 といいました。
 口入れ屋のつまは、
「仙人のしゅぎょうは、ここで20年働くこと。私達の
いうことをよくきくことだよ」
 といいました。
  はじめから正直に言えばよかったのにと思いました。
私は、ごん助がかわいそうになりました。
 一日たってにごん助が、口入れ屋へ来ました。口入れ
屋はごん助に、どうして仙人になりたいのだときくと、
「人は、いつか死にます。私は、仙人になれば不老不死
になれるからです」
 といいました。
 口入れ屋のつまは、
「仙人のしゅぎょうは、ここで20年働くこと。私たち
のいうことをよくきくことだよ」
 といいました。
 20年も毎日休みなく働くなんて死んじゃうよと思い
ました。
 それからごん助は、20年間、まきの木を切るやら、
薬を運ぶやら、かまの番をしたり、ろうかのぞうきんふ
きをしたりして20年たちました。
 私は、ごん助が20年間休まずのつみかさねで20年
たったので私はよくそんな毎日でがんばったねと思いま
した。
 20年たった日ごん助が、
「では、約束どおり仙人になる術をおしえて下さい」と
言いました。
 口入れ屋のつまは、
「じゃあ、庭にある松の木にお登り」
 といいました。 
 ごん助は、いったとおりに、松の一番まで登りました。
「右手をおはなし」
 といいました。
「左手もはなしておしまい」
 といいました。
 そんなことをしたら死んでしまうのに平気でいうなん
ておそろしい日だなあと思いました。けれどごん助は、
いうとおりにして手をはなしました。ごん助ってすごい
ゆうきのある人だなあと思いました。とそのとたん下へ
おちずにうかびました。私はごん助はやっぱり仙人にな
れたんだと思いました。ごん助のがんばった夢がかなっ
たんだなあと思いました。ごん助はとってもえらいなあ
と思いました。私もごん助をみならいたいです。


東京先生のアドバイス
・去年も書いた、読書感想文の季節になりましたね。そ
れで、まったく読書感想文というのは、むずかしいんだ
よねえ。
・読んだ本の内容は、とてもよくわかります。実を言う
と私は、芥川の『仙人』を読んでないのだけれど、この
感想文で、ああ、そういう話か、とわかりました。うま
くお話が説明してあるからです。そこはとてもいい。
・ただ、この話を読んで、どう思ったかをもうすこし、
ほりさげて書くともっとよかった。頭の中に、架空の妹
を思いうかべるといいんだよ。その妹がバカで、ねえど
うして仙人になれたの、とか、じゃあ口入れ屋のつまは
いい人なの、とか言うと思ってみるんだ。
 その架空の妹に、ちがうのよ、これはね、ごん助がう
たがわずに、まじめに二十年どりょくしたから、それが
けっきょくはしゅぎょうのようなことに、なってたのよ、
とせつめいするきぶん。
 そんなふうに、自分でぎもんを出して、自分の考えで
せつめいしていく。
 それをやると、感想が深くなるんだ。
 この次、そんなこともすこし考えて書いてみるといい
かもしれない。

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ノーベルを読んで  Yくん(六年生)
 1896年12月10日にノーベルは、一生に終わり
を告げた。みなさんは、あのノーベル賞で有名なノーベ
ルを知ってますか。ぼくは、前々からノーベル賞のこと
を知っていますが、なぜノーベル賞があるのか、ノーベ
ルはどんな人かなどなどくわしいことは、あまりわから
なかったのですが、この本を読んで色々なことがわかり
ました。
 ノーベルは詩人でもあり火薬についての発明家でもあ
ったということです。しかし、この時ノーベルは発明家
の道を選んだそうです。なぜこの時ノーベルは発明家を
選んだのでしょう。もしこの時詩人の道を選んだらどう
なっていたでしょう。ぼくの考えではきっとノーベルは
気づいたのでしょう、詩は自分のしゅみでやればいいが
火薬の発明はたくさんの人々にのやくにたつとわかった
からだと思います。こういう自分のことより多くの人の
ことを考えて行動しているノーベルのことが、ぼくには、
とってもいだいな人に思えました。


