『清水義範の作文教室』 清水義範


セキュリティの問題から原文の固有名詞と、その周辺の文章の一部を変えさせていただいております。ご理解ください。Webmaster


■山ねずみのぼうけん
■ゆめの王国@
■船よい(体験話)
■うらしまたろうのその後の話
■五月の日記/とにかくほめて楽しくさせる
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山ねずみのぼうけん Tくん(五年生)
 ぼくは、山ねずみ。一人たびをしている。今日の朝に
出発した。どんなきけんがあるかわからない。しかし、
そんなことを試みて、たびに、でようとした。
 出発して、5時間くらい歩いてのでつかれた。のども
かわいた。そんなことを考えながら歩いていくと、湖が
見えた。
「わあい」と飛びこんだ。不思議な感じがした。力がわ
いてきたからだった。湖から少し歩いていったら村があ
った。たずねてみると、遠い村からだと、とてもかんげ
いされた。こまってしまった。名前なんてないからだ。
しばらく考えて、
「名前は、ありません」
 と、正じきに言った。そしたら村長さんが、
「そりゃいかん、名前をつけてあげよう」
 と言ってくれた。それだけでも、山ねずみはうれしか
った。村長さんは、しばらく考えていた。それから、大
きな声で言った。ラッキーがいいと言った。山ねずみも、
賛成した。
 山ねずみは、村の村長さんからラッキーという名前を
もらった。おれいがわりに、この村でつくってない食べ
物を、わたして、その村から、またラッキーはたびを続
けた。
「ガサガサ」
 ラッキーは、青ざめた。なにかが来る。と思って、に
げ出した。どのくらいにげたのだろう。そんなことを考
えながらねてしまった。
 早朝、起きて出発した。また、
「ガサガサ」
 という音がした。今度は、にげるひまもなくかこまれ
てしまった。ラッキーはびっくりした。へび数十ぴきで
かこまれてしまったからだ。のげ場がない、どうしよう
かと思っていた。あと5メートルの差まできたとき思い
ついた。
 仲よしのもぐら君にたのんでみようと思った。ふえで
よびよせるのだ。音がとどくかわからないけどいちかば
ちかためしてみた。ふえをふいた。音がとどかないのか。
しばらくしても来ない。あと少しの差だ。
(もうだめだ)
 と思った時、下からもぐら君がでてきた。穴に入って
ぎりぎりたしかった。
 遠くはなれてから、もぐら君が言った。
「ぼくも、いっしょにたびをするよ」
 と言ってくれた。
 ラッキーと、もぐら君は、きみがわるく、うす暗い、
森に入っていった。森の中でまちうけていたものは……
(続く)

東京先生のアドバイス
・なかなかよくできた話です。ヤマ場が、二つあるとこ
ろがいい。
@親切な村で、名前をつけてもらう。
Aへびにおそわれたが、もぐらに助けてもらう。
 いろいろあるので、ふくざつな味わいがある。へびに
 おそわれるシーンのサスペンスもよい。
・「てにをは」に注意。
「村長さんが、名前をきかれた」
「村長さんが」の「が」が「に」のほうがいいのは、書
いたあとで、読み返してみればすぐわかるよね。ちょっ
と書いては、少しずつ読み返してみるといい。

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yumeno">ゆめの王国@ Sさん(二年生)
 あたし、レミ。今日は、家ぞくぜんいんでりょこうに
行くの。あたしの1ばん楽しみにしてた日。天気もさい
こうの、ぜっこうの日。
 にもつを車につめこんで、いよいよしゅっぱつします。
車で、さいこうに早くても、2時間はかかるところなん
だって。車の中で少しねていきました。だいぶたって、
やっとホテルにつきました。にもつを出して、へやの中
に入ったら、どっとつかれたってかんじがして、ねむっ
ちゃってた。
 気がつくと、なんかでこぼこしたところにねころがっ
てた。見てみると、
「なにこれ」
 ってさけんじゃった。だってこれ、グレープのおか?
みたいなところ。
 あたりを見ると、
「へっ」                (つづく)
 