東京先生のアドバス
・全体としては、読書感想文として、正しい形で書けて
いる
@どういう本を読んだ。
Aどういうことが書いてあった。
B読んでぼくはこういう感想をもった。
 という順に書いてあるのは、とてもよい。
・ただし、Yくんはどうも、すぐれた感想を持とう、と
思い、この本なら、どう思うのがすぐれているか、とい
うことに作戦が強く行きすぎちゃったんじゃないかな。
つまり、感想をムリに作り出した。そのけっか、ちょっ
と、よい子の正しい感想になってる気がするな。
 感想は、どう持ったって自由なんだよ。
 きっとノーベルには詩人の才能はあんまりなかったぞ、
なんて思ってもいいんだ。
 感想はのびのびと。

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ギリシャ神話を読んで  Tくん(五年生)
 ぼくは、ギリシャ神話を読んで、一番おもしろかった
のが、ヘラクレスという物語で、ヘラクレスの中で、お
もしろかったのは、しし退治や、ヘスペリスの園のりん
ごや、死者の国の番犬や、九つの頭のへび退治が、特に
おもしろかったです。
 しし退治がなぜおもしろいかったかというとかたほう
の穴をふさいで、もうかたっぽから出てきたきた所をく
みついて、首をしめすこしも手をゆるめないでしめつけ
ていたのがすごいと思いました。
 次は、ヘスペリスの園のりんごがおもしろかったのは、
天空をささえる神アトラスのかわりに天空をヘラクレス
がささえて、アトラスが、りんごをとってきた時に、か
たを、かえるからと言って、アトラスにもたしておいて、
りんごをとってにげていったという所は、ヘラクレスは、
ずるいと思ったけれども、だまされる方も悪いと思いま
した。又そこが、おもしろい感じがしました。
 死者の国の番犬がなぜおもしろかったかというと、番
犬は、三つの頭としっぽが、りゅう、せなかには、へび
の頭がぎっしりはえているという怪物も、ヘラクレスが
ししの皮をこぶってこんぼうをもって死者の国にあらわ
れると、しっぽをまたのあいだにはさんでこそこそとか
くれたという所がおもしろかったし、命令しておきなが
ら怪物を見たとたんにげこんで悲鳴をあげた所がおもし
ろかった。自分で命令しておきながら見たとたんににげ
ていくのでひきょうだと思った。


東京先生のアドバイス
・ギリシャ神話の中の、いくつかのおもしろかった話を
分けて、順番に書いているので、わかりやくすくてよか
った。
 つぎつぎに話が出てくるのは、Tくんが楽しんで読ん
だからで、そのふんいきもいい。
・ただし、物語を説明する文章が、夢中になってしまっ
たせいで、長すぎる。文章をいくつかに区切って、おち
ついて説明してほしいな。
「次は、ヘスペリスのりんごの話がおもしろかった。こ
れは……」
 というふうに、分けて書く。
・文章のはじまりが、三つとも、
「……がなぜおもしろかったsかというと……」
 になっているけど、変化をつけてもよい。

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シートン動物記、おおかみ王ロボ  Sさん(二年生)

 このお話は、わたしがいままでよんだお話の中で、一
ばんむずかしかったです。
 コランボー平原という平原があり、そこに、ロボとい
うおおかみがすんでいました。
 そのおおかみは、はい色のおおかみのしゅるいだそう
です。大きくて、頭がいいと書いてありました。たいじ
ゅうは、70キロもあったと書いてあり、びっくりして
しまいました。
 だから、はい色のおおかみの、リーダーだったそうで
す。そして、長い間、コランボー平原を、あらしている
そうです。
 ロボの次につよそうなのは、ロボのぶかの、「ジャイ
アント」です。
 でも、ロボよりは小さくてゆう気も、ロボより少なか
ったそうです。あと、黄色のおおかみと、白のおおかみ
も、いたそうです。白のおおかみはメスだったと書いて
ありました。黄色のおおかみは、すごく足のはやいしか
をやっつけたことがあるそうです。
 ロボたちは、たびたびあらわれて、めうしをころして
いったそうです。
 本によると、それをもう、五年もつづけているそうな
ので、びっくりしてしまいました。
 ロボを、ころそうとした人は、
「おおかみは、おなかがすいているから、なんでも
                      (未完)


東京先生のアドバイス
・ちょっとむずかしいお話だったので、その本をよんで
どう思ったかという、かんそうがもとまらなかったみた
いだね。
・でも、そのことはべつとして、この作文にはとてもす
ぐれたところがあった。
 それは、本の中にかいてあることと、じぶんのかんそ
うとが、きっちりくべつしてあるところです。

(本には) ――と書いてあり、
(本によると) ――だそうです。

それがしっかりせつめいしてあるので、こんらんしない
でよめるのです。
 とてもだいじなことです。たいしたものです。
・でも、このおはなしは、むずかしいんだよね。にんげ
んと、どうぶつとの、ほんとうのかかわりが、かいてあ
るんだ。だから、かんそうがもちにくい。
 どうぶつのせかいには、こういうことがほんとにある
んだよね。それをしっただけでもためになったというこ
とだ。

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八月の日記/読書感想文の愚
 夏休み中に、この作文教室では、生徒に読書感想文を
書かせる。
 私は実はそのことにあまり賛成ではないのだが、幸範
に言わせれば、それは大事なことなのだそうである。
 なぜなら、夏休み中に本を読んで、その読書感想文を
書いてくるように、という宿題が学校から出されている。
どうせみんなは読書感想文を書かなきゃいけないわけだ。
 ならば、この教室でその書き方を指導し、ちょっとで
もよい感想文ができあがるように手助けすることは有益
だし、親ごさんも喜ぶ。学校の宿題のために役立つ塾だ
わ、ということになって、通わせておいてよかったわ、
という満足につながる。
 めでたし、めでたしである。幸範はこの時ばかりはみ
んなに書いた感想文を手直しさせ、清書までさせるのだ。
学校に提出できる形までフィニッシュさせるのである。
 だが、私は不賛成である。
 いや、幸範がこの教室で読書感想文を書かせるという、
そのことには反対しない。塾の方針としてそれは正しい
であろう。
 私が反対なのは、学校に対してである。大きく言えば
文部省に対してである。
 小学生に読書感想文を書かせるな。そんな宿題を出す
な。そう、声を大にして言いたいである。
 なぜなら、読書感想文というのは、非常にむずかしく
て、まずほとんどの子にとって、どう書いたものやらと
途方にくれるような気がするものなのだ。
 だって、読書感想文というのは、要するに書評ですよ。
子供に書評を書けと言ってるんですぞ。そんなもの、ご
く一部の天才的おませの子以外、書けるわけがないでは
ないか。
 大人だって、ちゃんとした書評を書くことはとても大
変である。意地悪く言うなら、小学校の先生たちだって
なかなかいい書評は書けないと思う。それを小学生に書
けというのはむちゃである。低学年の子などは、何をど
う書けばよいのかわからず五里霧中の気分になり、文章
までヨレヨレになってしまう。
 この教室でも、KさんもSさんも、さっぱりわけのわ
からないことを書くはめになる。そうでない作文ならば、
ちゃんと意味の通ることが書ける子が、である。
 私の考えでは、中学生にだって読書感想文は無理であ
る。読書感想文コンクールの入賞作品なんか読むと、う
まく書いているじゃないですか、と言う人がいるかもし
れないが、もちろんそういう才能ある子はいる。全国に
百人や二百人はうまく書く子がいるが、そんな高いレベ
ルの教育を日本中の小・中学校にしちゃいけない。読書
感想文なんてものは、高校生に対して初めて書かせてみ
る、というのが妥当なほど高度なことなのだ。
 なのに小学校は、小学生に読書感想文を書かせる。な
ぜそんな宿題を出すのだ。読書をしてこい、というのと、