とうきょう先生のアドバイス
・おじょうさまの、おきどりことばで作文をかくという
ねらいが、おもしろいです。おはなしはまだ、これから
ってところで、よくわかんないのだけど、まあ、おじょ
うず、っておもっちゃった。わたしもことばがうつっち
ゃったみたい。
・ひとつだけ、べんきょう。
「ぜっこうの日」ということばは、「――するのに」と
いうのを上にもってくるのが正しい。だからここでは、
「りょこうをするにはぜっこうの日」と書くのがいいの
です。

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船よい(体験話) Yくん(六年生)
「ジリリリー」
 時計の音がいつもより大きな音にきこえた。なにせ今
は朝の4時だ。昨夜は、はりきっていた父もぼくも朝は
よわい。父は気力でおきて、きがえている。ぼくも。意
しきがうすいがきがえて。朝食をとりいざ出発だ。車に
乗りこんだ。だがぼくは、ねむたくてねてしまった。
「キキー、ついたぞお」
 と父の声がして、ぼくはおきた。もう海についている。
この時ぼくは父にこう言った。
「ぼくは、ねているだけでついてしまい、調子ががいい
なあ、だけどお父さんは、運転しなきゃならないから、
ほんの少しくぁいそお」
 だけれどぼくは心の中では、自分が満足したから父は
どうでもよいと思っていた。すると父はこういった。
「史朗のことだから少しかわいそう、なんて思ってない
だろう」
 流石、親子だと思って少しこわくなった。なぜなら父
はぼくの考えをそのまま知っていた。ぼくは、あいた口
がふさがらなかった。父はつり船をかりに行った。ぼく
も、ついていこうと思ったが金魚のふんみたい、だから
やめてまっていた。しばらくして、父がぼくをよぶ声が
してぼくは走った。父は言った。
「海へ出るぞのれえ」
 父が乗っていたのはつり船ではなく手こぎボートだっ
た。ぼくは、この時よっぽどうちは貧ぼうだということ
をかんじた。父の話では行きは大きな船に五、六そうボ
ートを船にしばりつり場にはこび帰りは手でこいで帰っ
てこなければならないそうだ。ぼくは少し予想とちがっ
てがっかりした。              (続く)
 

東京先生のアドバイス
・文章が安定しているね。うまい表現もよく知っている。
さいきん、『坊っちゃん』かなにか、古い小説を読んだ
んじゃないだろうか。
 いずれにしても、文章にリズムがあってよい。
・「 」の使い方について。
「 」の中にはことばを書く。時には、音を書くことも
ある。しかし、両方をひとつの「 」の中に書いては、
こんらんする。
「キキー、ついたぞお」
 これだとお父さんが、キキーと言ったような感じだ。
たとえば次のように書くのもいいよ。

  キキ―、と車のブレーキの音がしてお父さんが言っ
 た。
 「ついたぞお」
  その声でぼくは目をさました。

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うらしまたろうのその後の話 Mくん(六年生)
 うらしまたろうは、前回、たすけたカメにつれられて、
りゅうぐうじょうでたまてばこをもらい、そのたまてば
こをあけおじいさんになってしまった。これからその後
のうらしまたろうを話そうと思う。うらしまたろうは、
前にあった家の前へいった。そうしたらとつぜん丸い物
がついているのをうらしまたろうはみつけた。車である。
うらしまたろうはそれを見て、
「じだいがかわったのう」
 といって、いろいろな所にうろつきはじめた。中おう
へ、でると、女の人がなにかちゃらちゃらした物をつけ、
はなぢのでそうなすがたをしながら歩いていた。それを
見て、うらしまたろうは、
「いまごろの女は、けしからん、そんなかっこうをして
いてはずかしくないのか」
 とぷんぷんおこりながら歩いていった。
 いろいろ歩いてみると、人がじろじろ見て、わらいだ
す。うらしまたろうは、なにをわらっているのかわから
ず自分もわらっていた。わらっていたうちに、みんなが
あつまってきてはずかしいので道にとびだした。そうし
たら、
「キキ−、ガッチャン」
 といってうらしまたろうは、車にひかれた。そしてび
ょういんにはこばれていっしゅんだけきがつき、つぶや
きはじめた。
「わしは、いちどはけっこんしたかった」
 といってまたたおれ死んでしまった。
 みなさんは、こんなむなしいことにあわないようにご
注意ください。