それとは別に作文をひとつ書いてこい、という宿題でよ
いではないか。
 ここから先は私の邪推だが、読書をし、作文をひとつ、
という宿題だと、読書のほうが徹底しない、と学校は考
えているのではないか。
「ぼくはちゃんと本を読みました」
 と子供が言っても、それは嘘かもしれないからである。
 だから、その二つのことを必ずやらせるために、読書
感想文を書け、という宿題になるのである。私にはどう
もそんな気がする。
 そうだとしたらひどい話である。そんなバカなことは
やめてもらいたい。二つのことを必ずやらなきゃいけな
いひとつの宿題だからという理由で、読書感想文が選ば
れてはたまったものではない。
 読書感想文はむずかしくてまずうまく書けないから、
子供は作文を書くことが嫌いになる。その上、そのむず
かしいもののために本を読むということは言うまでもな
く少しも楽しくないのだから、本を読むことまで嫌いに
なる。二重の害があるのだ。
 害はそれだけではない。
 読書感想文というのは、いやな精神構造の産物である。
なんとなくそこにある思想は、〈本は偉い〉という考え
方である。〈本は面白い〉〈本は楽しい〉ではなく、〈
本は偉い〉。
 その本を読んで、感銘して、ぼくもこの主人公のよう
に立派に生きたいと思いました、なんてきれいごとを言
わせる強迫力がある。
 つまらないことだ。でも、それは確実にある。学校か
らの宿題であり、時には読むべき本まで指定されていて、
「じつにもって下らないバカ本だった」とは言えるもの
ではない。
 子供はそういう圧力には敏感である。この本を立派だ
と言えばいいんですね、と思ってつまらない本を読む。
そして、苦しみながら本へのおもねりを書く。やな作業
である。
 Yくんというユーモリストですら、なんとかノーベル
じゃ偉いというところへ話を持っていくのである。
 Hさんのように発想がユニークな子ですら、立派でし
た、私もみならいたいと思いました、と書いちゃうので
ある。
 せめて、読書感想文を評価する学校の先生にお願いし
たいことがある。せめて、その子の感想を採点しないで
ほしい。感想というものは、どう持とうと個人の自由だ
からである。
 ノーベルはきっと詩人としてはたいしたことなかった
んだよ、思ったっていいではないか。こういう考え方は
ペケ、と言わないでほしい。それを言うと、子供たちは
敏感だから、苦痛の中で嘘を書くことになる。
「仙人」のごん助は、ある種のアホだわね、と思った子
がいてもいい。そのことがきっちり論理的に表現できて
いたらそれはいい作文なのである。
  しかしまあ、読書感想文、という宿題自体がその種の
臭みをプンプン漂わせている。子供たちはいい子ぶって
嘘を書かなきゃいけない。その上、むずかしくて満足に
は書けない。
 丸谷才一先生は子供に詩を書かせるなということをお
っしゃっているのだが、私はそれに加えて、子供に読書
感想文を書かせるな、ということを言いたい。
 実質的被害のことを言おうか。毎年、夏休みにこの作
文教室で読書感想文を書かせるたびに、みんなの作文が
またヘタに戻ってしまうのである。ようやくみんな、の
びのびと、ユニークなことを書きだしたな、と思ってい
るのに、いきなりギコチなく、つまらなくなる。
 そしてその影響はしばらく続くのである。二、三週間、
みんなどうも調子が狂ってしまって、つまらない作文に
戻ってしまう。いい子ぶって、いい作文を書いてしまっ
た後遺症だ。その時うまくもとの気分に戻してやらない
と、作文嫌いになってしまいかねないのである。
 子供に読書感想文を書かせるというのは、つくづく愚
かなことなのである。
 
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