東京先生のアドバイス
・うらしまたろうのその後とは、おもしろいことを考え
たね。このように、みんながよく知ってる話をもとに書
くものを、パロディというんだよ。
・うらしまたろうのパロディは、車の時代へ来ちゃうと
ころがねらいめだ。
 そして、女の人がちゃらちゃらしていてうらしまがお
こる。しかし、じこで死ぬときに、「けっこんしたかっ
た」と言う。その、対比がおもしろい。
・そのほか、「なにをわらっているのかわからず自分も
わらっていた」なんてところが、楽しい。

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■五月の日記/とにかくほめて楽しくさせる
 子供の作文なのだから、もちろん初めのうち、表記の
ルールなどめちゃくちゃである。
 たとえば、書き出しの文や、改行した場合の次の文の
頭の文字は一字下げて書く、なんてことを子供は知らな
い。当然のごとく行の一番上から書き始める。
 カギカッコ「 」の使い方も、てんでんばらばらであ
る。たとえば「こんにちは。」のようにカギカッコ内の
最後の文章に句点。をつけるかどうかもめいめい自己流
である。

 ですから、ひとつおことわりしておくと、この本の中
で紹介している生徒たちの作文は、彼らの書いたそのま
まではなく、多少形をととのえています。

 
 そんなことよりも、私は子供の作文に対する上で重要
なことがひとつだけであると思っている。私の、この教
室における基本方針と言ってもいいだろう。
 それは、彼らの作文をほめることである。
 とにかくほめる。
 なんとかほめる。
 これのいったいどこをほめればいいのかと気が遠くな
りかけても、しゃにむにほめる。
 字がきれいですね、でもいい。
 どういうことがあったのかよくわかります、でもいい。
 楽しさが伝わってきます、でもいい。
 こんなむずかしい漢字をよく知っていたねでもいい。
 ぶっきらぼうな言い方がユーモラスだね、でもいい。
 長い作文が書けるようになったね、でもいい。
 とにかくまずほめるのだ。注意や細かいアドバイスは、
まずほめたそのあとに書き添えればいい。
 ほめられれば気分がいいというのは、大人も子供も同
じである。うまいね、と言われれば嬉しくなってきて、
それでよければもう少しやってみましょうか、という気
になるではないか。つまり、作文を書くことが楽しくな
ってくるのだ。いきなり大好きになるということはなく
ても、こういうのはどうほめられるんだろう、と様々な
トライを楽しむようになってくる。書くことがただ苦痛
なだけの義務ではなくなり、積極的な遊びになってくる。
 それこそが、小学生にとっての作文を書く動機なので
ある。書く動機がないのに、上からの指示によって書か
されるから小学生の作文はおおむねつまらないのだ。と
ころが、ほめられるから面白い、ひと工夫するとちゃん
とそこを評価されるから気分がいい、というような書く
動機ができれば、急に彼らの作文はのびのびしてくるの
である。少なくとも、いやいや書くのではなくなる。
 小学生への作文指導において、特にその入口のところ
で、最も大切なのはそれではないかと私は思っている。
 そしてまた、私の毎度のほめ言葉は、毎週顔を合わせ
るわけでもない私と生徒との、大切なコミュニケーショ
ンになっているのである。

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